2019年12月29日日曜日

生活民はブランドを無視していく!

ブランドの側から生活民への功罪を眺めてきましたが、視点を大逆転して、生活民の側からブランドの明暗を抽出してみましょう。

生活民の基本的な行動様式は、【
「生活民マーケティング」は「LC-Marketing」だ!:2017年7月30日】の中で述べたように、以下のような行動主体です。

①生活民とは「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility」を求める主体である。・・・【生活民は「価値」よりも「私効」を重視:2016年11月22日】

②生活民とは「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbolを重視する主体である。・・・【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】

③生活民とは「真実」よりも、「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【
嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】

①の視点から見る時、ブランドとは、生活行動の内部に入っていくにつれて、次第にそのネウチ低下させていくものです。

生活民にとって
ネウチとは、【生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】で詳しく述べたように、価値=共効(Social Utility)よりも個効(Individual Utility)を、個効よりも私効(Private Utility)を、という構造を持っています。




この構造の中で、ブランドというネウチは、最も強度な「共効」ですが、消費者がそれを受け入れた場合は個々人の「個効」となります。


その時、消費者としては、前回述べた如く、「探索・選択の省力化」や「購買リスクの削減」といった「個効」を享受することができます。

しかし、このような「個効」のネウチは“生活民度”の低い人にとっては幾分高いものの、民度が高くなるにつれて次第に低下していきます。

純粋の生活民に近づけば近づくほど、「個効」よりも「私効」を重視する立場が強まり、他人が勧めるネウチよりも、自分で見つけるネウチの方が、次第に重くなってくるからです。

また生活民としても、ブランドというネウチを「自己満足の一つの実現」という意味での「私効」としては認めていますが、それはかなり疑似満足に近いものですから、享受しているうちに、次第に減少していきます。

生活民としての意識が強まるにつれて、借り物ではない、本物のネウチを「私効」として広げたい思うようになるからです。

以上のように、私たちのネウチ意識が【共効→個効→私効】と進むにつれ、ブランドの比重は徐々に低下していきます。

もしブランドに存在意味があるとすれば、さまざまな生活民がそれぞれの私効を構築していく差延化)ための“素材”という立場を、改めて再確認していくことでしょう。

2019年12月20日金曜日

生活民にとってブランドとは・・・

ブランドの定義は、買い手にとっては、次のようなものでした。

これらは生活民である使い手にとって、どのような意味を持つのでしょうか。

探索・選択の省力化・・・表示する商品やサービスの信用度を信頼して、商品探索・選定時の労力や時間などを省略できる。


確かに市場社会では、膨大な商品やサービスが店頭やウェブ上で提供されており、買い手にとっては、ブランドが信頼できさえすれば、探す手間や選ぶ手間を省略することができます。

しかし、使い手にとっては、自らの探索力や選択力を低下させることになります。

新しい商品やサービスを購入した時、それらを使いこなすまでに時間がかかります

購買リスクの削減・・・表示する商品やサービスの信用度を信頼して、購買時の迷いや購買後の後悔を避けられる。


しかし、使い手にとっては、満足することもありますが、使っているうちに不満が募ることもあります

多様な商品やサービスを体験する機会が薄れ、本来の効用を追求する姿勢が薄れていきます

自己満足の実現・・・表示する商品やサービスの社会的な影響力を利用し、自らの立場や地位などを発信できる。


しかし、借り物による自己表現や自己実現によって、一時的な満足を得ることができますが、多用しているうちに、使い手本来の自己表現・実現力を低下させていきます。

ブランドマークや世評など、あくまでも借用した社会的影力ですから、本来の自分とのギャップが増進してくるとともに、自己嫌悪が募ってきます



結局のところ、生活民にとってブランドとは、一時的な満足は得られても、使用しているうちに不満が増加してくる指標と言えるでしょう。

2019年12月10日火曜日

ブランドの功罪を考える!

ポスト消費社会論にひとまず結論が出ましたので、今回からは再び「生活民」論(アトモノミクス)の原点に立ち戻って、消費社会の問題点を一つ一つ考察することにします。

最初は「ブランド」の功罪です。


ブランドとはもともと、牧場の所有者が他人の家畜と区別するため、自分の家畜などに押し当てた焼印のことでした。

これが市場社会の商品やサービスに応用されて、さまざまな意味を持つようになりました。

マーケティングでも、さまざまな定義がありますが、代表的なものは次のようなものです。

フィリップ・コトラーの定義


ブランドとは、個別の売り手または売り手集団の財やサービスを識別させ、競合する売り手の製品やサービスと区別するための名称言葉、記号、シンボル、デザイン、あるいはこれらの組み合わである。                                (P.コトラー『マーケティング原理』和田・上原訳:ダイヤモンド社, 1983年)               

アメリカマーケティング協会(American Marketing Association)の定義

(買い手に対し)個別の売り手もしくは売り手集団の商品やサービスを識別させ、競合他社の商品やサービスから差別化するための名称、言葉、記号、シンボル、デザイン、あるいはそれらを組み合わせたもの


2つとも売り手側からの定義であり、要点は次の3つです。

①売り手(供給者)側から買い手(需要者)への訴求手法

②競合者への対抗手法

コト(広義の記号)を複合化した訴求手法

一方、買い手側、ユーザーにとっての定義はどうなるのでしょうか。不思議なことに、先学諸賢の言説はほとんどありませんので、ちょっと考えてみると、次のようになります。

探索・選択の省力化

ブランドとは、それが表示する商品やサービスの信用度を信頼して、商品探索・選定時の労力や時間などを省略できる指標である。

購買リスクの削減
ブランドとは、それが表示する商品やサービスの信用度を信頼して、購買時の迷いや購買後の後悔を避けられる指標である。

自己満足の実現
ブランドとは、それが表示する商品やサービスの社会的な影響力を利用して、自らの立場や地位などを発信できると思う自己満足である。

売り手と買い手の間にあるブランド観の差異、つまり定義の隙間にこそ、ブランドという社会的な仕組みの功罪が潜んでいると思いますので、生活民やアトモノミクスの立場からクールに検討していきましょう。

2019年11月29日金曜日

ソーシャライジングへ向かって

これまで述べてきたように、さまざまな問題を増幅させている現代消費社会を、今後大きく超えていくには、マーケティングという経営活動にもまた、根本的な次元での転換が求められます。

従来、マーケティングとよばれてきた活動には、一方で内部転換を行うこと、他方で外部転換を試みることの、両面が必要なのです。



内部転換では、より生活民サイドに沿った体質へと接近していくことが求められ、具体的には、先に「マーケティングを内部転換するには・・・」や「ライフ・サポーティングへ向かって」で述べたとおり、次のような4つの方向をめざすことです。
①記号(サイン)誘導から象徴(シンボル)支援へ移行
②共効・個効提供から
私効支援へ移行
③顕示性提供から充足性支援へ移行。
④消費者志向から生成者(=
生活民)支援へ転換

外部転換では、新たな社会構造の構築に積極的に参加していくため、先に述べた「
マーケティングを外部転換するには・・・」や「互酬制再建へ参加するには・・・」で提起した、次の3つを行なえるかどうか、を検討していくことです。

公共的事業への関わり方の見直し
②現代社会に適合した
互酬制の再構築
③互酬活動への
参加・支援方法の検討

結論をいえば、前者は「生活支援(ライフ・サポーティング)」であり、後者は「社会支援(ソーシャル・サポーティング)とよぶことができます。

2つの方向をめざすことで、専ら市場の中での需給関係に固執してきた「市場活動(Marketing:マーケティング)は、自らその境界を突破し、生活民の内面や人間社会の外延にも視野を広げた、より広義の社会活動に進化していくことになります。

この新たな活動に、もし名前をつけるとすれば、それはまさに「社会活動(Socializing:ソーシャライジング)とよぶのがふさわしいでしょう。

2019年11月18日月曜日

互酬制再建へ参加するには・・・

マーケティングを「脱構築(déconstruction)する「外部転換」において、次の方向は「互酬制」への関係改善です。

従来の企業や市場経済システムは、互酬制を主導する家族や地縁社会など伝統的共同体との関わりについて、極力距離をおくばかりか、時には弱体化を進めてきました。

自給自足的な生産や地域内での物々交換は、圧倒的な市場交換制度によって圧倒され、徐々に縮小を余儀なくされてきたのです。

だが、過剰な市場交換を抑え、再配分・市場交換・互酬制のバランスのとれた複合社会が新たな社会目標になってくると、互酬制を再建し、市場交換制と望ましい関係を築くことが、新たな検討課題となってきています。

そこで、企業のマーケティング活動についても、次のような2つの方向が期待されるでしょう。





1つ、市民や住民など需要層のさまざまな生活需要に対して、市場経済制と互酬制どのように分担していくか、それぞれの役割を検討することです。

それにはまず、近代的な再配分制度と市場交換制度の隘路にあって、ともすれば縮小しがちな互酬性をできるだけ見直し、現代社会に適合した制度として再構築することが必要です。

成熟した社会構造を築くためには、企業活動やマーケティングにも、新たな互酬制の拡大と定着を支援することが求められるのです。

2つめ、今後、実際に拡大が予想される、家族や地域社会のさまざまな互酬活動に対して、企業活動やマーケティングがどのように参加や支援を行なえるか、を検討していくことです。

それは表面的な利潤拡大行動を超えて、より本質的・永続的な企業生命を維持・拡大するための、新たな経営行動として位置づけられなければなりません。

例えば、相互扶助や安全・防災などの機能向上を応援する〝結縁〟支援活動、幼児の子守や老人向けの宅配などの保護拡大活動、あるいは祭りや会合などの開催を助ける祭事支援活動などは、住民や庶民の暮らしを守り、豊かにしていくための、新たな支援ビジネスとして期待されるものです。

今後の社会においては、企業のマーケティング活動にも、政府や地方自治体はもとより、家族や地域共同体に対しても、より強く手を携えていくこと期待されるのです。

2019年11月9日土曜日

マーケティングを外部転換するには・・・

マーケティングを「脱構築(déconstruction)していく、もう一つの方向は、その外縁を再構築していく「外部転換」です。

外部転換とは、企業の経営活動の一つであるマーケティングの限界を超えて、望ましい社会構造を形成していくための、新たな役割を担うことを意味しています。

望ましい社会構造については、さまざまな意見がありますが、一つの方向は、先に述べたような、生成者(生活民)が新たな社会制度を創造する生成社会であり、具体的には、人類が歴史的に創造してきた、再配分、市場交換、互酬制の3つの分配制度を新たに組み合わせ、現代社会にふさわしい「三立社会」を創り出すことです。

このうち市場交換については、
先に述べたような、内部転換という形で再構築されるとすれば、改めて外部転換が必要になるのは、再配分互酬制への関わり方ということになります。



そこでまず、再配分への関係を見ておきましょう。

再配分の主体である政府部門や行政部門に対して、これまでの企業や諸法人は、一方では公共投資や受託事業などで売り上げを伸ばし、他方では納税という形で再配分の財源を担ってきました。それゆえ、マーケティングの課題は専ら公的事業への売り込みや継続性であったといえるでしょう。

この両面性は今後も基本的には変りません。

だが、三立社会が目標になってくると、さらに新たな活動が期待されます。なぜなら、政府や自治体の行政行動もまた、望ましい社会配分を達成するための一部門と考えると、企業や諸法人との関係もまた見直す必要が出てくるからです。

新たな関係とは何でしょうか。

一つは、公共的な事業への関わり方を、まったく新たな視点から見直すことです

従来、公共的なソフト事業へ民間企業などが関わる経営行動は、一般に「ソーシャル・ビジネス」や「ソーシャル・マーケティング」などとよばれてきました。

これは、企業のマネジメント・システムや市場経済システムを、社会・公共分野にも応用しようとするものです。

しかし、マーケティングの外部転換は、これとは基本的なスタンスが異なります


外部転換とは、再配分・市場交換・互酬制のバランスのとれた複合社会をめざして、企業やマーケティングに何ができるかを改めて問いかけようとするものです

それゆえ、新たなマーケティングの目標は、市民や住民などの暮らしを維持・改善するために、何が求められ、誰が対応していくべきかを、改めて検討し直し、提案していくことになるでしょう。

もう一つは、以上のような発想を基盤にして、望ましい再配分のための企画や代行へ実際に参加していくことです。

それには、従来の表層的なマーケティング手法に加えて、内部転換で再構築された深層的なマーケティング手法もまた駆使し、政府や自治体などの政策需要や行政需要を新たな視点から発掘することが求められます。

こうした経営活動によって、公的主体の発想をも超えた、新しい公共商品や公共サービスなどを積極的に提案していくことが可能になります。

例えば、福祉行政については、公的年金を補完する新私的年金制度、公的介護サービスのより適切な運用方法、生活保護とボランティア活動の連携化など、また次世代育成行政については、公的サービスを補完する育児・保育サービスの増強、国公立・私立を超えた学校制度の提案など、公私の境界を超えた事業が考えられます。

産業育成や企業支援面においても、公私一体となった新産業や新商品の開発、企業診断やコンサルティングと一体化した資金支援など、また人的能力向上面では、労働と教育の連関を強化した社会人教育や職業教育の拡大といった分野で、民間企業の制約を超えた公的支援活動が予想できます。

以上のように、これからのマーケティングは、政府や地方自治体の行政活動とも、積極的に関わっていかなければなりません。

2019年10月26日土曜日

ライフ・サポーティングへ向かって

マーケティングの内部転換について、前回に引き続き、第3.第4の方向を考えていきます。


第3は、顕示性提供から充足性支援への移行。

従来のマーケティングが、流行や権威など外側へ向かって、限りなく拡大する「外延市場」対応であったとすれば、これからはむしろ、心の内側に潜む体感や自足などの「内包生活」を深化させるという対応が求められます。

それは、ブランド消費の対極にある「
自己深化」といった生活行動に、積極的に対応することであり、需要者の内部を豊かにする「インナー・サポーティング」の拡大を意味しています。

第4は、消費者志向から生成者(=
生活民)支援への転換。

これからの需要者は、単なる消費者や生活者を超えて、生活上の新たな「
ねうち」を次々に創造する生成者(=生活民)へと進化していきます。

こうした需要者の変化に向けて、供給者が柔軟に対応していくためには、生成者の工夫やアイデアを敏感に吸収して、生み出された私効を社会的な共効や個効を変えていくことが望まれます。

具体的には、独自の「情報」や「イメージ」を創りだす私人の成果を商品やサービスに取り入れたり、商品やサービスを、できるだけ取捨選択や変換再編が可能なように設計していきます。

他方では、需要者の純私的な私効やアイデンティティーにはできるだけ踏み込まないように配慮します。

こうした方向は、従来の消費者対応や生活者対応をはるかに超えて、「ジェネレーター・サポーティング(生成者対応)」、あるいは「セルフヘルパー・サポーティング(生活民支援)」とでもよぶべきものになるでしょう。

以上にあげた4つの方向を実践していくことによって、これまでの消費市場のみを対象にした「オールド・マーケティング」はひとまず解体され、需要者自身の作り出す生き方や暮らしを、柔軟に支援する「ライフ・サポーティング」へと、徐々に再構築されていくことになるでしょう。

2019年10月18日金曜日

マーケティングを内部転換するには・・・

マーケティングを「脱構築(déconstruction)」していくには、マーケティングそのものの内部を再構築する「内部転換」と、マーケティング活動の外縁を再構築する「外部転換」の、2つの方向がある、と思います。

内部転換というのは、マーケティングの表面的な機能である「市場対応」を乗り超え、より本質的な目標である「需要者=生活民対応」をめざして、従来のさまざまな経営行動を再構築していくことです。

この点については、当ブログですでに幾つかの提案をしていますので、下表のように全体像を整理してみました。





第1は、従来の記号(サイン)誘導から
象徴(シンボル)支援への移行。

肥大化するコト=記号の支配を薄め、需要者自身の
モト=象徴力を回復させるためには、供給者は次のような活動に軸足を移さなければなりません。

例えば、言語以前の体感的、直感的な次元への回帰を支援する「体感・感覚力支援」、無意識への回帰をめざして、没我へと導く「没我力支援」、霊感や六感を増加させる「直感力支援」、無意識次元で自らの原点を確認させる「自己対面力支援」などです。

さらには、象徴力の強化をめざして、元型との出会い機会を増やす「象徴・元型支援」、宇宙や大海など絶対物を体験する「不変物信仰支援」、私や個を超えた次元を体験する「集合的無意識支援」など、多様多彩な需要者支援策を展開していくことです。

こうした活動は、企業のマーケティング活動を超えて、宗教活動や医療活動と同様、需要者の自律性や象徴性を支援する行動、いわば「シンボル・サポーティング:Symbol Supporting」とでもいうべきものです。

第2は、共効・個効提供から
私効支援
への移行。

供給者側からの一方的な「共効・個効」提供を極力抑えて、今後は需要者自身が求める「私効」重視へと転換します。あるいは「共効・個効」と「私効」のバランス回復をめざす、という方向です。

具体的にいえば、「価値創造」や「効用創生」などと称して、供給者側が押し付ける流行やライフスタイルを一旦棚上げにし、需要者のより自律した生活形成、つまり「私効独創」に役立つような商品やサービスを提供していきます。

これらは、市場を前提にした「バリュー・マーケティング:Value Marketing」を縮小し、需要者私効を支援する「エフィカシィ・サポーティング:Efficacy Supporting」とでもいうべき活動を拡大していくことを意味しています。

第3、第4については、次回へ続きます。

2019年10月9日水曜日

マーケティングを脱構築する!

ポスト消費社会の方向を、生成、統合、複合の3つ社会が鼎立する三立社会と定めた時、従来「マーケティング」とよばれてきた企業活動は、どのような方向へ向かえばよいのでしょうか。

これまで述べてきたことを今一度整理してみると、マーケティングを解体・再構築すべき方向、つまり「脱構築(déconstruction)のゆくえが見えてきます。


それは図表に示したように、左右に分かれており、一つは左側の、マーケティングそのものの内部を再構築する「内部転換」、もう一つは右側の、マーケティング活動の外縁を再構築する「外部転換」だと思います。

内部転換とは、いうまでもなく、供給者主導の従来型マーケティングを解体し、需要者支援を強化したライフ・サポーティングへと再構築することです。

需要者、つまり生活民の暮らし向けて、新たな生活資源を開発・提供し、市場交換を通じて、それぞれの生活形成を支援するという、企業本来の機能をより徹底し、さらに深い需給関係を構築していくことです。

しかし、脱構築はそれに留まるものではありません。そうした内部転換を果たしたうえで、さらに今後のマーケティングには、消費社会から生成社会への移行に参加するという外部転換が求められます。

つまり、複合化する社会の、再配分や互酬システムとも、新たな連携を築という課題です。

そのためには、企業がまず、再配分の基本的な主体である政府や行政部門との間に、新たな関係を築きあげなければなりません。あるいは再配分という分配システムとの間に、新たな役割を創り出すことが期待されます。

また複合社会のもう一つの柱である互酬制度についても、この制度を順調に再生させるためには、家族制度や地縁社会などの共同体とも、新たな協力関係を築き上げることが求められます。それは企業やマーケティングが、共同体のために何ができるかを自問するということになるでしょう。

内部転換と外部転換の双方について、マーケティングの進むべき方向を、改めて考えてみましょう。

2019年9月28日土曜日

三立社会へ向かって!

ポスト消費社会の可能性として、これまで生成社会、統合社会、複合社会の3つを提案してきました。

3つの社会のイメージ(
生成社会統合社会複合社会)を、生活空間の上にもう一度図示しておきます。

 これら3つの社会イメージを重ねてみると、次のような位置づけになります。



これを見る限りでは、生成社会、統合社会、複合社会の、3つの社会の重なった濃厚な部分が、ポスト消費社会の進むべき方向ということになります。

しかし、この部分だけがポスト消費社会というわけではありません。




この部分が意味を持ってくるためには、3つの社会を構成する3つの要素、つまり生成社会の生産・消費・生成統合社会の記号・機能・象徴、そして複合社会の再配分・市場・互酬の、それぞれのバランス化が必要条件となるからです。

アトモノミクスの立場でいえば、一人ひとりの生活民が、本来の個体性を回復したうえで、無意識次元の象徴性もまた回復させ、さらに新たな互酬性を構築することで、生産・消費・生成の3つ、記号・機能・象徴の3つ、再配分・市場・互酬の3制度をより滑らかに融合していくことが可能になる、ということです。

とすれば、ポスト消費社会は「三立社会(triangular society)と名づけるのがふさわしいでしょう。

生成社会、統合社会、複合社会の3つの社会が鼎立するとともに、生産・消費・生成の、記号・機能・象徴の、再配分・市場・互酬の、それぞれのバランス化をめざす社会という意味です。

今後の日本がこうした方向へ進むことができれば、閉塞感の強まる市場社会を再構築できるばかりか、望ましい統合社会や複合社会に向かって、新たな一歩を踏み出ことができるはずです。

現代の日本人に求められているのは、近代産業社会、近代市場社会の最終段階に向かって、基本的な9つの要素のバランスを回復し、成熟した三立社会へ向かって、社会全体の舵取りを徐々に調整していくことだと思います。

2019年9月19日木曜日

ポスト消費社会へ・3つの条件

これまで、ポスト消費社会の可能性として、生成社会統合社会複合社会の3つをあげてきました。それぞれの社会において、検討すべき要点を改めて整理してみると、次の3つに集約されます。



第1は
個体性の回復

生産者や消費者、あるいは生活者や生活人という概念に飲み込まれていた生成者生活民)という主体を回復させて、社会や市場に対抗できる個体性を取り戻ことです。

具体的にいえば、自給自足や物々交換を見直したり、モノからコトまで、情報から道具まで、既存の「ねうち」をデコンストラクト(解体・再構築)するなどの、独創的な生活行動を拡大していきます。


これによって、生産者、消費者、生成者(生活民)という、3つの立場のバランスを回復していきます。

第2は
象徴性の回復

私たちの生活願望を、表層的な欲望から深層的な欲動へ向けさせ、それによって願望の方向を記号志向から象徴志向へと拡大します。

ここでいう象徴とは、【
「象徴」を応用する!2016年4月9日】で紹介した、C・G・ユングの「原始心像」であり、夢や幻想の中に現れるイメージとして、言語が創り出した「記号」に対抗するものです。

この拡大によって、マスメディアや市場が押し付ける、さまざまな記号(流行、権威、誘導など)だけにとらわれず、生活者の内側からにじみ出る象徴(感覚、欲動、自律など)を重視する態度を伸ばしていくことができます。

具体的には、体感、欲動、象徴といった、言語化される以前の知覚を強化することであり、その延長線上に、象徴が集団的に共有された象徴制度(家族、血縁、地縁、知縁共同体)や象徴交換(贈与、寄与、互酬性)などの復権が展望されます。

こうした方法で弱まっていた象徴能力を回復させれば、記号、機能、象徴という3能力のバランスを復活させていくことが可能になるでしょう。

第3は
互酬制の回復

個体性の回復と象徴性の回復が重なると、生成者(生活民)が象徴制度になじんできますから、互酬制を再生させる可能性が高まってきます。

近代社会では圧倒的な市場交換によって圧迫されてきた再配分や互酬制、とりわけ互酬制を回復させることができれば、市場交換を抑制しつつ、再配分を再構築して、社会制度としての3制度のバランスを回復させることが可能になります。


以上のような3つの方向へ、従来の消費社会が的確に対応していくことができれば、ポスト消費社会には明るい展望が広がってきます。

それは単に消費社会の成長・成熟という次元を超えて、近代日本社会、さらには近代経済国家の新たな方向を示しているでしょう。

2019年9月9日月曜日

ポランニーの4制度を生活空間上に位置付ける!

これまで述べてきたK.ポランニーのいう4つの制度とその動向を、このブログで何度も述べてきた生活空間【生活空間から消費社会を考える:2019年5月11日】の中に位置づけると、図1から図3のように描くことができます。

古代から中世にかけては3制度・・・図1


横軸の社会制度や共生生活の分野で、「再配分」が記号的・理知的な制度として、また「互酬」が感覚的・習俗的な制度として、それぞれが位置づけられ、さらに私的生活から共生生活にまたがる分野に「家政」が、個人や家族の自律的・自給的な制度として存在します。



再配分」は、一方では国家による租税や公的年金・保険などの公的負担、他方では生活保障や年金・保険などの給付を、それぞれ理性や理念という高度にコト化された言語次元で制度化したものです。

また「互酬」は、贈与、遺贈、寄贈などの互恵行為を、言語以前の欲動次元に基づく象徴交換制度と見なしたものです。

そして「家政」は、個人や家族が相互の生活のために行なう、自給自足的な制度であり、横軸では私的生活から共生生活まで、縦軸では感覚・象徴的な願望から機能・性能的な願望や理性・記号的な願望まで対象にしています。



近代になるにつれて4制度・・・図2


旧来の2制度、「再配分」と「互酬」の間に「交換」が割って入ります。

「交換」という行為は、「あたい」の上下を合理的に判断するものですから、機能や性能を重視する欲求次元を中心に上下に広がります。







現代では「交換」が肥大して「市場交換」・・・図3

近代から現代へ進むにつれて、「市場交換」は「再配分」や「互酬」を、さらには「家政」までも押しのけるようになってきます。












現代消費社会を位置付ける・・・図4

以上のような推移の中に、現代の消費社会を位置づけてみると、図のように市場交換」制度の中の左側に広がる領域に相当します。

消費社会というと、現代社会の全てを覆っているようにも思えますが、全体的な社会・経済制構造の中に位置づけると、この程度の社会になるでしょう。



ポスト消費社会の方向・・・図5

とすれば、ポスト消費社会についても、市場交換、互酬、再配分、家政の諸制度がほどよくバランスした、図のような「複合社会」に向かって、3つの点で調整が必要になってきます。




 
 
 
 
第1は市場交換の縮小に比例した、適度な領域へ向かうこと

第2は再配分の適正化に応じて、税金や社会保障などとの関係を見直すこと


第3は互酬制の拡大に応じて、贈答、贈与、寄与などの生活行動と一体化をめざす


こうした方向へ向かうことによって、消費社会もまた複合社会の中に、それなりの立場を見いだすことができるでしょう。

2019年8月28日水曜日

複合社会へ進展する

ポスト消費社会論へ戻ります。

「統合社会への転換」という視点から、互酬制という、新たな生産・分配制度が浮上してきました。

実をいえば、この制度は、【
象徴制度を再構築する!2019年7月30日】で述べたように、文化人類学済人類学が、人類の歴史の中から発掘してきたものです。

その代表者である、経済人類学者のK.ポランニーによると、人類が歴史的に創り出してきた生産・分配制度、つまり経済のしくみには、互酬、再配分、家政、交換4つがある、といっています。




それぞれの内容を改めて確認しておきましょう。

互酬(reciprocity)・・・「義務としての贈与関係相互扶助の関係」であり、「主に社会の血縁的組織、すなわち家族および血縁関係に関わって機能する」制度として、「対称的な集団間の相対する点の間の(財の)移動」をいう。

再配分(redistribution)・・・「権力の中心に対する義務的な支払い中心からの払い戻し」であり、「主に共通の首長の下にある人々すべてに関して効力をもち、従って、地縁的な性格」の制度として(財が)中央に向かい、そしてそこから出る占有の移動を表す」ものである。

家政(house holding)・・・「自らの使用のための生産」であり、ギリシャ人が、「エコノミー」の語源たる「オイコノミア(oeconomia)と名づけていた制度として、「閉鎖集団」内の構成員の「欲求を満足させるための生産と貯蔵という原理」に基づいている。

交換(exchange)・・・「市場における財の移動」であり、「システムにおけるすべての分散した任意の二つの点の間の運動」となる制度である。

    (『大転換』『人間の経済』『経済の文明史』による)

現代風にいいなおせば、「互酬」とは家族や親族、さらには継続的な地縁・友縁などによる生活扶助制度、「再配分」とは国家による生活保障制度、「家政」とは個々人とその家族だけの自給自足制度、「交換」とは市場を通じて形成される生活構築制度ということになるでしょう。

これら4つの制度について、ポランニーは、常に同じ比重で存在してきたのではなく、時代とともに変化してきた、と述べています(『大転換』)。

つまり、「西ヨーロッパで封建制が終焉を迎えるまでに、既知の経済システムは、すべて互酬、再配分、家政、ないしは、この3つの原理の何らかの組み合わせ基づいて組織されていた」のですが、16世紀以降、重商主義システムの下に、初めて「市場」という、新たな交換システムが登場しました。

この交換システムは、19世紀に入ると、貨幣を交換手段とする市場経済へと発展しました。市場経済は、従来の〝付属物〟的な「市場」とは根本的に異なる「市場交換システム」として拡大しましたので、経済制度の中心は互酬、再分配、家政から交換へと移行しました。

しかし、それでもなお互酬、再分配、家政の役割は消滅したわけではなく、とりわけ再分配の比重は高まる傾向にある、とも述べています。

以上の視点にたつと、現代社会の望ましい生産・分配制度とは、一息に互酬制を回復することではなく肥大した市場交換を抑制しつつも、互酬、再配分、家政の諸制度をほどよくバランスさせた社会、ポランニーのいう「複合社会(complex society)」へ向かって徐々に進むことだ、といえるでしょう。

家族や集落の相互扶助だけに頼る互酬中心社会、社会主義国家や福祉国家のような再配分至上社会、個人や家族内だけで生産・使用する家政社会、企業や資本家だけが闊歩する市場経済社会の、いずれの一つだけに偏るのではなく、4つの制度を4つとも存続させながら、それぞれのバランスをとっていくという方向です。

あるいは、移りゆく時代の変化に応じて、その組み合わせを再構成したり、それぞれの内容を微妙に変換していくこと、といってもいいでしょう。

それゆえ、ポスト消費社会の第3の方向として、「複合社会への進展」があがってきます。第1の生成社会や、第2の統合社会とともに、第3の複合社会の中にも、ポスト消費社会は改めて位置づけられ、その方向を問い直されなければなりません。

2019年8月20日火曜日

ファミレスからパソレスへ!

16年前に筆者が予言した現象がいよいよ始まった、と思われる記事が日本経済新聞に掲載されましたので、ポスト消費論や統合社会論を中断し、この件をについて一言触れておきます。

16年前、まさに全盛時代だったファミレスの将来について、筆者は『
人口減少社会のマーケティング・・・新市場を創る9つの消費行動』(古田隆彦著、生産性出版、2003年7月刊)の中で、次のように予言しています。

70年代から続いてきた「ファミリーレストラン」という名称は、まもなく消えていくだろう。代わって「シングルレストラン」や「ディンクスレストラン」といった、新たな外食形態が拡大してくる。

家族の拡大によって、外食市場ではすでに、従来の「ファミレス(ファミリーレストラン)」から「ファミレス(ファミリーがなくなる)が進み始めている。

その9年後、「週刊現代」(2012年02月20日号)の特集「経済の死角」にも、筆者は
次のような展望を載せています。

ファミレスは3世代家族や子どものいる核家族をターゲットとして生まれたが、そのような世帯は全体の4割を切るまで減ったと見られる。

代わりに増えたのが単身者や独居老人で、ファミリーを対象にした形態やメニューではやっていけない。すでに衰退期に入った業態といえる。

これらの予言がいよいよ当たり始めました。

2019年8月17日、日本経済新聞夕刊1面に、次のような記事が掲載されています。


ファミレス「個客」歓迎・・・電源・ついたて・・・1人席充実 単身世帯増 取り込み競う


要旨は次のようなものです。

外食各社が「お一人様」の取り込みに本腰を入れる。

ファミリーレストラン「ガスト」は、席の両側についたてを配置し、電源を備えた1人席を拡大する。

定食店「大戸屋ごはん処」は1人でも快適に食事できる新型店を開業した。

単身世帯の増加が続くなか、従来はファミリー層の利用が多かった飲食店でも「個客」の取り込みが急務になっている。

ファミレスや焼き肉など家族層の利用が多かった飲食チェーンが「個客」向けの店舗を増やしているのは、単身世帯の需要を取り込むためだ。


国立社会保障・人口問題研究所によると、20年の総世帯数のうち単身世帯は36%となる見通しで、今後も増加するとみられている。

今さら、という感じもなきにしもあらずですが、もう一歩踏み込んで、「ファミレス」から「パソレス(パーソナル・レストラン)」など、業態ネーミングの変更動向にまで触れてほしかった、とも思います。

2019年8月9日金曜日

互酬制を再建する!

互酬や互酬制を再建せよ」という主張は、最近ではマーケティング批判という範疇を超えて、社会学者はもとより経済学者や政治学者、さらには文芸評論家にまで広がっています。

いうまでもなく、それぞれの意見において互酬の内容や範囲には違いがありますが、家族、親族、地縁などの共同体に、構成員相互間の生活扶助や生活支援を、一定の規模で委ねようとする方向はほぼ一致しています。


これらの意見の背景にある、主な論拠を探ってみると、次の3つに整理できます。

第1は国家制度の欠陥を補う視点

近代国家に特有の、社会保障制度の拡大やそれに伴う財政への過剰な負担を避けるため、さまざまな共同体による互酬性を再建し、負担の一部を分担してもらおうという意見です。

生活に関わる諸費用や必要サービスのほとんどを国家に頼る、北欧型の福祉国家モデルを見直し、個人を包み込む共同体との連携強化をめざしています。

第2は市場経済システムの欠陥を補う視点

市場経済の拡大が引き起こす格差拡大や貧困層の増加を救済するため、セーフティーネット(安全網)として、共同体を再構築するという意見です。

アメリカ型市場経済の利点は認めつつも、過剰な競争と加重する自己責任が、結果としてもたらすマイナス効果に対処していくには、互酬制による最終的保護が求められる、というものです。

第3は社会構造の欠陥を補う視点

現代社会の中に構造的に潜んでいる個人化・モナド(孤立)化に対処するため、さまざまな共同体による保護体制が必要とする主張です。

具体的には、伝統的な共同体の復活や新たな共同体の構築によって、多様な互酬性を拡大し、老齢者や幼少年の保護、弱小家庭への支援などをめざしています。

以上のように、幾つかの分野から一斉に互酬制への期待が高まってきたのは、人口減少や経済停滞などに伴って、現代社会が成熟した結果だといえるしょう。

人口が増加し、経済も伸びていた時代には、成長・拡大型社会の背後に密かに隠れていた、さまざまな欠陥が、次第に露呈してきたというわけです。

とすれば、これからの日本にとって、このような要請に応えうる互酬システムの再構築が課題になります。

その方向は大きく分けて、次の2つでしょう。

1つは破壊された共同体の再建

市場経済や福祉国家がなしくずしに壊してきた伝統的共同体、つまり家族や親族、村落や町内会などの共同体を改めて支援し、保護・育成する政策が求められます。

2つめは新しい共同体の構築

都市化や産業化の進んだ現代社会に対応するには、伝統的な共同体の再興だけではもはや不可能です。

そこで、ハウスシェアリングやルームシェアリングなどのシェアリング家族、老齢者や単身世帯などが相互支援を前提に一緒に居住するコレクティブ家族、緊急時の共同対応や生活財の共同購入などを行なうマンション共同体、共同で農業を営む新農業共同体など、すでに進みつつある、新たな共同体の萌芽を活かしつつ、未来型の互酬制の主体を積極的に育成していくという対応が必要になります。

もしも以上にあげたような新旧の共同体の増加によって、新たな互酬制を拡大していくことができれば、社会全体の安定感は徐々に増していくでしょう。

2019年7月30日火曜日

象徴制度を再構築する!

「コト・モノ・モト」論を一区切りしましたので、もう一度「消費社会からポスト消費社会へ」の第2条件「統合社会への転換」へ戻ります。

統合社会へ転換する!・・・その2:2019年6月26日】で述べましたように、「表層的な記号の支配を脱して、感覚や象徴の世界を回復させる」という方向は、消費社会を克服する手段として、B.スティグレール(Bernard Stiegler)などが積極的に提案しているものです。


スティグレールによると、20世紀型消費主義の尖兵であるマーケティングは、「中毒的消費」や「消費依存症」を拡大して、家族構造や文化構造などの「象徴制度」を破壊してきました【
差異化手法を批判する!:2016年2月11日】。

この病根を解毒するには、新しい「生の様式」や新たな「生き方」を作り出す「象徴制度」の再構築が必要ですから、「寄与の経済」や「贈与の経済」が中心の、次世代経済モデルをめざすべきだ、と提案しています。

彼のいう「象徴制度」とは、意識的な欲望や欲求次元の、さらに下に潜んでいる、無意識的な次元、つまり感覚や欲動の次元に広がる、最も始原的な世界認識体系です。

この象徴制度には、民族の習慣や習俗の歴史が幾重にも蓄積されており、モノやサービスの交換についても、北西部アメリカ・インディアンのポトラッチや、ポリネシア原住民のクラ交易のような「義務的贈答制度」が濃厚に残っています。

個人や集団もまた、この制度を巧みに利用して贈答や寄贈を行い、相互扶助を達成することができれば、新たな産業社会はその上に築くべきだ、というのです。

スティグレールが「寄与経済」と名づけている経済制度は、決して新奇なものではなく、文化人類学や経済人類学が20世紀の初頭から「互酬」あるいは「互酬制」とよんできた生産・分配制度です。

それは民族集団の中に潜む、集合的無意識や体感的な感覚に基づいた「象徴」体系であり、この体系を個人や集団がいわば無意識的に実践することによって、「贈与」や「寄与」といった交換行動が生れてきます。

互酬制を再建しようというのであれば、それはまさしく象徴社会の再建を意味していますから、統合社会をめざす第2の方向とほとんど同じです。

とはいえ、これだけ市場経済が拡大してしまった現代社会において、実際にそれを実現していくとなると、かなりの困難がつきまといます

どのような対応が求められるのでしょうか。

2019年7月20日土曜日

「モト」の3次元を考える!

「モノからコトへ」の次は「コトからモトへ」進むべきだ、と述べてきましたので「モト」の中身について少し触れておきましょう。

前回述べたように、「モト」には、(モト)、(モト)、(モト)の、3つの次元があります。

①感覚・体感・・・
②無意識・未言語・・・意識
③象徴・神話・・・

3つの次元については、【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で詳しく述べていますので、改めて要旨を紹介しておきます。

現象学の「エポケ(epokhē:判断中止)を応用して、記号界のさまざまな「欲望」をかなぐり捨て、そのうえで生理的な「欲求」や無意識的な「欲動」の次元へ降りていきます。すると、そこに見えてくるのは象徴や神話の世界であり、さらにその下には無意識や下意識の世界、もっと下には感覚や体感の世界が広がっています。



それぞれの次元に浮遊している「モト」とは何なのか、その中身は次のようなものです。

感覚・体感の次元
個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚、いわゆる本能の活動する次元です。

これらを鋭敏にするには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨て、直感的、感覚的な裸身をさらけ出すことが必要です。

野性的な動物や出産直後の乳児などの「本能」次元に立ち戻って、触覚、嗅覚、聴覚など視覚以外の感覚、つまり肌触り、快感、快汗、芳香、悪臭、美声、騒音などに敏感になることが求められるでしょう。


無意識・下意識の次元

身分けと言分けの裂け目から生まれてくるカオスが、どろどろと蠢いている次元です。

通常は意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想などの形をとって噴出し、記号で覆われた欲望の厚い膜を突き破って出てきます。

これを活かすには、無意識や下意識が見えやすい環境を、積極的に作り出すことが必要です。


眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを誘い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させる。それができれば、外部から誘導された欲望の虚構性が自覚され、生身の生活願望が見えてくるはずです。

象徴・神話の次元

無意識・下意識が漂う中で、言語や記号の生まれる以前のシンボル元型(archetype)が蠢いている次元です。

C.G.ユングによると、【
サインとシンボル・・・どこが違うのか?:2015年8月28日】で紹介したように、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である、と定義されています(『人間と象徴』)。


私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。

とすれば、象徴が生み出した元型【象徴」を応用する!:2016年4月9日】の微妙な動きやそれが繋がった神話の流れに敏感につかみ取ることが求められるでしょう。

なお、以上のような3次元を私たちが実際に活用する手法については、【差元化とは何か?:2015年8月】で詳述していますのでご照覧ください。

ともあれ、生活民自身が上記のような「モト」次元へと焦点をあて、それらを享受することができるようになれば、「モノ」や「コト」の次元を大きく飛び超えていく、一つの足掛かりとなるでしょう。