過剰な差異化現象、つまりカラーやデザインからネーミングやストーリー、さらにはブランドやファッションなどの紡ぎ出す、さまざまな悪弊から、私たちの初々しい生活世界を守り抜くにはどうすればいいのでしょうか。
まずは現象学の「エポケ(epokhē:判断中止)」を応用して、記号界のさまざまな「欲望」をかなぐり捨て、そのうえで生理的な「欲求」や無意識的な「欲動」の次元へ降りていきます。すると、そこに見えてくるのは象徴や神話の世界です。さらにその下には無意識や本能の世界があり、もっと下には感覚や体感の世界が広がっています。
記号化される以前の世界(モノ界)はおおむねこの3層で構成されていますから、そこから生まれてくるモノ=象徴によって、肥大化するコト=記号に対抗していくことができれば、モノとコトのバランスを回復することができるはずです。果たしてそれが可能なのか、一番下の感覚から入って、無意識、象徴の順に考えてみましょう。
①感覚の次元
感覚次元では、個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚をいっそう鋭敏にすることが求められます。マーケティングやマスメディアの作り出す幻想を最終的に打ち破るには、なんといっても自らの感覚を研ぎ澄ますことが必要です。
最近では不況のせいで、消費者の多くが「みせかけ消費」や「あこがれ消費」を脱して、「身の丈消費」や「実質消費」に移行していますが、その時、モノ選びの基準として頼れるのは、惑わされやすい視覚よりも、触覚や嗅覚など自分自身の感覚です。
こうした感覚を取り戻すには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨てて、直感的、感覚的な裸身をさらけ出す。野性的な動物や出産直後の乳児などの次元に立ち戻って、触覚、嗅覚、聴覚など視覚以外の感覚、つまり肌触り、快感、快汗、芳香、悪臭、美声、騒音などに敏感になることが必要です。
②無意識の次元
無意識次元においても、身分けと言分けの接点から生まれてくるカオスや本能の動きに、こまめに注意をはらっていく。それらは通常、意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想などの形をとって噴出し、記号で覆われた欲望の厚い膜を突き破ってきます。
とすれば、無意識や本能が見えやすい環境を、積極的に作り出したらどうでしょうか。眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを追い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させる。それができれば、外部から誘導された欲望の虚構性が自覚され、生身の生活願望が見えてくるはずです。
③象徴の次元
象徴次元では、シンボルや元型の動きに注意を払うべきでしょう。先に紹介したユングによると、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である、と定義されています(『人間と象徴』)。私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。
以上にあげた、3つの方法によって、個々人の持つ感覚・無意識・象徴力が回復できれば、私たちは記号の専横を少なくとも抑制することができるはずです。そこで、この3つの方法をまとめて「差元化」とよぶことにしましょう。
現代思想の分野では、観念・意識・記号の世界を生み出す力を言葉の差異に求めて、「差異化」とよんでいます。これとは正反対の感覚・無意識・象徴を強める力ですから、ユングの元型論に因んで、「差元化」と名づけたのです。
差元化は、モノ界の比重を再確認することで、肥大するコト界に拮抗させ、コトとモノのバランスを回復することを意味しています。
こうした方向を基盤にして、本来の意味での「モノづくり」力が回復できれば、マーケティングが衰弱させた「コトづくり」力やアイデンティティーを、もう一度甦らせていくことも決して不可能ではありません。
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