2019年7月9日火曜日

「モノ」から「コト」へ、「コト」から「モト」へ

前回、「コト・モノ・モト」論を紹介したところ、多くの皆様からリツィートやご質問をいただきましたので、本論をちょっと外れ、「モト」論を述べておきます。

最近、旧来型のマーケティングの世界では、「モノからコトへ」の次の消費動向として「トキ(時)」とか「イミ(意味)」、あるいは「エモ(エモーション)」などの言葉が提案されてきました。

これらは表層的な消費動向や経営学的なマーケティングの分析対象として予想されているもので、その限りにおいてはまったく構わないと思います。

しかし、より根源的、より理論的に生活行動の仕組みを思考しようとすると、ほとんど首尾一貫性のない、単なる思いつきのようにも思えてきます。

もともと私たちの意識構造は、【
分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】で述べたように、「感覚界=モノ界」をベースとして「言語界=コト界」と「現実界=モノコト界」の、3つの次元で構成されています。


モノ界」とは、本能や感覚器がとらえた限りでのモノの世界。

コト界」とは、「モノ界」の中から、言葉によって捉えられた限りでの世界。

モノコト界」とは、両世界の間にあって、言葉が捉えられなかった対象が浮遊したり、沈潜している世界。

このように考えると、「モノ」「コト」「モノコト」は、次のように定義できます。

モノ」とは、単なる物質や材質などを超えて、人間という種がその感覚で捉えた知的世界を意味しており、漢字で表わせば「」であり「」となります。

コト」もまた、単なるカラー、デザイン、ネーミング、ブランド、ストーリーなどを超えて、人間特有のシンボル化能力が描き出した
知的世界を意味しており、漢字で表わせば「」であり「」となります。

モノコト」とは、「モノ」と「コト」の間にあって、言葉が捉えきれないモノ、捉えていないモノなどを意味し、漢字の「物事」に相当しますが、やや異なる状態を示しています。

この「モノコト」は、言語的な「コト」界と本能的な「モノ」界の間を浮遊して、コトとモノを繋ぐ本源的な役割を担っていますから、その意味では「モト」とよんでもいいでしょう。

そこで、「モト」の実態を詳しく眺めて見ると、【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で述べたように、①象徴・神話、②無意識・未言語、③感覚・体感、の3次元に分けることができます。

①象徴・神話次元・・・

②無意識・未言語次元・・・意識

③感覚・体感次元・・・

とすれば、「モト」は「元(モト)」「下(モト)」「本(モト」の3次元で構成されていることになります。

これこそ、「モノからコトへ」のさらに向こう側に「コトからモトへ」を展望しなければならない、重要な理由といえるでしょう。

3次元の内容は、次回以降で考えていきます。

2019年6月26日水曜日

統合社会へ転換する!・・・その2

記号社会を前回のように位置づけると、消費社会の対象的な定義、つまり「記号を消費する社会」とは、【消費社会のポジションを考える!:2019年5月19日】の図4に示したように、横方向に伸びる記号社会に対して、縦方向に広がる消費社会がクロスする領域ということになります。

記号社会と消費社会の重なる、この部分こそ最も濃密な「純消費社会」といえるでしょう。

そうはいうものの、記号、情報、利子など、非物質的なネウチが過剰に膨らんだ消費社会は、
先に述べたように、需要者に本来備わったシンボル化能力を退化させたり、独自のアイデンティティーを混乱させるなど、さまざまな病状を引き起こしています。

いいかえれば、「記号が溢れる社会」とは、言葉やサインだけに過度に依存する社会です。

コト分け能力の一部分、つまり眼や耳といった情報受動器官や、言語処理能力といった大脳表層部だけを異常に肥大させる社会ともいえます。要するに、トータルな生活願望のバランスを失った、いわゆる「統合失調症」的な社会なのです。

こうした病状に対応していくには、【
異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】でも述べたように、表層的な記号の支配を脱して、もう一度、機能や品質はもとより、感覚や象徴の世界を回復させることが必要です。

それは多分、感覚的なネウチや象徴的な交換など、本能・体感や伝統・習俗に基づくネウチを再生させて、記号や機能とのバランスを創り出していくことを意味しています。

いいかえれば、モノコトのもっと深層にある「モト」を復活させること、と言ってもいいでしょう。

モト」とは何でしょうか。


 私たちの意識構造の縦軸は【身分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】で述べたように、感覚界、認知界、言語界の3次元で構成されています。

このうち、感覚界は表層から下層に向けて、象徴・神話界無意識・未言語界感覚・体感界に分かれていますが、この次元に潜んでいるのが「モト」です。

 「ノ」と「」の下にさらにその下にあるのが「モト」なのです。


そして、この「モト」は「元(モト)」「下(モト)」「本(モト」の3層で構成されています(詳しい解説は改めて行います)。

①象徴・神話次元・・・
②無意識・未言語次元・・・意識
③感覚・体感次元・・・

このように「モト」とは、表層だけの世界に執着してきた、私たちの意識をもう一度原点に復帰させることを意味しています。

とすれば、ポスト消費社会の条件とは、消費社会の枠組みに準拠しつつも、狭隘な記号志向を抜け出し、機能志向や象徴志向とのバランスを回復する方向へ、改めて歩き出すこととなるでしょう。



それは多分、上図に示したような、記号=欲望、機能=欲求、象徴=欲動の、三つの願望のバランスがほどよくとれた「統合社会(Integrated society)とでもいうべき方向だと思います。

2019年6月19日水曜日

統合社会へ転換する!・・・その1

消費社会からポスト消費社会へ・・・クリアしなければならない、3つの条件の第2は「統合社会への転換」です。

すでに【
消費社会のポジションを考える!:2019年5月19日】の図3で示したように、私たちの生きている社会をあえて分ければ、欲望、欲求、欲動に対応して、記号社会、機能社会、象徴社会の、3つに分割できます。

この中に現代社会の構造を当てはめてみると、当初は機能社会を中心に発展してきましたが、近年になると、記号社会の比重が次第に高まっていることが指摘できます。

近代産業社会においても、商品やサービスの最も基本的なネウチは、新たな機能、性能、品質など、物質的、実質的なものでしたから、産業革命後は、図3の中段、機能社会が急速に拡大しました。

その後も、産業社会は新たな機能、性能、品質を次々に生み出すことで発展してきましたから、さまざまなエネルギー源から情報技術まで、機能社会は今もなお現代社会の基本構造となっています。

しかし、20世紀後半、主要先進国が後期産業社会に入るにつれて、上段の記号社会が急速に比重を増してきました

上記の背景には次のような理由があります。

第1は、供給側の生産体制が整って供給過剰が進むようなった結果、機能や品質だけでは需要側への訴求力が落ちてきたため、カラー、デザイン、ブランド、ストーリーのような、記号的なネウチを加える対応が加速したからです。

第2は、いわゆる情報化社会が進むにつれて、情報や記号などへの需給が広がってきたことです。

この動向は世界の人口動向とも密接に関わっていますから、筆者の【
JINGEN〈人減〉ブログ】もぜひご参照下さい。

第3は、商品やサービスの直接的な売買や取引に加えて、利子や利潤など資本の取引から得られるネウチを重視する傾向が強まったことでしょう。

このため、昨今ではいずれの先進国でも、優れた機能商品だけでなく、優れた記号を交換するようになっています。

つまり、主な先進国の社会は、機能社会の上方に、もう一つ重なった記号社会へと重心を移しています。

物の有用性よりも、物にまつわる記号の消費が中心となった社会」とは、まさしくこうした社会です。

これを乗り越えて、もう一まろやかな社会へ向かっていくには、どうすればいいのでしょうか。

2019年6月8日土曜日

生成社会へ移行できるのか?・・・その2

消費主導社会を改革しようとすれば、まずは「生成社会」の成立可能性を確かめなければなりません。

消費(主導)社会が拡大するにつれて、経済や市場という視点からのみ見た「生産―消費」という、狭い構図に対する批判が高まり、当ブログで何度も述べてきたように、生産者や消費者を超える視点として「生活人」や「生活者」という概念が、改めて提起されてきました。

こうした視点を社会構造に拡大するとすれば、「消費者」が中心となる社会は、むしろ「生活人」や「生活者」が中心となった社会、つまり下図に示した「生活(主導)社会」へ進むべきだ、ということになります。


生活(主導)社会」とは、消費市場において、生産者から提供される商品やサービスだけで、自らの生活を構成するのではなく、あくまでもそれらを素材にして、主導的・自律的に暮らしを構築していく生活人や生活者が中心となった社会を意味しています。

いいかえれば、消費行動の対象を、従来の共効創造から個効重視へ、さらには
個効重視から私効尊重へ、と移行させていく社会です。

共効を生み出す生産主導から、個効を享受する消費主導へ、さらには私効を重視する生活主導へと転換していくことだ、といってもいいでしょう。

ところが、この生活人や生活者という概念には、
先に述べたようにかなりストイックでやや狭隘な人格が想定されています。

そこで、こうした限界を超えるため、当ブログでは「生活人」や「生活者」の概念を縦軸方向に広げて、新たに
「生活民」という概念を提起しました。

生活民とは、主に「欲求」を基盤にした生活人や生活者という人格を含むとともに、流行やファッションなどを求める「欲望」や、伝統や習俗に親しむ「
欲動もまた希求する、より広義の人格を意味しています。

つまり、与えられる「価値」や「効用」を「享受」する主体だけでなく、自ら
ねうち」を「生成」する生活主体を示しています。

そうなると、生活人や生活者を中心とする「生活(主導)社会」もまた、下図に示したような、生活民が主体となる「生成(主導)社会(generative society)」へ進むべきだ、ということになるでしょう。


消費(主導)社会の消費者が商品の「共効」を享受するのに対し、生活(主導)社会の生活者は、商品の「共効」に準じた「個効」を使用しますが、さらに生成(主導)社会になると、自分なりの暮らしを求める生活民が、商品の共効や個効をあえて解体・再構築し、自分なりの「私効」を創りだしていくからです。

このように、生産社会から消費社会へと進展してきた近代産業社会は、今後、生活社会から生成社会へ移行していくことが必要になるでしょう。

2019年5月27日月曜日

生成社会へ移行できるのか?・・・その1

消費社会からポスト消費社会へ、と進んでいくためには、次にあげる、3つの条件をクリアしなければならない、と思います。

生成社会への移行」「統合社会への転換」「複合社会への進展」の3つです。

第一の方向は「生成社会への移行」です。

近代産業社会は、
前回の図1のように、まずは生産者が市場をリードする「生産社会」として成長して、続いて前回の図2のように、消費者が市場をリードする「消費社会」へと移行しました。


産業革命の結果、19世紀から20世紀前半にかけて、ヨーロッパを中心に科学技術が工業生産を主導する「前期産業社会(early industrial society)が実現され、大量の工業生産物を市場に供給する体制が確立されました。

もっとも、この時期にはまだ需要量の拡大に供給量が追いつかなかったため、生産者が消費市場をリードする「生産(主導)社会」が続いていました。

しかし、20世紀も後半になると、新たなリーダーとなったアメリカが、科学的生産管理法や品質管理法などを取り入れて、大量に生産した工業製品をそのまま消費市場へ送り込む「後期産業社会(late industrial society)へと発展させました。

この社会では、供給量が需要量を追い越すにつれて、需要側の立場が次第に優位になり、消費者自身が消費市場をリードする「消費(主導)社会」が実現しました。

その後、20世紀の終わるころには、世界の主要先進国はいずれも消費(主導)社会に入りました。

このため、供給側も消費者の好みや願いを細かく探し出し、それに対応する商品やサービスによって、なおも生産を拡大しようとしましたから、消費市場では過剰なブランド志向や偏執狂的なカスタマイズ対応など、いびつな構造が強まりました。

時には「浪費が豊かさの中心となった社会」という表現まで囁かれているようです。

こうした異常事態については、本ブログで紹介してきたように、先見的な理論家や識者の中から、鋭い批判が提起されています。

資源・環境視点からの批判はもとより、産業社会や市場社会の需給構造そのものへの反省も広がっています。

このような消費主導社会を改革するには、まずは「生成社会」の可能性を確かめることでしょう。

2019年5月19日日曜日

消費社会のポジションを考える!

「消費社会」をよりマクロな社会・経済構造の中に位置づけてみると、主導的定義と対象的定義の2つの視点によって、そのポジションが変わってきます。

主導的定義では、横軸を基準にして社会をリードする主体の変化をとらえますから、図1に示したように、まずは「生産(主導)社会」が社会制度と共生生活の上に成立した、といえるでしょう。




だが、時代の流れとともに変化して、図2に描いた如く、共生生活の上に「消費(主導)社会」が被さってきたのです。


他方、対象的定義では、縦軸を基準にして社会構造の違いを分けていますから、近代の産業社会も当初は中段、欲求次元の「機能社会」として広がりました。

その後、供給過剰の進行に伴って「物の有用性」よりも物にまつわる記号」の消費が拡大したため、図表3の一番上、欲望次元の「記号社会」へと移行しました。


両方の定義を重ね合わせてみると、消費社会とは、横軸上では共生生活の上に比重をおく「消費(主導)社会」であり、また縦軸上では欲望次元の「記号社会」に相当します。

とすれば、主導としての消費(主導)社会と、対象としての記号社会互いにクロスした領域、つまり図表4に示した「純消費社会」こそが、最も濃密な消費社会といえるでしょう。

 

消費社会がこのような特性を持っている以上、この社会に潜む、さまざまな問題点を乗り越えて、ポスト消費社会へと進むためには、幾つかの条件をクリアしていかなければなりません。

2019年5月11日土曜日

生活空間から消費社会を考える!

消費社会の問題点を考える場合、対象的視点主導的視点の、両方からのアプローチが必要です。

そこで、主導的な定義と対象的な定義を、これまで述べてきた生活空間、つまり縦軸と横軸でとらえなおしてみましょう。

図1にあげた生活空間は、縦軸に心理構造
欲望―欲求―欲動】をとり、横軸に言語構造ラング―パロール1―パロール2】を援用した【社会制度―共生生活―私的生活】をおいて、両者をクロスしたものです。


こうした視点は、人間の言語能力そのものに準拠していますから、生活願望やねうち構造を超えて、社会・経済の構造にも拡大できます。

実際にこのフレームによって経済の構造を考えてみると、図2の横軸【社会制度―共生生活―私的生活】には、【経済制度―経済行動―生活行動】が該当します。



社会制度には「既存の貨幣制度や生産・流通・市場経済システム」という経済制度が、

共生生活には「既存の経済システムに則って個人や集団が行なう売買、取引、消費」という経済行動が、
私的生活には「既存の経済システムを自在に変換して私人が行なう私的な行為」という生活行動が、
それぞれ含まれているからです。

また縦軸【欲望―欲求―欲動】の各次元に、私たちの生きている社会の構造を振り分けてみると、図3のように【記号社会―機能社会―象徴社会】が浮かんできます。




記号社会とは「言語や観念、デザインやブランドなどで構成された社会」、
機能社会とは「機能、性能、品質など、物質的、実質的な環境が広がる社会」、
象徴社会とは「感覚的なネウチや象徴的な交換など、体感・知覚や伝統・習俗に基づく社会」を、
それぞれ意味しています。

以上のような社会・経済構造の中に、消費社会を位置づけてみると、主導的定義対象的定義の2つの視点によって当然変わってきます。

どのように変わるのか、次回から眺めていきましょう。

2019年4月28日日曜日

消費社会の何が問題なのか?

費社会を積極的に形成してきたアメリカと、それに追随してきたヨーロッパ・・・という事情があるためか、消費社会を問題視する意見は、そのほとんどがアメリカ以外の国々から発信されています。

例えばフランスからはB.スティグレール(Bernard Stiegler)が、またイギリスからはJ.ヤング(Jock Young)などが、それぞれ厳しい批判を展開しています。
 
 
何が問題なのか、社会的な問題点を改めて抽出してみると、次のような事項が指摘されてきます。

B.スティグレールが批判するのは「欲望の瓦解」です。差異化手法を批判する!:2016年2月11日】ですでに述べていますので、要点を上げておきます。


1970年代以降の消費社会は、テレビ、携帯電話、電子手帳、コンピューター、ホームシアターなどによって、ハイパーインダストリアル時代の人工的、擬似的な「器官学的地平」を作りあげてきました。

こうした環境は「象徴の貧困」を引き起こしています。


彼のいう「象徴」とは「知的な生の成果(概念、思想、定理、知識)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方」を意味していますが、それが「貧困」になるというのは象徴の生産に参加できなく」なって「個体性」が衰退していくことを意味しています。

その結果、個々人が本能的に持っていたはずの生活願望を衰弱させ、「中毒的消費」や「消費依存症」に向かわせている、というのです。

これこそ、彼が「象徴の貧困」と名付けて指弾する、消費社会の問題点です。

J.ヤングはさらに拡大した視点から、「排除型社会」の拡大を告発しています。基本的な視点は【差異=排除」を指摘するJ・ヤング:2016年2月23日】で述べています。


消費社会は、市場社会や個人主義と絡み合って、近代後期社会(late modernity)を形成した結果、「排除型社会」の一翼を担っている、という指摘です。

1970年以降、新たに生まれた消費社会は、フォーディズム時代の無味乾燥な大量消費やレジャーから、ポストフォーディズム時代の多様な選択肢や個人主義の文化のもとで、刹那的な満足や快楽、自己実現を重視するものへと移行してきました。

この変化によって、後期近代社会は「多様性を消費する社会」、つまり「差異を商品として仕立て直し、街角のスーパーマーケットや書店で売り飛ばす社会」に変わってしまいました。

こうした「多様な選択肢や個人主義の文化」のもとでは、刹那的な満足や快楽、自己実現が重視されるあまり、その内部のあらゆる箇所において「排除のメカニズム」を創り出しています。

それゆえ、消費社会もまた「人間を吐き出す』奇妙な機械」の一翼を担っている、というのです。



スティグレールの批判は、どちらかといえば消費社会の対象的な側面に向けられていますが、ヤングの指摘は、社会と個人の関係という、主導的な側面に比重があるように思えます。

とすれば、消費社会の問題点を考察する場合にも、対象的視点と主導的視点の両方からのアプローチが必要になるでしょう。

2019年4月18日木曜日

消費社会とは何だろうか?・・・2つの定義がある!

消費市場から生活素場へと、供給側からの私効支援が進んでいけば、今後の市場社会には、単なる〝消費〟社会から〝生成〟社会ともいうべき方向へ、新たに進んでいく可能性が生まれてきます。

生成社会とは、生産と消費の調和した社会、生産者と需要者が統合化された、近代社会の最終目標「ラストモダン」を意味していますが、その前に「消費社会」とは何かを考えておきましょう。

消費社会(consumer society)という言葉が、世の中に定着してから、どれくらいたったのでしょう。マーケティング関連分野では、今でもなお肯定的に扱うケースが多いようですが、学者やジャーナリストの中には、過剰消費や環境問題などに絡めて、否定的にとらえる論調も増えています。

一体、消費社会とは、どのような社会をいうのでしょう。

辞書で確かめてみると、一方では「消費の領域が拡大して、消費が生産を規定する社会」(広辞苑)というように、生産と比較した定義があります。

他方では「高度に産業が発達し、生理的欲求を満たすための消費ばかりでなく、文化的・社会的要求を満たすための消費が広範に行われるような社会」(大辞林)、あるいは「産業が高度に発達し、生きていくのに必要な消費だけでなく、文化的な欲求を満たすための財やサービスの消費が大量に行なわれる社会」(日本国語大辞典)など、消費の質的変化を指摘する定義もあります。




前者のような「消費が生産を規定する社会」という定義は、主にアメリカで使われています。


例えば経済心理学者のG.カトーナ
大衆消費社会mass consumption society,1964)」という言葉で「大衆による大量消費が特徴となった社会」を表しています。

また歴史家のD.ブーアスティン
消費社会consumption communities,1974)」という用語に「消費者による民主化の進む社会」という意味を担わせています。

どちらも、大衆や消費者が主導する社会を意味しています。

一方、ヨーロッパの学者の多くは、後者のような「文化的消費が中心になる社会」と見なしています。


例えばフランスの社会学者J.ボードリヤール
消費社会la societe de consommation,1970)」を「物の有用性よりも、物にまつわる記号の消費が中心となった社会」の意味で使っています。

 またイギリスの歴史学者J.サースク
消費社会consumer society,1978)」という言葉によって「生活必需品以外の物の製造と販売が恒常的に行われている社会」を表現しています。

これらでは、主に消費行動の対象面から、消費社会が定義されています。 

以上のように、消費社会の定義については、アメリカとヨーロッパでやや異なり、前者では「誰が主導しているか」という主導的視点で、また後者では「何が消費されているか」という対象的視点で、それぞれ議論が進められているようです。

ここには、消費社会を積極的に形成してきたアメリカと、それに追随してきたヨーロッパの、それぞれの立場が反映されている、といえるでしょう。

2019年4月10日水曜日

消費市場を“生活素場”へ変えていく!

生活民自身の差延化行動が拡大すれば、既成の「消費市場」もまた「生活素場」へと“脱構築”されていくことになります。

こうした方向を生活民の立場から、より積極的に進めていくには、どうすればいいのでしょうか。

 




それは多分、供給者サイドに向けて、商品開発や流通革新のあり方を、次のような方向へ転換するように、適切に誘導していくことだと思います。

供給行動の目標を変えてほしい!

 従来の供給手法が主に目標としてきたのは、量産された市場的な「共効」の差を、いかにして新たに作り出すかという「差別化」や「差異化」でした。

しかし、これからは、個々の需要者がそれぞれ独自に差を広げられる「差延化支援ヘと、その軸足を移していくことが望まれます。

いいかえれば、供給者が予め決定した、売買時の「共効」に関する「ねうち」対応から、需要者が使用中に作り出す「私効」を拡大させる、新たな「ねうち」対応へと移行していくことでしょう。

“最小共通素”をめざしてほしい!


これまでの商品開発では、できるだけ多くの需要者を獲得できる“最大共通素”を狙ってきました。

しかし、差延化に対応していくには、むしろ“最小共通素”を提供するほうがより適切になってきます。


最小共通素とは、需要者の求めるさまざまなネウチの中の、最も基礎になる部分ですが、それはまた他人の求める最小部分とも共通している要素です。

とすれば、一つの商品に占める最小の共通要素とは何なのか、それを徹底的に追求したうえで、需要者自身にそれらを組み合わせてもらったり、重ね合わさせてもらうことを前提にして、各々の満足感を高めていくような開発手法が求められます。

こうした方向は、従来の商品開発の手法からいえば、まったく逆転の発想ともいえるでしょう。

需要者の自作願望を刺激してほしい!


商品やサービスそのものに、予め参加勧誘姓、多用途性、変換刺激性などの要素を組み込んで、需要者がそれを手にした時、何か変わった使い方をしてみたい、自分なりの使い方をしてみたい、というような気持ちを引き起こさせることが必要です。

それには、商品の用途をあまりキッチリとは作らないで、ある種の“隙”や“ゆとり”を持たせ、需要者自身に遊んでみたいと思わせるような、事前に仕組むことが求められるでしょう。

素材や部品の販売に、指導・助言や組み立て代行などを加えてほしい!

 一つの商品や素材を売る場合、その中に差延化を誘い出すような情報サービスや組み立てサービスを、同時に織り込んでいくことが求められます。

それには、商品そのものに“私効”的な情報やサービスを組み合わせて売り、それによって付加的な有用性を高めていくという手法が考えられます。

流通市場の役割を変えてほしい!

上記のような商品対応の変化を受けて、流通市場もまた「共効」を売る場所から、柔軟な「私効“素”」を提案する場所へと大きく変えていくことが求められます。

さらには供給側として商品を「売り切る」場から、需要者が私効素を「使い切る」までの、修繕・再生・廃棄などのサービスを含む、長期的な需要―供給の場にもまた転換させていくことが必要でしょう。

以上にあげた5つの方向へと、既存の消費市場を向かわせることができれば、供給者は「価値創造」や「効用創生」という次元を大きく超えて、より自律した需要者の生活形成、つまり「私効生成」に役立つ商品やサービスを提供していけるようになるでしょう。

それは、消費市場だけを前提にしたマーケティングの時代が終わり、新たに「生活素場」に向けた「私効支援(エフィカシィ・サポーティング:efficacy supporting)という時代の幕開けを告げています。

2019年3月30日土曜日

差延化行動の3つの特性

これまで述べてきたように、差延化という行動は、供給者の差し出す「ききめ」、つまり「共効」を素材として、需要者一人ひとりが独自の「ねうち」、つまり「私効」を積極的に創りだそうとする生活行動です。

用語の定義は【
「価値」と「効用」・・・大和言葉で考える!2018年7月20日】参照

その特性は、従来の「価値」受容や「効用」是認といった消費行動を大きく超えた、新たな生活行動として、次のように整理することができるでしょう。

第1は時系列的な「使用価値=ねうち」の変化


一般的にいえば、商品の「価値」や「効用」は買った時が最高で、使っているうちに次第に減少していくものですが、モノの「私効」は、編集、参加、変換、手作りといった創造的な生活行動が重なるにつれて、ますます膨らんでいきます

つまり、差別化や差異化における「価値」や「効用」は、購入時に最高ですが、差延化における「私効」は、需要者の関与が付加される毎に増加していきます。


「有用性」の源泉である「差」は、時間とともに「延長」し「拡大」し続けるのです。

第2は人間とモノの関係の変化


私効が時間とともに増加する可能性を持っている以上、需要者は商品を“消耗”するのではなく、使っている間により深い関係に入っていきます。

つまり、購入した商品を「消費」するのではなく、それと「同化」するのです。

このため、商品を“使用”するという行為は、需要者が商品と「同化」していく、時間的な「関係」に入ことを意味しています。


第3はモノの性格の変化

差延化が拡大していく社会では、商品は万人に共通の「価値」や「効用」から、一人の需要者にとっての「私効“素”に変わっていきます。

つまり、消費市場から提供される商品とは、万人にとっての「効用」を示すものではなく、一人の需要者が「私効」を作り出すための“素材”になるのです。

3つの特性によって、差延化という生活行動は、市場社会から押し付けられる「価値」や「効用」を抑制し、需要者自身の生活力を拡大していきます。


 
これにより、生活民の個体性を大きく復活させ、それぞれのアイデンティティーを再生させていく可能性もまた生まれてきます。

さらにいえば、生活民の差延化行動の拡大によって、既成の社会的装置としての消費市場の諸機能は“生活素材”市場へと脱構築されていくことになるでしょう。

参考・・・【
〝差延化〟で消費市場を脱構築する!:2017年2月25日】

2019年3月19日火曜日

差延化5行動の関係を考える!

生活民の5つの差延化行動を、【「生活体」を提唱する! 2015年2月23日】で提唱した生活構造の縦・横軸で考えてみましょう。

縦軸については【
縦軸が生み出す3つの生活願望・・・欲動・欲求・欲望:2015年3月4日】前後で、また横軸については【横軸が作る3つの生活願望・・・世欲・実欲・私欲:2015年3月9日】前後で、それぞれの意味を述べています。

つまり、縦軸はコト―モノ軸、横軸はラング―パロール軸ともいえますが、両者をクロスさせた生活空間の上に、5つの差延化行動を位置づけてみると、下図に示したように、第2~3象限において上下左右に広がっています。









この図において、それぞれの行動の意味を考えてみると、おおむね次のような特性が指摘できます。
 

 私仕様、参加、手作り上下に並んでおり、「手作り」は主にモノそのものへの関与、「参加」はモノを素材にしてコトへ近づける行為、そして「私仕様」はモノには手を出さないものの、コトには関与するという行為を意味しています。

3つの行動は、コトとモノの関係である「有用性=ねうち」を見直ことで「共効」を「私効」化しようとする程度を示しています。

編集変換は、参加を間に挟んで、ラング―パロール軸上を水平に並んでおり、「編集」はコトーモノ軸のさまざまな既存「共効」を自ら組み合わせる行為、「参加」は「共効」に手を加えて「私効」化する行為、そして「変換」は既存の「共効」を一気に「私効」へと変えてしまう行為です。


3つの行動は、モノとモノの間にある「相当性=あたひ」を見直すとで「共効」を「私効」化しようとする流れを示しています。

③5つの中で、「私仕様」については、「カスタマイゼーション」とよばれるマーケティング手法で企業側から対応されていますが、批判的な言説もあるとおり、画一性の細分化にすぎない、とも言えます。

④コト―モノ軸の上に位置する「編集」という行動も、「共効」に近いところで「私効」を求める行為ですから、「共効」の変形と言えるのかもしれません。

⑤残りの3つ、つまり「参加」「手作り」「変換」という行動は、やはり画一的な「価値」や「効用」を脱して、需要者の自立を促すものですから、単なる「共効」受容を脱して、少しでも「私効」実現を果たそうとする行動と言えるでしょう。
 
以上のように、5つの差延化行動は、それぞれが「私効」の拡大をめざすものであり、さまざまな批判があったとしても、それは単に各行動における有効性の強弱にすぎない、と考えるべきでしょう。

2019年3月10日日曜日

私仕様・・・供給体制に転換を迫る!

生活民の差延化行動の5つめは「私(わたくし)仕様」です。

現代の消費市場において、供給者が提供する商品やサービスの〝最大共通素〟的な「共効」だけでは満足できなくなった生活民は、オーダーやセミオーダーなどで「私仕様(カスタマイズ)を発注し、自分自身の「私効」を実現しようとしています。

現に私たち生活民の多くは、さまざまな生活分野において、究極的には自分の身体や気分にぴったりのモノやサービスを求めていますが、既存の消費市場では必ずしもそれらが得られるとは限りません。そこで、彼らは、できるだけそれらに近いものを得るため、例え費用はかかったとしても、特注として購入しています。

こうした行動は、眼鏡や紳士服・婦人服などを中心に水着、下着、紳士靴・婦人靴、スポーツシューズから家具、パソコン、カスタムカー、食品、化粧品にまで広がっています。

これまで生活財の分野において「個効」や「共効」を「私効」に変えるのが「差延化」だと述べてきましたので、その論理でいえば、「私仕様」とは「個効」や「共効」をそのままにしたまま、一気に「私効」をつかみ取る行為ということになるでしょう。

あるいは、「私仕様」とは「個効」や「共効」を通過せず、「私効」そのものを直接的に供給者から購入しようとする行為、さらには、「個効」や「共効」をスルーして、直接「私効」へ到達する行為ともいえます。



以上のような「私仕様」に生活民がいかに対応していけばいいのか。このことについては、すでに【
私仕様」・・・生活民はいかに付き合うか?:2017年1月9日】で述べていますが、近頃ではインターネットやAIなどの進展によって、もう一歩進んだ対応が求められるようになってきました。

第1はインターネットやAIを活用した「私仕様」の拡大

インターネット通販の拡大は、売買の簡便性や利便性を上げるだけでなく、ユーザー一人ひとりの要求に個別に対応できる、新たなオーダー方式の可能性を増しています。

例えば携帯端末とAI応用体型計測技術の組み合わせによって、より高度な「オーダーファッション」や、個別ユーザーの要望にきめ細かく対応できる「オンデマンドオーダー」などが可能となり、衣食住から始まって、移動や情報に至る諸分野へ急速に広がり始めています。これからの生活民には、こうしたオーダー様式を巧みに使いこなす能力が求められます。

第2はインターネットを経由した供給者の多様化


SNSや個人サイトなどインターネットによる供給網の多様化で、「私仕様」を求める生活民は自分の感性や目的に見合った供給者を幅広く見つけることが可能になります。そこで、従来の大手や中堅企業だけでなく、AIを使いこなす小企業や個人営業者などにも発注し、純個性的な「私仕様」を共創的に仕上げていく能力が問われることになります。

第3はインターネットやのAIからの離脱


インターネットやAIが急速に拡大するにつれて、それだけでは飽き足らない人々も次第に増加し、ネット以外のナマ情報や口コミ情報への需要も拡大していきます。

とりわけ、生活民の「私仕様」願望には、もともと反・市場的、あるいは反・量産的な感性が下敷きになっていますから、ネットやAIに頼らないで、友人や知人などの口コミだけによるオーダー方式や委託方式への期待もまた高まってきます。

これに対応するには、生活民と供給者の両側において、"顔の見える"オーダーシステムや委託システムを準備する必要が高まってくるでしょう。

以上のように、「私仕様」行動の拡大は、市場社会や情報化社会の需要―供給構造そのものを差延化していく、絶好の機会となるでしょう。

2019年2月27日水曜日

編集・・・思考や判断で個効を私効化する!

生活民の差延化行動の4つめは「編集」です。

本格的な「自給自足」にはいささか躊躇する生活民も、さまざまな商品が溢れている消費市場の中から、幾つかの既成品を購入したうえで、自らの手は加えないものの、自由自在に「編集」を加え、自分なりの「私効」品を作り上げるという行為についてはしばしば採用しています。

具体的な事例はすでに【
編集・・・問われるのはコトとモノの調整力!:2017年2月4日】で触れていますが、生活民という立場からから見れば、次のようになります。

マイブレンド酒・・・生活民がバーのカウンターにズラッと並べられたウィスキーのモルト(原酒)を選びだし、さまざまに編集しながら、自分だけの「マイウィスキー」を作り出す生活行動。

惣菜バイキング・・生活民がさまざまな惣菜を自由に組み合わせて、好みの献立を作りあげる生活行動。惣菜店の店頭にズラッと並んだ50~60種の惣菜、値段は100グラム150~300円の2種類。生活民は値段別のプラスチック容器に種類も量も自由に取って、カウンターで1回計量するだけ。別売りのごはんと合わせると、体調や好みに見合った弁当ができあがります。

自由編集アクセサリー・・生活民のアイデアで、1つの素材がブローチになったり、ペンダントになったり、いろいろなデザインを楽しめる、フリースタイルのアクセサリー素材。生活民がその時の気分でいろいろと工夫して、より満足度を高めることができます。

高級コンポステレオ・・ちょっとマニアックな生活民が、A社・B社・C社の商品の中から最良の部品を買ってきて、独自に組み合わせ、自分好みの音感を作り出します。

これらの事例を見ると、「編集」行動とは、モノには直接手を加えないものの、コト次元の組み合わせや変換によって、モノ次元の「共効」や「個効」を「私効」に変えてしまう生活行動ということになります。

しかし、こうした行動は情報、映像、音声などコト次元の供給財についても行えますから、その場合にはコト次元の「共効」や「個効」を「私効」に変えてしまう生活行動ということにもなります。



とすれば、「編集」行動とは、生活民が市場から取得したコトとモノに対し、自ら思考や判断を介入させることで、「共効」や「個効」を「私効」に変えてしまう生活行動といえるでしょう。

2019年2月19日火曜日

参加・・・差延化行動の妥協策

生活民の差延化行動の3つめは「参加」。従順な「消費」行動と積極的な「差延化」行動の妥協策といえるものです。

現代の市場社会に生きる生活民の中には、供給者の差し出す「共効」だけでは満足できない者も増えています。

彼らは「手作り」や「変換」までとは行かないものの、自らが商品作りに「参加」することによって「私効」を満たそうとする行動へ向かいます。

目標とする「私効」をめざして、~8割ほどの素材や部品を消費市場から購入し、その「個効」を活かしつつ、残りの2~3割については自らの手を加え、それによって最終的な「私効」品を作り出すという行動です。




具体的な事例は、【
「参加」・・・生活民はこのように付き合え!:2017年1月21日】で触れた通り、組み替えスーツ、自由設計プレハブ住宅、手作りキット家具、自作用ログハウスなどがあげられます。

組み替えスーツ・・2着のスーツでジャケットとパンツを組み替えて4通りの着こなしが可能になる「組み換えスーツ」も、ユーザーの参加性を実現しています。

自由設計プレハブ住宅・・・外観や内部の設計に意見や要望を柔軟に要求できるプレハブ住宅で、参加性を高めることができます。

手作りキット家具・・・予めカットされた木材、ネジやパーツがセットされたキットを購入して、それぞれを組み合わせつつ、ユーザーは自らの意向に沿った家具を仕上げることができます。

自作用ログハウス・・手作りキット家具がさらに大規模化したもので、すべてプレカットした部材をフルキットで購入し、大型の機械や専門的な工具を使わなくても、マニュアルに合わせて組み立てるだけで、ユーザーの自由設計を組み込んだログキットハウスを完成させることができます。

このほか、食品・飲料分野の製造工程参加、衣料分野のデザイン参加型ファッション、キャラクターシールやデコレーション用具によるマイグッズ化、インターネットによるデザイン参加、乗り物分野のキットカー改造バイク、住宅分野のDIY(ドゥー・イット・ユアセルフやガーデニングなども、この分野の先例といえます。

以上のように、「参加」行動は、消費行動と自給自足行動の接点に位置するもので、市場社会に生きる生活民の、最も現実的な生活行動ともいえるでしょう。

2019年2月9日土曜日

変換・・・差延化行動の極致!

生活民の差延化行動の2つめは「変換」。これこそ、差延化」行動の極致といえるものです。

現代社会に生きる生活民は、ほとんどの生活財を市場から購入し、「共効」を「個効」として、それぞれの暮らしを作り上げています。

しかし、生活民の中には既存市場で流通する商品の「共効」をほとんど認めず、市場から既製品を購入はするものの、既存の用途「個効」としては使用せず、それを大きく「変換」して、自らの「私効」を実現する人たちが増えています。

すでに
「変換」・・・生活民マーケティングの神髄!2017年2月13日】で紹介していますが、代表的な事例は次のようなものです。

100均商品(100円ショップの商品・・・コーヒーフィルターをリースやランプシェードに、ザルを壁掛け時計に、ステンドグラスオーナメントを窓枠風インテリアに、焼き網をウォールシェルフに、フォトフレームをガラスケースに、100円手ぬぐいを子ども服に・・・などなど、生活民はすでにさまざまな転換を実現しています。

工業・工作用のマスキングテープ・・さまざまに変換されています。壁紙、写真フレーム、窓飾りなどのインテリア化は勿論、メガネフレーム、ブローチ、折り紙ネックレスなどのアクセサリー化、ギフトラッピング、グリーティングカードなどの交際グッズ化というように、多様な変換事例が生み出されています。

風呂敷・・・さまざまな使用法が生み出されています。粋なデザインが描かれていますから、壁掛けやテーブルクロスにもなりますし、ネッカチーフとしても使えます。

冷蔵庫・・・真夏に独身女性がどのように冷蔵庫を使っているのか、アンケート調査では食品しか上がってきませんが、実際に写真を撮ってみると、食品以外に化粧水、薬品、ビニール袋に入れた通帳や現金、新品のパンティストッキングも入っています。ストッキングは、一度冷凍すると伝染しにくくなるからです。


また冷凍庫には生ごみ入っています。1週間単位で生活していると、毎日は捨てられないので、腐臭を避けるために冷凍してしまうからです。

さらに先端的な事例は、緊急時のために冷蔵庫へ入れておく救急医療情報キット「
命のバトンでしょう。

とすれば、冷蔵庫は必ずしも食べ物を保存するだけのものではない。生活民はむしろ総合保管庫、あるいは総合ごみ箱に変換しているのです。 

以上の事例の中で、冷蔵庫のケースを考えると、本来の「ねうち」は食品や飲料を冷却保存すること(共効)であり、多くの消費者はそれに従ってさまざまな食品を保存しています(個効=ききめ1)。

ところが、独創的な生活民の中には、薬品や化粧水、あるいは銀行通帳や現金など、さらには緊急時用の「命のバトン」を保存するという保管機能(私効=ききめ2)を実現する者もいます。

こうしたユニークな使用法が広がると、「私効」がやがて「個効」に変わり、ついには「共効」となっていきます。



言語行動において、「ヤバイ=危ない」というラングが、一部の若者の間で「ヤバイ=すごい」(パロール1)から「ヤバイ=カッコイイ」(パロール2)へと“差延化”されているうちに、ついには「ヤバイ=感動的」(ラング)となってしまったことと同じなのです。

2019年1月30日水曜日

「手作り」の実態を考える!

「手作り」行動を「手作り1」と「手作り2」に分けて考えてきましたが、私たちが生きている市場社会においては、実際のところどのように行われているのでしょうか。

「手作り」・・・生活民マーケティングの基本!】(2017年2月21日)において、さまざまな事例をあげて詳述しましたが、「手作り」行動とは、本格的な「私効」実現をめざす生活民が「自分の手で作る」自給自足をめざすものです

とはいえ、現代の市場社会では、本格的な自給自足などほとんど不可能ですから、実際には2~3割程度の素材や部品を購入し、7~8割の手を加えて「手作り」品を実現させるケースが多いでしょう。

この「7~8割の手を加える」行動についても、「手作り1」と「手作り2」の、2つがあります。

手作り1」とは、料理や裁縫などのレシピ、電気製品などのマニュアル、ハンドメイド・アイデア・サイトといった、既存の手順に従って、自らの「手作り」行動を実現していく行動です。

他方、「手作り2」とは、さまざまな既存手順を参考にしつつも、さらに自分なりの独創を加えて、まったく新たな「手作り」手順を作り出し、かつ実行していく行動を意味します。

その結果、実際の「手作り」行動では、「手作り1」と「手作り2」が絡み合って、複雑なケースが生まれてきます。食品を事例にとって、実例を考えてみましょう。

①一つの料理の素材となる野菜を自ら栽培する場合にも、一般的な栽培法に従うケース(手作り1)と、全く新たな栽培法を試みるケース(手作り2)があります。

素材を調達する場合にも、 市場で素材を買うケース(手作り1)と、自ら収穫した素材を使うケース(手作り2)があります。

素材を調理する場合にも、一般的な調理法に従うケース(手作り1)と、自ら考案した、新たな調理法を試みるケース(手作り2)があります。

一品に仕上げる場合にも、一般的な一品を作るケース(手作り1)と、自ら考案した、独創的な一品を作るケース(手作り2)があります。

こうしてみると、食べ物の一品を手作りする場合にも、4×4=16通りの「手作り」行動が考えられることになります。

同じような生活行動が、衣類家具などの「手作り」にも発生しています。

「手作り」という生活行動では、「個効」と「私効」、「ききめ1」と「ききめ2」の実現が複雑に混じり合っているのです。