2018年11月29日木曜日

生活行動の判断基準は「私効」から・・・

2番めは「私効」というネウチを、さまざまな生活行動を決める時に、生活民は一つの判断基準にしていることです。

生活民の判断基準とは、彼の生きている生活構造の中から生まれてくるものです。

生活構造については、すでに述べたように、「生活体」【
「生活民」の生活構造とは・・・:2016年10月25日】で表わされるものですが、これを構成する、基本的な3つの軸の上で、生活民はさまざまな判断をしています。



➀社会-個人軸の上では、生活民は「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求めています【
生活民は「価値」よりも「私効」を重視!2016年11月22日】。

生活民は、大熊信行の提唱した「生活者」の、「営利主義の対象から脱却し、自己生産を基本にする」という立場を引き継いで、社会的な「価値(共効)」よりも、純私的なネウチである「私効」を重視します。

②言語-感覚軸の上では、生活民は「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」を重視しています【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】。

生活民は、今和次郎の提唱した「生活人」の、「労働から娯楽や教養までを包括する、より全体的な人間像」を継承しつつ、「農村に残る冠婚葬祭や都市生活が取り入れる流行など」も含めたうえで、基本的な立場を「感覚」や「象徴」においています

また大熊信行の「生活者」では、その生活願望を「必要」次元である「欲求次元に限っていましたが、生活民の生活願望はさらに
「欲望」や「欲動」次元まで広がってゆきます。

③真実-虚構軸の上では、生活民は「真実」という視点よりも、「虚構」という視点に重点をおいて「日常」や「真実」を眺めています【
生活民は「真実」を超える!2017年8月31日】。

日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う「モノコト界」であり、二重の意味で「真実」を保証するものではありません。

それゆえ、生活民には一歩退いた立場から、冷静に「真実」に向かい合うことが求められます。


とりわけ、現代社会のような高度消費社会では、供給側からの、真偽入り混じった、さまざまな情報が押し付けられる以上、生活民は冷静な私人としての立場から、真実と虚構への対応力を向上させていかなければなりません。

以上のように、生活民の判断基準については、社会-個人軸上の「私効」をべ-スとしつつも、さらに言語-感覚軸上の「感覚」や「象徴」真実-虚構軸上の「虚構」を含めた次元から説明していくことが求められるでしょう。

2018年11月20日火曜日

アトモノミクスの基盤を考える!

アトモノミクス(Άτομομικός)を構築する場合、最も基本的な視点として、次の3つをまず考えるべきだと思います。
 
① 生活民という主体
② 「私効」重視という対物態度
③ 差延化という行動

1番めは「生活民という主体」という視点です。


生活民とはどのような人間をさすのか、これまで展開してきた当ブログの趣旨からいえば、2つの要件が求められます。


 一つは【「生活民」とはどんな人?】(2016年10月13日)の中で述べた、最もベーシックな要件です。

「生活民」とは、生活の主体である人間像を、生活学の「生活人」社会経済学の「生活者」を継承しつつ、より統合化したコンセプトであり、主な特徴は次のようなものです。

① 従来の生活学の「生活人」からは、「美学や哲学などの次元にまで幅を広げた、より総合的な人間像」を継承しています。

② 社会経済学の「生活者」からは、「営利主義の対象である“消費者”を抑制する」ことや「自己生産を基本にする」ことを継承しています。

その一方で、「生活人」が否定した「伝統や慣習、あるいは流行を追い求める生活行動」や、「生活者」が排除した「気晴らしや見せびらかしなどを求める願望次元」なども積極的に肯定し、両方とも含めた人間像をめざします。

④ 生活の主体を、市場社会のユーザーの立場を超えて、市場の成立以前から存在した、自立的な人間におきます。

もう一つの要件は、【
「生活民マーケティング」は「LC-Marketing」だ!】(2017年7月30日)の中で提起した、以下の行動主体であることです。

①生活民とは「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求める主体である。・・・【生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】

②生活民とは「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する主体である。・・・【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】

③生活民とは「真実」よりも、虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【
嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】

これらは、オイコノミクスやエコノミクスからみれば、枠外の要件かもしれません。


しかし、「アトモノミクス」では、2つの要件を満たす人格こそを「生活民」と定義したうえで、彼の行う生活諸行動についての様式や原理などを構築していきます。

2018年11月9日金曜日

「オイコノミクス」から「アトモノミクス」へ!

「経済学や家政学を超えよう」と主張してきたところ、「経済学と家政学はもともと同じもので、改めて生活学などを提唱するまでもない」というご批判をいただきました。

確かに「エコノミクス(Economics:経済学)の語源は、ギリシア語の「オイコノミコス(Οἰκονομικός)に由来しています。

ギリシア語では、「オイコス(οἶκος, oikos:家)と「ノモス(νόμος, nomos:法)の合成語が「オイコノミア(Oικονομία)であり、「家政=家庭の管理・運営」を意味しています。

「オイコノミア」の複数形の形容詞が「オイコノミカ(Οἰκονομικά)」、単数形の形容詞が「オイコノミコス(Οἰκονομικός)であり、ともに「家政論」や「家政学」を意味しているようです。

古代ギリシャの歴史家、クセノフォン(Xenophon)がBC430~BC354年頃に著した『オイコノミコス』の中で、「家政とは何か」というソクラテスの問いに対し、クリトブロスなる人物が「良い家政家であるということは、自分自身の家財をきちんと管理できるということだ」と答えています(越前谷悦子訳、リーベル出版)。

これを敷衍すれば、「オイコノミコス」とは「自分の家産や家計をいかに管理するか」という意味であり、日本語に訳せば、まさに「家政」という言葉に相当します。

古代ギリシアでは、こうした「家政」の集合として、ポリス(都市国家)の経済を把握していたようです。つまり、家政の延長上に国家の財政や金融の政策がある、という趣旨です。

こうした思想は、西欧においても、A.スミス(Adam Smith)のを『国富論』(1776年)を経て、A.マーシャル(Alfred Marshall)の主著『経済学原理』(Principles of Economics, 1890年)により経済学」(Economics)という理論名称で定着しました。

以上の経緯を振り返ると、「オイコノミコス」が「エコノミクス」の語源となったことはほぼ間違いありません。

とすれば、経済学の原点は家政学であり、改めて異なる立場を提唱する必要はないようにも思えます。

しかしながら、次の視点に立つと、必ずしもそうとは言えないのではないでしょうか。

筆者が必要性を感じるのは、次の3つです。
①オイコノミコスの「自分自身の家財をきちんと管理できる」という守備的な範囲を超えて、生活民自身の生み出す、独創、自給、自足といった、より積極的な生活思考や生活行動を把握する理論が求められます。

②家政学から発展したにもかかわらず、現代の経済学は、個人や家族よりも国家や企業の経済活動を究明することに重点を移しているため、個人や私人の立場に立った、より強力な生活理論が求められます。

③「共効」を前提とする経済学、「個効」に中心を置く家政学に対し、純個人的・私人的な「私効」の立場から市場や財政などに立ち向かう理論が必要になっています。

とすれば、現代の高度市場社会に対応していくには、「オイコノミコス」の原点に戻りつつも、個人、私人といった「生活民」一人ひとりのための生活理論を改めて研究することが必要なのではないでしょうか。

一言でいえば、

アトモノミクス(Άτομο,átomo:私人・原子 + νόμος,nomos:法)
の構築です。