2020年8月5日水曜日

Sustainable・・・個体数は持続できるものなのか?

Sustainable」という言葉は、生物界では必ずしも通用しない、と述べてきました。

時系列的な現象の変化を最も的確に表す個体数の推移でみると、一定の持続状態を続けるのは極めて稀だ、ということです。

具体的な事例として、原生動物の一種、ゾウリムシの個体数変化を見てみましょう。

ゾウリムシは単細胞の水生微生物で、一日に1~3回ほどの自己分裂によって個体数を増加させます。

これを4mℓの培養液に1mℓあたり10匹入れておくと、下図のように変化します。




①2日ほどで100匹にまで増えるが、そこで増殖は止まって、以後はAのように減り始める

②4日目に老化したゾウリムシを取り出して、新しい培養液に移すと、Anのように再び急速な増殖がおこる。

③新しいゾウリムシを新しい培養液にいれると、BnのようにAnより増殖が早い

④新しいゾウリムシを古い培養液にいれると、ゾウリムシは若いにもかかわらず、Boのように増殖はおこらない

(以上は日高敏隆『動物にとって社会とは何か』から引用・加筆していますが、以下の文章は筆者独自の推論です。)

このグラフに現れているのは、ゾウリムシの個体数が、4mℓの培養液というキャリング・キャパシティー:Carrying Capacity:環境容量)の規模や中身によって変化している、という事実です。

培養液というキャリング・キャパシティーは、一方では餌を提供する食糧媒体として、他方では排泄物を処理する環境媒体として、それぞれがその時間的な変化によって、個体数を次のように増減させているのです。



Ⓐキャリング・キャパシティー❶の上限までは、指数関数的に増加させる。

Ⓑ上限に達すると、ロジスティック曲線的にしばらくは定常状態を続行させる。

Ⓒキャリング・キャパシティー❶のレベルが低下し始めると、定常状態から減少へと移行させる。

Ⓓ新たなキャリング・キャパシティー❷が与えられると、定常状態を破って、再び指数関数的な増加を始めさせる。

Ⓔ新たなキャリング・キャパシティー❷が小さい場合は、そのまま減少に向かわせる


視点を変えると、ゾウリムシの方でも、この動物特有の「個体数抑制装置」の作動が指摘できます。

個体数が増えるにつれて、一方では培養液中の食糧が減少し、他方では排泄物が溜まってくると、それに比例して分裂を抑えるような仕組みが働きだす、ということです。

この仕組みは、それぞれの生物に生得的(遺伝的)に組み込まれているものです。

いいかえれば、さまざまな生物は、生存環境が悪くなれば、それ特有の個体数抑制装置を作動させ、個体数を抑え込んでいるのです。

こうした論理があらゆる生物に通用するとすれば、人間もまた、食糧容量と環境容量の限界が近づくにつれて、自ら人口を落とし始めるといえるでしょう。

微生物から人間に至るまで、個体数が「Sustainable」という状態は、極めて稀なことではないのでしょうか。

2020年7月27日月曜日

Sustainable・・・個体群生態学から考える!

国連の予測(2019年)によれば、世界の人口は現在の78億人から、2100年には最高で156億人、中ほどで109億人、最低で73億人となる、と予測されています。 

「Sustainable」という言葉が、一番当てはまるのは中位値ですが、それでも1.4倍に増えていきます。

そこまで増えていく人口に対し、現在の環境水準を維持していくことが果たしてできるのでしょうか。

一人当たりの負荷量をなんとか抑制し、全体の負担の軽減をめざすことが本当にできるのでしょうか。

かなり厳しい目標ではないか、と思います。

いったい何を「Sustainable(持続可能)」としていくのか、そのこと自体が問われてくるのです。

そこで、人口と環境の関係を改めて考えてみたいと思います。

生物学の一部門、個体群生態学の立場から見ると、この関係は個体数と環境容量(キャリング・キャパシティー:Carrying Capacity)の対応と見なされ、下図のようなトレンドとして、広く理解されています。




(詳細な説明は【動物たちは増えすぎない!:2015年1月28日】や【人口減少の本当の理由:人口容量の限界化:2015年1月27】などを参照して下さい。)


これらの図が示しているのは、原生動物から哺乳類まで、さまざまな動物に共通する個体数の動きです。

個体数がキャリング・キャパシティーの上限まで増加すると、その後は一転して、減少に転じたり、増減を繰り返したり、再び微増するなどの動きを示しています。

図によって多少の差はありますが、共通しているのは、いずれも停滞や減少の動きを見せていることです。

一旦上限に達した後、そのままの状態を続けていくというのは極めて稀であり、早いか遅いかの時期の差はあるものの、しばらくは減少過程に入り、その後に新たな傾向を模索するということでしょう。

こうしたプロセスに「Sustainable」という言葉を適用しようとすると、次のような意味が浮かんできます。



基本的にはありえない 

長期的にはありえない 

短期的にはありうる 

持続の意味を広げればありうる 

以上のように、動物の個体数の世界を見た場合でも、「Sustainable」という言葉は極めて曖昧な意味しか持っていないといえるでしょう。

つまり、環境にやさしい意味だと思われている「Sustainable」も、生物界には必ずしも通用しない言葉なのです。

2020年7月23日木曜日

Sustainable・・・何のために“持続”するのか?

Sustainableは「持続可能な」を意味していますが、何のために“持続”するのでしょうか?

まことに稚拙な推測かもしれませんが、それは多分、人類という種が生き延びていくためだ、と思います。

私たち、現代人が安定的に生き延びていける条件を“持続”していく、ということです。

とすれば、一番確かな指標となるのは、やはり人口の動きだと思います。

人類が安定的に生きているか否か、それが最も明確に表れるのは、人口の増減だと思うからです。

そこで、人口の動きを長期的に眺めて見ましょう。

国連の予測(2019年)によれば、世界の人口は現在の78億人から、次のように推移していくと推計されています。





高位値・・・2030年以降も一貫して増え続け、2100年に156億人に達する。 

中位値・・・2060年代から徐々に伸び率を落とし、2100年に109億人となる。 

低位値・・・2050年前後の89億人をピークに徐々に減り始め、2100年に73億人となる。 

高位値が低位値の2倍以上になるという、まことに大雑把な予測ですが、これらを「Sustainability」の視点から見直してみると、その意味は次のように変わってくるでしょう。



❶高位値の場合
人口が現在の倍以上に増加する以上、一人当たりの環境負荷を半分以下に落としていかなくてはならない。

「Sustainability」とは、個々人の環境負荷の方向を根本的に転換し、全く新たな環境を作り出すこと、という意味になろう。

❷中位値の場合
人口が現在の1.4倍にまで増えていくから、一人当たりの環境負荷を70%ほど落としていかなくてはならない。

「Sustainability」とは、現在の環境水準を維持するため、一人当たりの負荷量をなんとか抑制し、全体の負担の軽減をめざす、ということになる。

❸低位値の場合
現在の94%まで人類が減っていく以上、一人当たりの環境負荷には6%ほどゆとりが生まれてくる。

「Sustainability」とは、一人当たりの環境負荷を大幅に上げないように注意しつつ、生まれてくるゆとりを適正に使う生活作法をめざすべき、という意味になる。 

以上のように、今後の人口動態と地球環境の関係によって、「Sustainability」の意味するところも、大幅に変わってくると思われます。

「Sustainability」という言葉を、明確な社会目標とするにはかなり無理があるのではないのではないでしょうか。

2020年7月17日金曜日

サステイナブル・・・えっ、ほんとに実現できる目標なの?

SustainableとかSDGsという言葉が、マスメディアやサイバースペース上で、なんの躊躇いもなく正論のように広がっています。 

企業経営マーケティングの世界でも、当然のように目標とされています。

本当なのでしょうか? 本当にこれらは、私たちが目ざすべき、新たな目標なのでしょうか?

「物語マーケティング批判」にひとまず区切りが着きましたので、今回からは「サステイナブル」に対し、斜めの視点から切り込んでいきたいと思います。

Sustainableという言葉は「持続可能な」と直訳される英語で、社会的には「環境を破壊しないで維持、継続できる」という意味を持っています。

国連の「環境と開発に関する世界委員会:WCED:World Commission on Environment and Development」が1987年に公表した報告書『われら共有の未来:Our Common Future』の中で「持続可能な開発:Sustainable Development」という概念を提唱し、一般的な環境用語として定着しました。

このため、「サステイナブルエコノミー:Sustainable economy」(環境保全に配慮した持続可能な経済)、「サステイナブルシティ:Sustainable city」(環境への影響に配慮した都市づくり)など、「環境や資源に配慮する」形容詞として一般化しています。

こうしたトレンドに乗って、国連は2015年に新たな国際目標として「SDGs:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標」を提起しました。「貧困の解消」「飢餓の解消」「健康や福祉の実現」「教育機会の確保」「ジェンダーの平等」など17の目標および169のターゲット(具体的な目標達成基準)を掲げています。

人類の未来のために、地球環境の保全、生活構造の改善、社会体制の改革などに配慮した、包括的な環境開発目標という斬新な発想ゆえに、国家政策から企業経営にいたるまで、さまざまな分野に広がっています。

一つ一つの目標を眺めて見ると、なるほどと頷ける事項も確かに多いと思います。


だが、ちょっと待ってよ。「全てのベースとなっているのがサステイナブル」だ、といわれると、「ほんとうなのか」との懸念もわいてきます。




Sustainability:持続可能性」という言葉の意味が、本当に理解されているのか、甚だ疑問に思うからです。

筆者が永年思考してきた人口波動説、時代識知論、文明論などの視点から見ると、「Sustainable:持続可能な」という状況は極めて困難な目標であり、敢えて言えば、現代人の“驕り”のようにも思えてきます。

ということで、当ブログではここ暫くの間、「サステイナブル批判」を展開していきます。

(本来ならば、筆者の別のブログ「JINGEN〈人減〉ブログ」で検討すべきテーマですが、現在は「コロナ禍のインパクト論」を展開中ですので、広い意味でマーケティングの関する課題と考えて、当ブログで考えることにします。)

2020年7月11日土曜日

生活民の求める「ものがたり」とは・・・

4カ月にわたって「物語マーケティング批判」を述べてきました。 

最初に戻って、生活民自身は「ものがたり」をどれほど求めているのか、をもう一度考えてみましょう。

生活民」の特性を考える時、その前提となった「生活者」や「生活人」の生活態度をまず振り返っておくことが必要です。



 3者の比較は以下の通りです。

大熊信行の提起した「生活者」では、①営利主義の対象である「消費者」を抑制し、②「必要」という願望次元を守りながら、③自己生産を基本にする、という3点が強調されていますから、「ものがたり」には「必要」次元であるか否か、自己生産であるか否か、が問われることになります。 

そこで、生活者の立場からは、それぞれの暮らしに不必要な内容を含む「かたり」を排除したうえで、「かたり」を「自己生産」できるような要素を持った「ものがたり」が求められることになります。


今和次郎が提唱した「生活人」では、①没個人的な倫理のお題目に幻惑されず、②外回りの倫理でかっこうをつけず、③日常生活を通じて自己生活の倫理を高めていく人格、の3点が提示されていますから、「ものがたり」にも「外回りの倫理」であるか否か自己生活の倫理を高めていくか否か、が問われることになります。 

となると、生活人にとっては、外部から押し付けられるような内容を排除し、自分自身でそれぞれの暮らしを高めていけるような「かたり」が必要になるでしょう。

当ブログの提唱する「生活民」(当初は生活体と名づけていました)では、①市場成立以前から続く自立的人間を基本にしつつ、②遊びや虚栄とともに儀礼や伝統まで求め、さらには③風習や慣習から流行やトレンドもまた追い求める人間像と考えていますから、「ものがたり」には「必要不要」の次元はいうまでもなく、「遊び、虚栄、儀礼、伝統」や「風習、俗信、流行、トレンド」までも求められることになります。 

このため、生活民としては、自立を侵さない範囲において、日常生活に関わる、あらゆる「かたり」はもとより、真面目あるいは不真面目な「かたり」流行やトレンドに関する「かたり」なども、躊躇なく求めることになります。

3つの定義によって、「ものがたり」に求められる要素も幾分異なってきます。

しかし、「自己生産」「自己生活の倫理」「自立的人間」という視点では共通しており、このブログの視点でいえば「差延化」という行動を意味しています。

「ものがたり」をマーケティング手法として展開していくためには、それぞれの内容に細かく注意するとともに、自己生産や自立行動などを促進する素材や要素などを積極的に導入することが求められるでしょう。

2020年7月4日土曜日

「もとがたりマーケティング」に求められるのは・・・…

純粋の「ものがたりマーケティング」とは「がたりマーケティング」である、と述べてきました。

「ことがたりマーケティング」が差異化手法であるのに対し、「もとがたりマーケティング」は差元化手法に属しています。

差異化手法が商品のうえに「記号」を載せてネウチを上げる手法であったのに対し、差元化手法は商品の周りに「象徴」を沿わせてネウチを気づかせてくれる手法です。

それゆえ、「かたり」の内容についても、「ことがたりマーケティング」ではモノのネウチを上げるような中身が、一方、「がたりマーケティング」では、モノの本質を気づかせてくれるような中身が、それぞれ求められます。

「差元化」の基本的手法には、①象徴・神話化、②無意識・未言語化、③感覚・体感化などがありますが、これを「もとがたりマーケティング」に当てはめてみると、①に主軸をおきつつ、②や③にも及んでいくことになるでしょう。

そこで、これらの手法を「もとがたりマーケティング」に応用しようとすると、【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で述べたように、幾つかの注意点があります。



象徴・神話次元・・・既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系、つまりユングの主張する「象徴(シンボル)」を適切に活用することが求められる。 

無意識・未言語次元・・・意識下の暗い深淵に潜んでいるカオスや本能が、通常は記号で覆われた欲望の厚い膜の中に隠れている。それらを表層意識へ浮上させるには、夢や幻想などの中で縦横に飛び交う、大胆な浮遊が求められる。 

感覚・体感次元・・・マーケティングやマスメディアの作り出す幻想を最終的に打ち破るため、なんといっても自らの感覚を研ぎ澄まさねばならない。それには、個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚をいっそう鋭敏にすることが求められる。 

これらの注意点を前提にすると、「がたりマーケティング」を適切に行っていくには、【「差異」より「深化」を!:2016年4月27日】で提案したように、次のような対応が求められるでしょう。

 
神話・伝説・・・象徴力の強化を支援するような「かたり」を行う。例えば、個々人の意識下に潜んでいる元型に出会えるような機会を作る「象徴・元型支援かたり」、宇宙、大地、山野、大海など、潜在意識の中から「絶対に変わらないもの」を探しだし、体験させるような「不変物信仰支援かたり」、普遍かつ壮大なものに触れさせて、私や個を超えた次元を疑似体験させる「集合的無意識支援かたり」などが考えられる。

説話・民話・昔噺・お伽噺・・・無意識への回帰を支援するような「かたり」を行う。実例としては、睡眠、催眠、酩酊などの模擬体験で没我の境地へ導く「没我力支援かたり」、身体や感覚を研ぎ澄ませて、霊感や六感を増加させる「直感力支援かたり」、無意識の次元に立ち戻って、自らの原点を確認させるような「自己対面力支援かたり」などが考えられる。

オノマトペ・・・個々人の感覚回復を支援するような「かたり」を行う。具体的にいえば、言語以前の体感的、直感的な次元への回帰を支援させるような「音声・物音発見支援かたり」、山林行や水泳など、生れたままの人間に立ち戻って、伸びやかに自然と戯れられるような気分を創り出す「体感音支援かたり」などが考えられる。 

以上のように見てくると、「もとがたりマーケティング」に求められる、最も基本的な方向とは、私たちの生活の根源を深めることにあるのでしょう。

2020年6月26日金曜日

「ものがたりマーケティング」は「も-と-がたりマーケティング」だ!

亜流の「ことがたりマーケティング」に続いて、純粋の「ものがたりマーケティング」にはどのような手法があるのか、を考えていきます。

「ものがたり」、つまり「もの+かたり」とは、感覚が捉えた対象(身分け次元)を、予め定められた枠組み(言分け次元)によって言語化していく行為です【「がたり」とはいかなる行為なのか?:2020年5月5日】。 

感覚が捉えた対象(身分け次元)については、さらに3つの次元に分けられます【「モノ」から「コト」へ、「コト」から「モト」へ:2019年7月9日】。



①象徴・神話次元・・・ 

②無意識・未言語次元・・・意識 

③感覚・体感次元・・・能 

このように、身分けによる「もの」次元は「元(モト)」「下(モト)」「本(モト)」の3層で構成されており、「モト」の集合と見なすことができます。

とすれば、「もの-がたり」は「も-がたり」と言い換えてもいいでしょう。

つまり、


「物語」=「ことがたり」+「もがたり」


と再整理することができます。

そのうえで、「もがたり」とは一体どのような「かたり」なのか、具体例を考えてみると、下表になります。




象徴・神話次元では、身分け次元の下層意識を凝縮したシンボル(元型)を、幾つか繋ぎ合わせた神話伝説などが、日本語、ギリシア語など、特定の言語集団の中で語られています。

無意識・未言語次元では、下層意識の中で揺れ動いている、さまざまな体験が、特定の言語集団の中でとりまとめられ、説話や民話、あるいは昔噺やお伽噺などの形で語られています。

感覚・体感次元では、本能 が感じ取った深層言語が、音声擬音などを模した初期言語、つまりオノマトペとして語られています。

以上のように整理すると、「もがたり」とは、深層言語次元で把握される諸現象を、個人や集団が言分け能力によっておいて把握し、無意識的、未目標的、共通体感的に言語化・文章化したものである、ということになるでしょう。