2019年6月8日土曜日

生成社会へ移行できるのか?・・・その2

消費主導社会を改革しようとすれば、まずは「生成社会」の成立可能性を確かめなければなりません。

消費(主導)社会が拡大するにつれて、経済や市場という視点からのみ見た「生産―消費」という、狭い構図に対する批判が高まり、当ブログで何度も述べてきたように、生産者や消費者を超える視点として「生活人」や「生活者」という概念が、改めて提起されてきました。

こうした視点を社会構造に拡大するとすれば、「消費者」が中心となる社会は、むしろ「生活人」や「生活者」が中心となった社会、つまり下図に示した「生活(主導)社会」へ進むべきだ、ということになります。


生活(主導)社会」とは、消費市場において、生産者から提供される商品やサービスだけで、自らの生活を構成するのではなく、あくまでもそれらを素材にして、主導的・自律的に暮らしを構築していく生活人や生活者が中心となった社会を意味しています。

いいかえれば、消費行動の対象を、従来の共効創造から個効重視へ、さらには
個効重視から私効尊重へ、と移行させていく社会です。

共効を生み出す生産主導から、個効を享受する消費主導へ、さらには私効を重視する生活主導へと転換していくことだ、といってもいいでしょう。

ところが、この生活人や生活者という概念には、
先に述べたようにかなりストイックでやや狭隘な人格が想定されています。

そこで、こうした限界を超えるため、当ブログでは「生活人」や「生活者」の概念を縦軸方向に広げて、新たに
「生活民」という概念を提起しました。

生活民とは、主に「欲求」を基盤にした生活人や生活者という人格を含むとともに、流行やファッションなどを求める「欲望」や、伝統や習俗に親しむ「
欲動もまた希求する、より広義の人格を意味しています。

つまり、与えられる「価値」や「効用」を「享受」する主体だけでなく、自ら
ねうち」を「生成」する生活主体を示しています。

そうなると、生活人や生活者を中心とする「生活(主導)社会」もまた、下図に示したような、生活民が主体となる「生成(主導)社会(generative society)」へ進むべきだ、ということになるでしょう。


消費(主導)社会の消費者が商品の「共効」を享受するのに対し、生活(主導)社会の生活者は、商品の「共効」に準じた「個効」を使用しますが、さらに生成(主導)社会になると、自分なりの暮らしを求める生活民が、商品の共効や個効をあえて解体・再構築し、自分なりの「私効」を創りだしていくからです。

このように、生産社会から消費社会へと進展してきた近代産業社会は、今後、生活社会から生成社会へ移行していくことが必要になるでしょう。

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