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2021年8月20日金曜日

ユングの「元型」論、井筒の「種子」論・・・どこが違うのか?

言葉には3つの次元がある。思考・観念言語、日常・交信言、深層・象徴言語の3階層である、という立場から、さまざまな思想家の見解を、古代から現代までざっと振り返ってきました。

前回とりあげたユングの見解は、音声記号である「言語」よりもイメージ記号である「元型」を重視している、と解釈できます。

深層意識の中に現れる、さまざまな現象を人間が捉える方法には、ラングの前にシンボルがある、ということです。

とすれば、今回のテーマの初めの方で紹介した井筒俊彦の言説と深く重なってきます。両方とも、深層心理の働きを深く考えているからです。

ユングの主張する「元型=シンボル」と井筒のいう「種子=言語アラヤ識」は、同じものなのでしょうか。それとも、どのように異なっているのでしょうか。井筒の見解をもう一度、振り返っておきましょう。

およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。

「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、私は、ソシュール以来の言語学が、「言語(国語、ラング)」と呼び慣わしている言語的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定する。

もしこの考え方が正しいとすれば、我々が表層意識面で――つまり知覚的に――外的事物、例えば目前に実在する一本の木を意識する場合にも、その認識過程には言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているはずだ。

なぜなら、何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するものだからである。

井筒俊彦『意識と本質』1982

これを読むと、井筒の主張する「種子」とは、ユングの唱える「元型」を喚起するのだ、とも読み取れます。

私たちが無意識というカオスの中から、例えば「老賢者」というシンボルを拾い上げる時、まずは「老父」という種子が心の中で湧き上がり、それが他のイメージと老賢者を区別するのだ、といえるからです。

その意味では、ユングの「夢分け」は、井筒の「種分け」によって初めて成立するのです。

ユングの主張する「元型」は、ペルソナ(persona)、影(shadow)、アニマ(anima)、アニムス(animus)、自己(self)、太母(Great mother)、老賢者(Wise old man)などユニークなネーミング、つまり言語が張り付けられており、単なるイメージやシンボルで終わっていません。

そのこと自体が、「元型」とは単なるイメージではなく、「言語アラヤ識」によって意味づけられた存在であることを示しているのです。

フロイトやユングの心理学では、夢や幻想の中に現れるイメージを認識行為の基盤に置いているようですが、それらを自覚させるのは、人間固有の言語能力だということです。

以上のような視点に立つと、人間の識知行為が「身分け」次元から「言分け」次元へと進む間に、「夢分け」から「種分け」へと進む次元が入り込んでいる、ともいえるでしょう。

当ブログで検討している「深層・象徴言語」階層には、こうした次元も当然含まれているのです。

2021年8月30日月曜日

ユングの元型は言葉で把握されている!

前回、ユングの唱える「元型」は、井筒の主張する「種子」よって初めて成立するのではないか、と述べてきました。

深層・象徴言語の次元の本質に関わる事項だと思いますので、ユングの提起する、幾つかの「元型」が、どれほど「種子(言語アラヤ識)」に触発されたものであるのか、を確認しておきたいと思います。

まず「元型」の定義にについて・・・

元型という言葉は、すでにユダヤのピロンにおいて、人間の内なる《神の像》との関連で使われている。(中略)アウグスティヌスにおいては《元型》という言葉こそ使われていないが、その代わり同じ観念があって、『さまざまな問いについて』では次のように述べられている。《イデアは……自ら形成されるのではなく……〔はじめから〕神の知の中に含まれている》。『元型』はプラトンの《エイドス》を説明的に言いかえたものである。この名称はわれわれの目的にとって適切かつ有益である。なぜならこの言葉は、集合的無意識には太古的――もっとうまく言えば――原古的な型がある、すなわち太古から存在している普遍的なイメージがある、ということを意味している。
――C.G. ユング 『元型論』林道義訳:1999

そのうえで、「元型」への意味付与、つまりネーミングについて、次のように説明しています。

意味付与は一定の言語の型を使ってなされるが、この型はさらに原始心像から生まれる。意味がどこから来るのかという質問をどこで発しても、われわれは必ず言語やモチーフの歴史へ入りこんで行き、その歴史はつねにまっすぐに未開人の不思議の世界へと通じている。――同上

そこで、代表的な「元型」の、言語の型、つまり「種子」的な解説を、ユングの言説から見ていきます。


●アニマ(
Anima)

水の精はわれわれがアニマと呼ぶ妖しい女性的な存在の、より本能的な前段階である。この前段階にするものには、セイレーンたち、海の精たち、森の精たち、フルディンたち、魔王の娘たち、ラミアーたち、夢魔たちがあり、これらは若者を惑わし、その生命を吸いとってしまう。(中略)この種のものはすでにずっと昔からあったのではないのか。それも人間が意識の薄明の中で完全に自然と一体になっていた時代にすら存在していたのではなかったか。森や野原や小川の精たちははじめから、道徳的良心からの問いが発せられるずっと以前から、いたのである。――同上

●アニムス(Animus)

アニムスはしばしば画家として現われるか、あるいは映写機をもっている。つまり映写技師であるか、あるいは画廊の持ち主であるが、このことはアニムスが意識と無意識のあいだを媒介する機能をもつことと関係している。すなわち無意識のもつさまざまなイメージはアニムスによって伝達される、つまり空想のイメージの形をとるか、それとも無意識のうちに行為したり生きたりすることによって、目に見える形になるのである。アニムスの投影から。「英雄」または「魔神」に対する愛または憎しみの空想上の関係が生ずる。特別の犠牲者はテノール歌手、芸術家、映画スター、スポーツの大選手などである。――同上

●グレート・マザー(Great mother)

母元型の特性は「母性」である。すなわち、まさに女性的なものの不思議な権威、理性とは違う智恵と精神的高さ、慈悲深いもの、保護するもの、支えるもの、成長と豊饒と食物を与えるもの。不思議な変容や再生の場。助けてくれる本能または衝動。秘密の、隠されたもの、暗闇、深淵、死者の世界。呑みこみ、誘惑し、毒を盛るもの、恐れをかきたて、逃れられないもの。――同上

●老賢者(Wise old man)

老賢者の姿は夢の中ばかりでなく、瞑想(あるいは「能動的想像」)の幻像の中にも.きわめて具体的な姿をとって現れ、グル〔=ヒンズー教の導師〕の役を引き受ける――インドではときとして実際にも起こることらしいが――ほどである。「老賢者」は夢の中では。魔法使い、医者、牧師、教師、祖父あるいは権威を持った誰かとして現れる。――同上

●童子(Kinder)

「童児神」の元型はいたるところに分布しており、神話に現れる他のあらゆる性質の童子モチーフと分かちがたく混じり合っている。〔その例として〕今なお生きている「幼な子イエス」の話を持ち出すまでもないであろう。すなわち聖クリストフアの伝説において、「小より小さく、大より大きい」という例の典型的な性質を示したあの「幼な子イエス」である。民間伝説では童子モチーフは隠れた自然力の化身としての小人や妖精の姿をとって現れる。――同上

●魔術師(Wizard )

魔術師は老賢者と同じ意味をもち、これは未開社会の呪術師の姿にまっすぐつながっている。彼はアニマと同様に不死のデーモンであり、これはただ生きているだけという混沌とした暗闇を意味の光で照らし出す。彼は照らす者、教師にして師匠、魂たちの導き手である。――同上

●トリックスター(Trickster)

笑い話、カーニバルの馬鹿騒ぎ、救いや魔法の儀式、宗教的な恐れや開悟の中に.このトリックスターの幻はあらゆる時と場所の神話と同じような.ときには紛れもない、ときには定かならぬ姿で、立ち現われる。これは明らかに「心理素」、すなわち最も古い種類の元型的な心理構造である。その最も明瞭な特徴は、いかなる点から見ても未分化な人間意識を忠実に反映している。この意識は動物の水準をほとんど超えていない心のあり方に対応している。――同上

以上のように、ユングの「元型」は、すべて言語によって説明されています。

とすれば、「元型」と「言語」の関係は、次のように位置づけられるでしょう。

①下意識に浮かんだ、さまざまなイメージは、人間の脳裏に蓄積された言葉の「種子」、つまり言語アラヤ識によって“意味”づけられ、いくつかのグループに仕分けられる。このグループの名称が、ユングのいう「元型」のネーミングである。

②「身分け」によって得られる、環境世界のさまざまなイメージと同様に、夢や幻想の中に現れるイメージもまた、「言分け」によって、初めて人間の中に意味づけられる。

③人間の環境認識は、感覚器官の捉えたイメージやサウンドなどを基盤にしつつ、遺伝的に蓄積された仕分け能力、つまり「言語アラヤ識」の働きによって、初めて成立している。

このように考えてくると、言語3階層説における「深層・象徴言語」の意味が、いっそう深く捉えられると思います。

2021年8月12日木曜日

ユングの言語観は・・・

フロイトの言語観を眺めてきましたので、ユングの見解も確かめておきたくなりました。

スイスの心理学者・精神分析学者、C,G.ユング(Carl Gustav Jung:1875~1961年)は、周知のとおり、一時はフロイトの後継者と目されたものの、ほどなく訣別し、「集合的無意識(Collective unconscious)」や「元型(archetype、)」といった独自の概念によって、心の深層を究明した学者です。

「集合的無意識」とは、個人の無意識のさらに下にある深層で、同じ種族や民族あるいは人類全体に共通して伝えられている無意識のことです。

また「元型」とは、その集合的無意識の中で、神話・伝説・夢などの形をとって、時代や地域を超えて繰り返し現れるイメージやシンボルを意味します。

とすれば、言語観においても、象徴・深層言語について、独自の見解を展開しているのかと期待しましたが、20年ぶりに代表作を渉猟してみたところ、ほとんど触れられていませんでした。その中で、ようやく探し出した一部を掲げておきましょう。 

われわれは究極的にはどこから意味をとってくるのであろうか。われわれが意味を与えるときのさまざまな形式は昔から引きつがれてきたカテゴリーであるが、昔といっても霧にかすんでよく分からないほど違い昔のことである。

意味付与は一定の言語の型を使ってなされるが、この型はさらに原始心像から生まれる。意味がどこから来るのかという質問をどこで発しても、われわれは必ず言語やモチーフの歴史へ入りこんで行き、その歴史はつねにまっすぐに未開人の不思議の世界へと通じている。

イデーという言葉を例にとってみよう。この言葉はプラトンの《エイドス》概念を起源としている。もろもろの永遠のイデーとは、超越的な永遠の形式として《天を越えた所に》保存されているさまざまな原イメージである。視霊者の眼はこれらを《夢の像や幻影》の形で、すなわち夢や啓示的な幻視に現われるイメージの形で見た。

C.G. ユング 『元型論』林道義訳:1999年

このようなユング理論では、どうやら「言語による環境把握」の前に、「心理的イメージによる環境把握」を重視しているように思われます。当ブログの流れでいえば、「身分け」と「言分け」の間に「夢分け」があるのだ、ということになるでしょう。

「夢分け」によって現れる、言語以前の意味付与を表すイメージ・・・それを彼は「元型」と名づけています。

三つの元型、影、アニマ、老賢者は、直接経験されるばあいには人格化して現われる。(中略。それらが出現する)プロセスが進んでいくうちに、さまざまな元型が行為する人格として空想の中に現われてくるのである。

プロセス自体は別種の元型、すなわち変容の元型によって表現される。これは人格ではなく、むしろ典型的な状況、場所、手段、方法等々であって、これらはそのときどきの変容の仕方を象徴している。人格化される元型と同様に、この元型も真正なシンボルであって、これを《記号》や比喩と見たのでは十分に理解することができないという意味で、真のシンボルである。

無意識の《根本的原理》は、その関連内容が豊富すぎるため、認識することはできても、筆舌には尽くしがたい。知的な判断は当然にもつねにそれらを一義的に把握しようとするが、そのために本質的なものを見逃してしまう。というのは、その根本的原理の唯一の本性といえるものを確定しようとしても、はっきり言えることといえば、それが多義的であり、豊富な関連性をもつために全体を見渡すことができないということだからである。

このために一義的な定式化は不可能となる。しかもそれらは原理的に逆説的であって、たとえば霊は錬金術師たちによって《老人でありながら若者でもあるもの》と考えられていた。

ものごとを決定する力はこの無意識から来るのであって、この力によって一人一人の人間の誰をとっても、彼らが受けついでいるもの[伝統など]にかかわりなく、体験やイメージ形成が似ている、いや同じでさえあるということが保証されているのである。このことの最大の証拠は世界中に同じような神話のモチーフが存在していることであり、このモチーフを私は原イメージの性質をもつという意味で元型と名づけた。

同上

以上のように見てくると、ユングの言語観は、前回紹介したフロイトの所論(無意識と夢の関係の中に言葉の起源や発展過程を求める)をさらに徹底し、言語以前のイメージをより重視しているようです。

当ブログの言語3階層説に敢えて当てはめれば、象徴・深層言語の胎芽ともいうべき次元ともいえるでしょう。

2023年10月28日土曜日

言語6階層説:深層言語とは・・・

言語6階層説の最初は「深層言語」です。

当ブログでは、これまで「言語3階層説」と題し、深層・象徴言語、日常・交信言語、思考・観念言語の3つを分けてきました。

これを進展させた、今回の言語6階層説では、深層・象徴言語を「深層言語」と「象徴言語」の2つに分けました。

両者を区分するのは「識分け」、つまり「意識するか否か」です。「身分け」が捉えたものを意識するか否かで、2つの言葉が分かれてきます。

意識されたものを言語化するのが「象徴言語」であり、意識されないものを言語化するのが「深層言語」です。

「身分け=感覚」が把握したものでも、「識分け=意識」が把握しない限りは、「無意識=深層意識」となって、身分けされた空間の底へ沈殿していきます。この沈殿物を何らかの形で言語化したもの、それが「深層言語」です。



換言すれば、深層言語とは、「身分け」が把握したが、「識分け」が漏らした、無意識(深層意識)の事象を、言葉になる以前のイメージや偶像などで表した記号、ということです。

当ブログの過去の記述を振り返ると、ユングの「元型」論、井筒の「種子」論が相当します。

●C.G. ユング・・・意味付与は一定の言語の型を使ってなされるが、この型はさらに原始心像から生まれる。意味がどこから来るのかという質問をどこで発しても、われわれは必ず言語やモチーフの歴史へ入りこんで行き、その歴史はつねにまっすぐに未開人の不思議の世界へと通じている。(『元型論』林道義訳:1999年)

●井筒俊彦・・・およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。(『意識と本質』1982年)

これらの言説に置き換えれば、深層言語とは、無意識下の原始心像である「元型」であり、言語の種子である「言語アラヤ識」である、ということになるでしょう。

以上のように位置づけると、深層言語とは、自然的な言葉が生まれる前に、胎内的な言葉が湧き上がる次元、ということになります。具体例としては、次のような事例が挙げられます。

●音声言語・・・無意識のため息・喘ぎ・息づかい

●文字言語・・・無意識の手振り・身振り・しぐさ

●表象記号・・・元型・心像イメージ・・・例えば、ユングが元型(アーキタイプ)論で示した太母、老賢者、トリックスターなどの心像

要約すれば、深層言語とは、感覚が捉えた対象を、意識が把握する前の、体感的・心像的動作やイメージなのです。

2016年4月19日火曜日

差異化を超えて差元化へ

過剰な差異化現象、つまりカラーやデザインからネーミングやストーリー、さらにはブランドやファッションなどの紡ぎ出す、さまざまな悪弊から、私たちの初々しい生活世界を守り抜くにはどうすればいいのでしょうか。

まずは現象学の「エポケ(epokhē:判断中止)」を応用して、記号界のさまざまな「欲望」をかなぐり捨て、そのうえで生理的な「欲求」や無意識的な「欲動」の次元へ降りていきます。すると、そこに見えてくるのは象徴や神話の世界です。さらにその下には無意識や本能の世界があり、もっと下には感覚や体感の世界が広がっています。

記号化される以前の世界(モノ界)はおおむねこの3層で構成されていますから、そこから生まれてくるモノ=象徴によって、肥大化するコト=記号に対抗していくことができれば、モノとコトのバランスを回復することができるはずです。果たしてそれが可能なのか、一番下の感覚から入って、無意識、象徴の順に考えてみましょう。

①感覚の次元
感覚次元では、個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚をいっそう鋭敏にすることが求められます。マーケティングやマスメディアの作り出す幻想を最終的に打ち破るには、なんといっても自らの感覚を研ぎ澄ますことが必要です。


最近では不況のせいで、消費者の多くが「みせかけ消費」や「あこがれ消費」を脱して、「身の丈消費」や「実質消費」に移行していますが、その時、モノ選びの基準として頼れるのは、惑わされやすい視覚よりも、触覚や嗅覚など自分自身の感覚です。

こうした感覚を取り戻すには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨てて、直感的、感覚的な裸身をさらけ出す。野性的な動物や出産直後の乳児などの次元に立ち戻って、触覚、嗅覚、聴覚など視覚以外の感覚、つまり肌触り、快感、快汗、芳香、悪臭、美声、騒音などに敏感になることが必要です。

②無意識の次元
無意識次元においても、身分けと言分けの接点から生まれてくるカオスや本能の動きに、こまめに注意をはらっていく。それらは通常、意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想などの形をとって噴出し、記号で覆われた欲望の厚い膜を突き破ってきます。

とすれば、無意識や本能が見えやすい環境を、積極的に作り出したらどうでしょうか。眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを追い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させる。それができれば、外部から誘導された欲望の虚構性が自覚され、生身の生活願望が見えてくるはずです。

③象徴の次元
象徴次元では、シンボルや元型の動きに注意を払うべきでしょう。先に紹介したユングによると、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である、と定義されています(『人間と象徴』)。私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。

以上にあげた、3つの方法によって、個々人の持つ感覚・無意識・象徴力が回復できれば、私たちは記号の専横を少なくとも抑制することができるはずです。そこで、この3つの方法をまとめて「差元化」とよぶことにしましょう。

現代思想の分野では、観念・意識・記号の世界を生み出す力を言葉の差異に求めて、「差異化」とよんでいます。これとは正反対の感覚・無意識・象徴を強める力ですから、ユングの元型論に因んで、「差元化」と名づけたのです。

差元化は、モノ界の比重を再確認することで、肥大するコト界に拮抗させ、コトとモノのバランスを回復することを意味しています。


こうした方向を基盤にして、本来の意味での「モノづくり」力が回復できれば、マーケティングが衰弱させた「コトづくり」力やアイデンティティーを、もう一度甦らせていくことも決して不可能ではありません。

2015年8月28日金曜日

サインとシンボル・・・どこが違うのか?

差異化が「記号:サイン」の差を訴求する戦略であるとすれば、差元化は「象徴:シンボル」の差を訴える戦略ともいえます。両者の差はどこにあるのでしょうか?

「記号」と「象徴」という言葉は、両方ともさまざまな意味で使われています。

まず「記号(sign)」の意味を考えてみると、極めて多義的です。国語辞書によると、「一定の事柄を指し示すために用いる近くに対象物」であり、言語・文字から交通信号や高度の象徴までを含む、といいます(広辞苑)。


あるいは「一定の事象や内容を代理・代行して指し示すはたらきをもつ知覚可能な対象」であり、種々の符号・しるし・標識から言語や文字、さらには雨を知らせる黒雲や職業を示す制服なども含む、とされています(大辞林)。

それゆえ、日常的な使用では、発音記号や音部記号のように、「記号(sign)」とは特定の情報を示す具象的な符号をさす場合が多いようです。


しかし、思想界では、社会学者のJ.ボードリヤールが「消費される物になるためには、物は記号(signe:仏)にならなくてはならない」(『物の体系』)と述べているように、物に付加された、観念的な言説やメッセージ、つまりカラー、デザイン、ネーミング、ストーリーなど、広い意味で使われています。



 他方、「象徴(symbol)」もまた多義的です。国語辞書で調べてみると、「symbole:仏の訳語」であり、「本来関わりのない2つのものを何らかの類似性で関連づける作用」(広辞苑)と書いてあります。

別の辞書では「直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現すること」(大辞林)と述べています。

実際に使用する場合は、もっと広義的です。例えば言語哲学者の丸山圭三郎は、人間だけが持っている「言分け」能力を「シンボル化能力とその活動」と定義し、「シンボル」は「コトバを操る能力」という、広い意味で使っています(『ソシュールの思想』)。

他方、分析心理学者のC.G.ユングは、夢や幻想の中に現れるイメージを「象徴(シンボル)」と名づけ、言語体系が形成される以前の意味体系、つまり「元型:archetype」と考えて、かなり狭い意味で使っています。元型には大地母、童子、道化、老賢者、仮面、影などがあり、それぞれが人間の基本的な存在形態を〝象徴〟しています(『元型論』)。


こうしてみると、「象徴:シンボル」という言葉は極めて多義的であり、広義では人間の扱う「言語」全般を意味し、狭義では無意識下の「元型」を示しています。ある時にはコトバやイメージなど、人間の取り扱う観念道具全般を意味し、またある時にはエンジェルやサタンなど、幻想的なキャラクターを示すということです。


とすれば、「記号;サイン」という言葉と「象徴:シンボル」という言葉は、広義ではかなり重複した意味で使われています。

そこで、マーケティング戦略で使う場合には、両者を明確に分けても用いるべきだと思います。具体的にいえば、「記号」はボードリヤールのいう、観念や表象などの意識的なコード(記号体系)、また「象徴」とはユングのいうような、夢や幻想といった無意識の中に現れるイメージ、ということです。

生活願望の次元でいえば、言葉⇔感覚の垂直軸において、「記号」とは言語、意識、欲望、理性、観念、記号、物語などに対応するイメージ、「象徴」とは本能、無意識、欲動、感覚、体感、象徴、神話などに対応するイメージということになります。

いいかえれば、ヒトが欲望次元でとらえるイメージが「記号(sign)」であり、欲動次元で環境をとらえるイメージが「象徴(symbol)」という
ことになります。

その延長線上で、記号次元のイメージ連鎖は「物語(story)」になり、また象徴次元のそれは「神話(mythology)」になっていきます。

2021年12月18日土曜日

視覚言語を言語3階層で考える!

文字や記号は、音声言語や識知的な観念を、視覚的に表現しようとする、人類の発明ですが、それがゆえに深層・象徴言語とも密接な関りを持っています。 

前回整理した文字分類を、文字と記号で分けてみると、次のようになります。

①文字で表現するもの・・・音節文字と音素文字(ともに表音文字)、表語文字(表意文字)。

②記号で表現するもの・・・象形文字(表意文字)、記号文字と象徴文字(ともに絵文字)。

 ①②と音声文字との関係を、言語=Sé(意味されるもの)/Sa(意味するもの)で整理すると、次のようになります。

❶文字で表現・・・(意味/音声)/文字・・・文字によって音声の意味するものを表現する。

❷記号で表現・・・意味 または(意味/音声)/記号・・・記号によって意味や音声の意味するものを表現する。

このように整理すると、文字よりも記号の方が、深層・象徴言語には馴染んでくるように思われます。

深層・象徴言語という言語段階は、「識分け」で捉えたモノコト界の事物を、「言分け」次元の言葉や記号などに置き換えようとする、初期的な次元ですから、曖昧な音声や深層的なイメージほど馴染みが深いからです。

それゆえ、識分け力が捉えた物音や幻像などは、文字よりもイメージの方が表現されやすい、といえるでしょう。

例えば、ユング心理学でいう元型(アーキタイプ)は、人類の深層心理に潜んでいる普遍的なイメージのことですが、まずはさまざまなイメージとして象徴文字で表現され、そのうえで音声言語によって捉えられています(ユングの元型は言葉で把握されている!)。

その延長線上で、さまざまな宗教のシンボルもまた、太陽、星、光、大樹、大河などを象徴するシンボルマークとして、象徴文字で表現されています。

とすれば、深層・象徴言語の段階では、象徴文字がまずは生まれ、続いて象形文字と記号文字に進化していくのではないでしょうか。

象徴文字(元型、宗教印、国旗等)、象形文字(ヒエログリフ、古代エジプト文字等)、記号文字(ピストグラム等)の順に、文字が生まれたということです。

一方、音節文字、音素文字、表語文字は、「音声で言分ける」という「言分け」次元から生まれてきます。

このうち、表語文字(漢字、アラビア数字等)は、前回述べたように、象形文字が起源となっているケースが多く、「識分け」次元と「言分け」次元を繋ぐ役割を果たしていますので、深層・象徴言語と日常・交信言語の両界に跨る文字と言えるでしょう。

また音節文字(ア、イ、ウ、エ、オ等)と音素文字(A、B、C、D、E等)は、すでに音声化された言葉を文字化するという表音文字ですから、「言分け」で生まれた日常・交信言語の次元に近いと言えます。

以上のように、文字や記号という視覚言語もまた、音声言語と同じように、深層・象徴段階で発生し、やがて日常・交信段階へと変貌していくのです。

2016年4月9日土曜日

「象徴」を応用する!

「象徴」という言葉には、多様な意味が含まれています。

英語のシンボルsymbolや仏語のsymboleなどの語源は、ギリシア語の動詞 symballein(一緒にする)の名詞形 シュンボロンsymbolonに由来しています。

Symbolonとは、何かのものを2つに割って2人の人間が分有し、それぞれをつきあわせて、相互に身元を確認しあうもの、つまり「割符」のことです(世界大百科事典)。

これが諸科学に応用されて、さまざまな形で使われるようになりました。主な用法は次の3つです。

① 直接的に知覚できない概念・意味・価値などを、それを連想させる具体的事物や感覚的形象によって間接的に表現するもの・・・哲学・心理学など。

② 記号のうち、特に表示される対象と直接的な対応関係や類似性をもたないもの・・・言語学・記号学など。 

③直接的に表しにくい観念や内容を、想像力を媒介にして暗示的に表現するもの・・・芸術・美学など。

このうち、生活学やマーケティングで使用するには、すでに「
サインとシンボル・・・どこが違うのか?」で述べたように、心理学・分析心理学の用法に従うのがベターだと思います。

先に紹介したC.G.ユングによると、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系だ、と定義されています(『人間と象徴』)。


この意味での「象徴」は、私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。

この種のシンボルは、さまざまな民族の神話や昔話などの間で極めて類似しています。例えば、大地母、童子、老賢者、道化、仮面、影などのキャラクターは、母、子ども、老人、ピエロ、悪者などを示す共通イメージとして、人種や民族を超え、人類一般に広く共通しています。

ユングはこれらを「元型(archetype:アーキタイプ)」と名づけました。そして、元型が民族を超えているのは、その一つひとつが人間の基本的な存在形態を象徴しているからだ、と述べています。


元型とは、人類の中に潜む集合的無意識がさまざまな願望を表現する時の「原始心像」であり、その心像の<元>となる型が予め無意識の中に存在する、と考えているのです(『元型論』)。

集合的無意識というのは、一人ひとりの個人を超えて、日本人とか中国人とかいった民族や集団の心の底に潜んでいる願望のことです。通常は意識されませんが、夢や神話などの形をとって時々私たちの前に現れ、穏やかな自然や懐かしい母胎を思い出させ、自由や安らぎを回復させてくれます。

とすれば、記号の氾濫を打ち破るには、この元型を拡大させればいい。始原的なキャラクターに触れ合ったり、それらを幾つか組み合わせた神話やおとぎ話を振り返ることができれば、私たちの心の深層にある沃野に立ち戻って、個人を超えた集合的無意識を再確認することができます。

そして、その延長線上には、「象徴交換」という互酬的な社会制度も見えてきます。ボードリヤールがはるかに期待した、ポリネシア原住民の「クラ」やアメリカインデアンの「ポトラッチ」という交換制度なのです。

以上のように、「象徴」という言葉を心理学的に使うと、サインや記号の乱用による「差異化」の弊害を、積極的に救済する方向が見えてきます。

2016年7月29日金曜日

物語戦略と神話戦略・・・違いを整理する

最近のマーケティング戦略論では、物語戦略と神話戦略が混同され、それぞれの功罪を無視した議論が流行しています。

しかし、物語戦略は「差異化戦略」、神話戦略は「差元化戦略」として、それぞれ明確に分けて議論すべきもので、むしろ対立的に考察すべき対象ではないでしょうか。

そこで、物語と神話はどのように違うのか、辞書類を調べてみると、さまざまな見解が述べられています。

それらを整理して、対比的に並べてみると、次のようにまとめることができます。

◆物語(Story)とは、一人の人間が言語を駆使して結びつけた意味の流れを、他人に向かって語りかけたうえ、集団的な虚構物として認めさせる文章群で、読物、小説、散文、講談、台本などの形をとります。

◆神話(Mythology)とは、民族や種族などの人間集団の心の底に潜んでいる、集団無意識的な世界像を、さまざまな象徴(C.G.ユングのいう元型:archetype)に仮託させて紡ぎ出した文章群で、昔話、民話、お伽噺、伝説などの形をとります。

2つの文章群の違いを示すため、具体的な事例を下表に挙げておきます。

以上のような物語と神話は、マーケティングに応用されると、次のようになります。

◆物語は「差異化」戦略の一つ、いわゆる物語戦略となり、「曰く因縁由緒来歴」などの意味を一連の記号の流れに変えて、商品やサービスの上に乗せることで、広告効果や販売拡大をねらうことになります。

◆神話は「差元化」戦略の有力な手法の一つ、神話戦略となって、商品やサービスの上にさまざまな元型を組み入れた象徴の流れを加えることで、ユーザーの感覚や無意識に訴求して、広告効果や販売拡大をねらいます。

表層的な次元でみれば、両方ともに需要拡大を狙ったマーケティング戦略ですが、もっと根本的な次元でみると、大きく異なっています。

差異化戦略と差延化戦略の間には、ユーザーに何を訴えるかという点において、根本的な違いがあるからです。
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2021年9月20日月曜日

言語3階層説を整理する!:その2

言語3階層説の視点から、古今東西の思想家の言説を生年順に整理しています。

前回の7人に続いて、今回は残りの7人です。

●K.W.フンボルト(Karl Wilhelm von Humboldt:1767~1835年)

言語は造り出された死者ではなく、むしろ、造り出す働きとしてみなすべきであるとし、事物の関連や意志疎通の手段として作用している事柄はむしろ度外視し、内的な精神活動との密接な関係、ある言語の起源とその相互の影響とに立ち帰って考えるべきである、と述べています。

日常・交信言語よりも、思考・観念言語や深層・象徴言語を重視すべきだ、というのです。

●G.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770~1831年)

人間の言葉とは、「自然の叫び声」に基盤を置きつつも、独自の構想力によって自然性や身体性を乗り越え、周りに広がる世界から自己を区分けし対象化することで、「精神」の根源となるものだ、と主張しています。

言語3階層論に当てはめれば、深層・象徴言語はもとより、日常・交信言語や思考・観念言語にまで広く及んでいる、といえるでしょう。

●F.ソシュール(Ferdinand de Saussure:1859-1913年)

人間の言語行動には、ランガージュ、ラング、パロールの、3つの側面があると言っています。ランガージュ、ラング、パロールの関係によって、思考・観念言語と日常・交信言語については認めていますが、言語の生まれる前の未言語次元、つまり深層・象徴言語については、その存在をほとんど否定しています。

●E.G.A.フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl:1859~1938年)

言語の持つ機能性や社会性についてはさまざまな論点を展開していますが、言語の本質や起源については、ほとんど触れていません。

言語3階層論に当てはめれば、思考・観念言語や日常・交信言語に限られており、深層・象徴言語の次元にはほとんど触れていません。

●S.フロイト(Sigmund Freud:1856~1939年)

「言葉の起源は性愛のための呼びかけであり、そこから労働などへ広がっていった」との説は正鵠を得ているから、精神分析上の夢の解読にもそのまま応用できるとし、その所論である無意識と夢の関係の中に、言葉の起源や発展過程を求めています。

言語3階層説に当てはめれば、象徴・深層言語に基底に置きつつ、日常・交信言語や思考・観念言語を思考している、といえるでしょう。

●C.G.ユング(Carl Gustav Jung:1875~1961年)

フロイトの所論をさらに徹底し、「言語による環境把握」の前に、「心理的イメージによる環境把握」、つまり「言語以前のイメージ」をより重視しています。

言語3階層説に敢えて当てはめれば、象徴・深層言語の胎芽ともいうべき次元の重視といえるでしょう。

●井筒俊彦(1914~1993年)

コトバの音声・文字(シニフィアン)と意味対象(シニフィエ)の関係は、ソシュールのいうような「恣意的」なものではなく、私たちの意識の深層(阿頼耶識)にある、なんらかの種(種子)の影響(言語アラヤ識)によって、両者が結びつくのだ、と主張します。

言語3階層説でいえば、言語アラヤ識とは象徴・深層言語ということになるでしょう。

以上のように、19世紀以降にも、言語について、さまざまな見解が示されていますが、3階層のいずれかに重点を置いた思考が多くなっているように思います。

このため、下記の表でも、中心論点がおかれた階層については大きな〇で、副次論点の場合は小さな〇で表示しています。

筆者の取り上げた思想家が偏っているせいかもしれませんが、時代が下るほど、深層・象徴言語への関心が高まっているように思います。

2020年5月11日月曜日

言語化とはいかなる行為なのか?

「ものがたり」とは、感覚が捉えた「もの」(身分け次元)を、予め定められた枠組みの「かたり」によって“言語”化(言分け次元)していく行為だ、と述べてきました。

それでは、“言語”化とは、いかなる行為をいうのでしょうか。

「言語」については、先学諸賢はもとより、専門書や辞書などで幾つかの定義がありますが、筆者は「音声とさまざまな対象を、体感的あるいは恣意的に結びつけ、それぞれを区別する、人間独自の心理的行為」と定義しています。

そのうえで、「一つの言葉は、初めは多分、純個人的に使われていたものの、集団内部で共有されるにつれ、やがて社会的慣習として存立するようになった」と推定しています。

このように定義と経緯を定めたうえで、言語の表面的、形態的な区別を考えると、定説が述べているように、音声を媒介とする「音声言語(話し言葉)」と、文字を媒介とする「文字言語(書き言葉)」に分けられます。

しかし、より本質的、内容的な区別としては、「表層言語」と「深層言語」に分けられるようです。前者は音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」であり、後者は無意識をとらえる「深層意識的な言語」です(井筒俊彦『意識と本質』)。【 “象徴”力の向上でウソとマコトを見分けよう!:2017年7月19日】参照。

さらに表層言語は日常的に会話する「日常言語」と、頭の中で観念や概念として使用している「観念言語」に分けられますから、結局のところ、私たちの言語行為は次の3つに分類される、と思います。

●表層言語(観念言語)・・・観念や概念など抽象化された記号として使用している言葉。

●日常言語(交信言語)・・・会話や文通などで日常的に使用している言葉。

●深層言語(象徴言語)は、日常言語以前のイメージ(元型)やオノマトペ(擬声語)など、無意識的な"象徴"に載って表される言葉。

このうち、深層言語には、象徴、無意識、感覚の3次元があります。【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】参照。



3次元は次のように説明できます。

①象徴=神話次元・・・既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系であり、その典型が「元型」である(C.G.ユング『人間と象徴』)。【「象徴」を応用する!:2016年4月9日】。

②無意識=未言語次元・・・通常は意識下の暗い深淵に潜んでいるが、時折、夢や幻想などイメージの形をとって噴出する意味体系。

③感覚=体感次元・・・個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚、いわゆる本能が直観させる意味体系。 

いずれも表層・日常的な言葉になる前の、いわば「もやもや」とした、潜在的な言語段階ですが、これらを「表層・日常言語」化する行為もまた、私たちの生活行動のさまざまな分野で行われています。その一つが「物語」なのでしょう。

2019年7月20日土曜日

「モト」の3次元を考える!

「モノからコトへ」の次は「コトからモトへ」進むべきだ、と述べてきましたので、「モト」の中身について少し触れておきましょう。

前回述べたように、「モト」には、本(モト)、下(モト)、元(モト)の、3つの次元があります。

①感覚・体感・・・本能
②無意識・未言語・・・下意識
③象徴・神話・・・元型

3つの次元については、【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で詳しく述べていますので、改めて要旨を紹介しておきます。

現象学の「エポケ(epokhē:判断中止)」を応用して、記号界のさまざまな「欲望」をかなぐり捨て、そのうえで生理的な「欲求」や無意識的な「欲動」の次元へ降りていきます。すると、そこに見えてくるのは象徴や神話の世界であり、さらにその下には無意識や下意識の世界、もっと下には感覚や体感の世界が広がっています。



それぞれの次元に浮遊している「モト」とは何なのか、その中身は次のようなものです。

①感覚・体感の次元
個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚、いわゆる本能の活動する次元です。

これらを鋭敏にするには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨て、直感的、感覚的な裸身をさらけ出すことが必要です。

野性的な動物や出産直後の乳児などの「本能」次元に立ち戻って、触覚、嗅覚、聴覚など視覚以外の感覚、つまり肌触り、快感、快汗、芳香、悪臭、美声、騒音などに敏感になることが求められるでしょう。


②無意識・下意識の次元

身分けと言分けの裂け目から生まれてくるカオスが、どろどろと蠢いている次元です。

通常は意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想などの形をとって噴出し、記号で覆われた欲望の厚い膜を突き破って出てきます。

これを活かすには、無意識や下意識が見えやすい環境を、積極的に作り出すことが必要です。


眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを誘い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させる。それができれば、外部から誘導された欲望の虚構性が自覚され、生身の生活願望が見えてくるはずです。

③象徴・神話の次元

無意識・下意識が漂う中で、言語や記号の生まれる以前のシンボルや元型(archetype)が蠢いている次元です。

C.G.ユングによると、【
サインとシンボル・・・どこが違うのか?:2015年8月28日】で紹介したように、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である、と定義されています(『人間と象徴』)。


私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。

とすれば、象徴が生み出した元型【「象徴」を応用する!:2016年4月9日】の微妙な動きやそれが繋がった神話の流れに敏感につかみ取ることが求められるでしょう。

なお、以上のような3次元を私たちが実際に活用する手法については、【差元化とは何か?:2015年8月】で詳述していますのでご照覧ください。

ともあれ、生活民自身が上記のような「モト」次元へと焦点をあて、それらを享受することができるようになれば、「モノ」や「コト」の次元を大きく飛び超えていく、一つの足掛かりとなるでしょう。