2016年12月31日土曜日

差延化戦略には5つの方法があった!

「差延化」という言葉を、21年前に筆者が始めて使ったのは、供給者サイドからのマーケティング戦略の中核であった「差別化」や「差異化」を超える商品開発戦略を、新たに提案するためでした。

その内容は【
〝差延化〟を初めて提唱した論文の要旨です!】(2015年8月1日)で述べていますが、具体的な方法として、次の5つを上げています。

①「私仕様」対応・・・ユーザー独自の注文に応えるもので、オーダースーツ、オーダー家具、オーダー結婚式パーティーなど。


②「参加」対応・・・ユーザーに7~8割程度の素材を提供するもので、雑誌の読者記者制度、組み替えスーツ、キット家具製作クラブ、自由設計プレハブ住宅、ログハウスなど。 

③「編集」対応・・・ユーザーの“自主編集権”を満足させるもので、各社の衣料を組み合わせて独自スタイルをつくり出す消費者編集ファッション、各社の部品を編集して独自の車をつくり出す改造車や改造バイクなど。

④「変換」対応・・・ユーザーが商品の用途を自由に変えられる要素を提供するもので、ポケットベルの用途の多様化、冷蔵庫の総合保管庫化など。

⑤「手作り」対応・・・ユーザーに2~3割程度の素材を提供するもので、手作りビール、デコラティブ(装飾的)ペインティング、デコパージュ風ニュー手芸、個人手配海外旅行など。

5つの戦略は、①から⑤へと進むほど、ユーザーの差延化願望に対応するレベルが上がっていきます

つまり、サプライヤー側からの差延化戦略では、私仕様・参加・編集・変換・手作りの順で、ユーザーの差延化願望に接近しているといえるのです。

2016年12月19日月曜日

生活民にとって「差延化」とは・・・

前回述べた、生活民の「価値」への態度のうち、③の【「個効」を活用して、自己生活の倫理に合うような、適切な「私効」に転換できるか否か、を考えなければいけない】という項目は、まさに「差延化」という方法そのものです。

「差延化」という言葉は、【
21年前、差延化戦略を提案しました!】(2015年7月31日)で述べたように、ポスト構造主義の主導者、J.デリダの哲学用語「差延」をマーケティング戦略に応用した、筆者の造語ですが、関係学会や業界などでは、ほぼ定着しているようです。

しかし、この時には供給者サイドからのマーケティング戦略の一つとして提案したものであって、生活民というユーザー側への提案ではなかった、と反省しています。

そこで、生活民のサイドに立って、「個効」を「私効」に変換する場合の「差延化」について、改めて触れておきましょう。

すでに【
生活民は「価値」よりも「私効」を重視!】(2016年11月22日)で述べた通り、言語学の知見に基づくと、生活民にとっての「価値」=ネウチには3つの形があります。
 
  • 価値=共効(Social Utility)・・・社会界において、ラング=社会集団が共同主観として認めた「共同的有用性」。
  • 個効(Individual Utility)・・・間人界において、生活民がパロール1=個人使用を行う時に、一人の個人として、社会的効用を受け入れた「個人的有用性」。
  • 私効(Private Utility)・・・私人界において、生活民がパロール2=私的使用を行う時、一人の私人が独自に創り出した「私的有用性」。

 
私たちが日本語という言葉を使う時、通常は日本社会で通用している単語と文法に従って会話や文通をしています。しかし、実際の生活では、辞書や文法書から外れた用法で、言葉を使うケースもかなりあります。それらに準拠しながらも、自らの創意を加えて、たな用法を編み出こともあります。
 
例えば「ライオン」は猛獣の獅子を表す言葉(ラング)ですが、最近の若者言葉では「朝から晩までメールを送ってくる人」(パロール1)を指すそうです。誰かが(株)ライオンのコピー「おはようからおやすみまで暮らしを見つめる」をもじって使い始めたこと(パロール2)が、一般化したものです。
 
モノに置き換えれば、電気冷蔵庫のネウチは食品や飲料を冷却保存すること(共効)であり、多くの消費者はそれを購入して、さまざまな食品を保存しています(個効)。ところが、独創的な生活民の中には、薬品や化粧水、あるいは銀行通帳や現金などを保存すること(私効)もあります。それが広がって、緊急時のための「命のバトン」のように、「私効」が「個効」となって、ついには「共効」となる事例も現れています。
以上のうち、パロール2や私効化という行為が、生活民の「差延化」にあたります。
 
この差延化には、私仕様、参加、手作り、編集、変換などの方法がありますが、生活民はどのように使いこなしていけばよいのでしょうか。

2016年12月7日水曜日

生活民は「価値」に惑わされない!

供給側からの「サプライヤ―・サイド・マーケティング(Supplier- side Marketing)」が、「価値」創造の商品開発に執着しているとすれば、需要側の「ユーザー・サイド・マーケティング(User-side Marketing)」では、どのように「価値」というネウチと付き合っていけばいいのでしょうか。

もともと「生活民」の前身となった「生活人」や「生活者」では、「価値」というネウチに対して、ともに厳しい態度をとってきました。

今和次郎の提唱した「生活人」とは、「外回りの倫理でかっこうだけをつけさせようとあせることなく、日常生活を通じての自己生活の倫理」を高めていく人格、と述べられています。この定義に従うと価値」というネウチは、まさに市場社会が創り出した「外回りの倫理」ですから、それよりも「私効」という「自己生活の倫理」を重視しなればならない、ということになります。

また
大熊信行の提起した「生活者」とは、「(大衆消費社会の)営利主義的戦略の対象としての、消費者であることをみずから最低限にとどめよう」とする人々、と定義されています。これに従えば、「価値」を売りこむ営利主義的戦略や「価値」を受け入れる消費者という立場を極力退けるべきだ、という方向が見えてきます。

とすれば、生活人や生活者を継承する生活民は、改めて言うまでもなく価値」に対して厳しい態度をとらなければなりません。それはどのようなものか、おおまかに整理してみると、次の3つになります。
①新規性やブランド性など、供給側の差し出す「価値」を、そのまま無自覚に受け入れてはいけない

②「価値」が個別のユーザーに差し出す「
個効」が、自らの生活に本当に活かせるか否か冷静に判別しなければいけない。

③「個効」を活用して、自己生活の倫理に合うような、適切な「
私効」に転換できるか否か、を考えなければいけない。

一人一人の生活民が、供給側からの執拗なマーケティングに惑わされることなく、消費市場への自らの対応力(User-side Marketing)を高めていくためには、この3つの努力が求められているのです