2022年11月30日水曜日

エンゲル係数で人口が変わる?

人減先進国としての日本の将来。それを考える前提として、過去100年間、人口増加時代の生活様式がいかに変わってきたのか、を確認しています。

前回の少産・多死化に続いて、今回は家計消費に占める食費、つまり「エンゲル係数」の変化を振り返ってみましょう。

いうまでもなく、エンゲル係数とは、世帯家計の消費支出に占める飲食費の割合(%)であり、この値が高いほど生活水準は低い、といわれています。エンゲル係数が高いと、貧困度が高く富裕度が低い、ということです。

それゆえ、エンゲル係数の長期的な推移をみれば、国民全体の貧困度の変動を推察することができます。

政府の主管する関連統計によって、1900年以降、120年間のエンゲル係数の推移を見ると、下図のようになります。 

19001940年は『長期経済統計』(東洋経済新報社)の個人消費支出推移から推計したもので、1900年の61.7%から始まり、1910年の61.3%、1920年の61.8%、1930年の53.5%を経て、1940 年には48.9%まで落ちている。しかし、消費支出の56を占めており、貧困度の高さを示している。

1946年以降は家計調査(2人以上の世帯が対象)によるもので、1946年の 66.4%から始まり、1960年の41.6%、1970年の34.1%、1980年の29.0%、1990年の25.4%、2000年の23.3%と低下したものの、2005年に22.9%で底を打ち、2010年に23.6%、201619年には25.725.8%に上がっている。4050年代には太平洋戦争の前と同レベルであったが、以後は下降して90年代以降は20%台となり、貧困度は戦前の半分以下に落ちている。

一方、総人口の動きは次のようなものです。

19001911年(内閣統計局・明治五年以降我国の人口)と19122020年(総務省・人口推計)でみると、戦前の人口は1900年の4385万人から急増し続け、1936年に7000万人を超えたあたりからやや停滞している。

②戦後は1946年の7575万人から再び急増に転じ、1950年に8320万人、1960年に9342万人、1967年に1億人1984年に12000万人を超した後、2008年に12808万人でピークとなり、以後は微減状態に入っている。

エンゲル係数と人口の動きと比較してみると、次のような傾向が浮かんできます。

❶大局的に見ると、エンゲル係数曲線と人口曲線は反比例している。エンゲル係数が低下するにつれて人口は増加し、やや上昇するだけで人口は停滞している。

❷ほぼ一貫して低下してきたエンゲル係数は、1990年代に20世紀初頭の3割程度にまで落ちたものの、21世紀に入ると、人口の停滞・減少と見合うように、横ばいから上昇に転じている。

❸戦前においては、エンゲル係数の低下に伴うように人口は増加しており、貧困度の縮小によって、多産少死化が進んだことを示している。戦後においても、エンゲル係数の低下傾向と人口の増加傾向は反比例しており、貧困度の低下が人口増加に繋がった、と推測できる。

2005年以降の上昇傾向は、2008年のリーマン・ショック後の経済停滞、2011年の東日本大震災などに加えて、2019年からのコロナショックが影響しているが、その影響が出生数の減少や死亡数の増加を招き、人口減少を加速させている、とも推測できる。

以上のように見てくると、エンゲル係数の動きもまた、人口変動と微妙に絡み合っている、といえるでしょう。

2022年11月23日水曜日

少産・多死化の推移を振り返る!

人減先進国としての日本の将来。それを考える前提として、過去100年間、人口増加時代の生活様式がいかに変わってきたのか、を確認しています。

前回の人口分布に続いて、今回は出生・死亡数の変化を振り返ってみましょう。

人口動態統計にとると、1900年以降、120年間の出生数、死亡数の推移は、下図のとおりです。194446年は資料不備のため省略。194772年は沖縄県を含まない。)  



出生数の推移

1900(明治23)年の142万人から、1941(昭和16)年の228万人まで増加した後、太平洋戦争による不明期となった。

②戦後の194748(昭和2223)年には268万人49(昭和24)年には270万人と最高値を示し、この3年間が1次ベビーブーマー、団塊一世の誕生であった。

③その後、1957(昭和32)年に157万人まで減少した後、再び増加に転じ、197274(昭和4749)年には203209万人と、第2次ベビーブーマー、団塊二世の誕生を示した。

④以後は約20年間減少を続け、1993(平成5)年に119万人まで落ちた後、199496(平成68)年に120万人前後で、団塊3を誕生させた。その後は徐々に減少となり、2000(平成12)年の119万人を経て、2020(令和2)年には84万人で120年間最低となった。

●死亡数の推移

1900(明治23)年の91万人から増加し、1920(大正7)年のスペイン風邪で142万人のピークを示した後、192040(大正9~昭和15)年代に120130万人へと推移した。

②戦後は1947(昭和22)年の114万人から減り始め、196070(昭和3555)年代は70万人前後を続けたものの、1980年代からは増え始め、1990(平成2)年に82万人2000(平成12)年に96万人を経て、2003(平成15)年に101万人100万人を越し、2020(令和2)年には137万人で120年間最大に達している。

120年間の変化を整理すると、次のようになります。

①出生数は1990年をベースとすると、49年に1.973年に1.5に達したが、85年には1.0となり、以降は減り続けて、2020年には0.6まで落ち、戦前戦後最低となっている。

②死亡数も、1990年をベースとすると、201.6にまで増加したが、40年には1.3にまで低下した後、さらに減少を続け、196080年代には0.8となった。90年代に入ると反転し始め、1995年に1.0を超え、2020年には1.5と戦前1923年のレベルに戻っている。

③大局的に見ると、出生数の推移は1949年をピークとする山型であり、死亡数の推移は1960年代をボトムとする谷型である。

④こうした推移の結果、20052007に死亡数が出生数を追い抜き、それ以後、日本人人口は減少過程に入っている。 

以上のように見てくると、120年間の変化は、❶戦前(19001944年)の出生増加・死亡微増期、❷戦後回復時代(19451975年)の出生増加・死亡低位期、❸社会安定時代(19762020年)の出生減少・死亡増加期、の3段階に大別できそうです。

2022年11月11日金曜日

平均寿命が100年で40歳も伸びた!

人減先進国としての日本の将来。それを考える前提として、過去100年間、人口増加時代の生活様式がいかに変わってきたのか、を確認しています。

前回の人口分布に続いて、今回は平均寿命の変化を振り返ってみましょう。

いうまでもなく平均寿命とは、0歳時の平均余命(ある年齢の人がその後何年生きられるかという期待値)です。

国家の医療・衛生水準や人生の平均的長さを表していますので、一人の人間の生涯にどれほどの生活資源が必要なのか、いわば「生涯容量」を表すことにもなります

そこで、厚生労働省の簡易生命表によって、約100年前からの平均寿命の推移を顧みると、下図のようになります。



1900年ころ男性は43.97、女性は44.85で、40年代までは40歳代を23歳ほど上昇していたが、太平洋戦争後に急上昇に転じ、47には男性50.06、女性53.9650歳を越えた。

➁戦後の1955になると、男性63.60、女性67.75と上昇し、60年に70歳を女性が、75年に男性がそれぞれ超えるとさらに伸びて、2020には男性81.64、女性87.74に達している。

③男性・女性の平均寿命を単純平均化すると、1901年の44.41から、47年に52.0151年に61.2765年に70.33と上昇し、2000年に81.162020年に84.69に達している。

120年間で、平均寿命は1.9、ほぼ2に伸びている。

以上のような平均寿命の推移を前提に、1901年の44.41歳を基準値1.00として、各年の上昇比率を算出し、その比率に各年の総人口を掛け合わせると、「総生涯容量」の傾向が推定できます。

生涯容量とは、一人の人間が一生の間に必要とする生活資源などの容量である。例えば、1901の一人は44歳分の生活資源などを必要としていたが、2020の一人は85歳分が必要となり、前者より1.91も多くなる。

総生涯容量とは、各人の生涯容量に人口の総数を掛け合わせたもので、全人口が必要としている総容量を表している。

総生涯容量の変化を想定すると、下図のようになります。 


1901年に4436万人分であった総生涯容量は、戦前の35年に7528万人分に達し、戦後の47年に9147万人分と急拡大した後、55年に13321万人分となって、工業現波の人口容量12800万人を超えている。

②その後、1980年に20047万人と2億人を超え2020年には24056万人に達している。つまり、人生の長さを考慮した「総生涯容量」となると、人数だけの許容量を示す「人口容量」を大きく超えることを示している。

こうしてみると、長寿者の多くなる社会では、単純な人口容量の規模を超えて、その倍ほどの生存容量が必要となるようです。

経済規模や社会保障制度はもとより、生活環境、国土構造、コミュニティ維持などにおいても、統合的な生活構造維持体制が求められる、ということでしょう。