2017年7月19日水曜日

“象徴”力の向上でウソとマコトを見分けよう!

真実界と虚構界の、2つの空間に挟まれ、真偽の入り混じった生活空間・・・これこそが私たちが毎日暮らしている日常界です。

それゆえ、私たちの日常生活とは、真実と虚構の狭間で絶えず揺れ動いています

とりわけ、最近ではSNSなどWeb Networkの拡大で、日常界ではウソの比重が急速に高まってきました

真っ赤なウソやいい加減な情報が飛び交ったり、客観的な事実を無視して感情的な主張のみが罷り通る政治状況、いわゆる「Populism」も広がり始め、「post-truth(脱・真実)」などという懸念も高まっています。

IT技術が創り出した、こうした社会環境に、私たち一人ひとりの生活民はどのように対応していけばよいのでしょうか。

すでに「
SNSにどう向き合うか?」(2017年5月11日)で述べましたが、2つの基本的な態度が求められます。

情報環境への差延化行動の強化・・・「私仕様」「参加」「編集」「変換」「手作り」という5つの基本行動を積極的に展開して、情報市場の生活素場化を進めていく。

②情報発信の基本である言語虚実性の応用化・・・「言葉」というツールの、真実と虚構という二重性を徹底的に理解したうえで利用していく。

この2つは下図でいうと、個人-社会軸、真実-虚構軸に対応するものですが、これらに加えてもう一つ、言語-感覚軸に対応する行動が考えられます。



深層的言語能力の強化・・・SNSなどで多用されている表層的な言語(記号)だけでなく、それらの深部に存在する、深層的な言語(象徴)の活用行動を深めることで、表層記号の真偽を見分ける能力を高めていく。

言葉というと、音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」だけと考えがちですが、もう一つ、無意識をとらえる「深層意識的な言語」があります(井筒俊彦『意識と本質』)。

なんとなく気持ちが悪い、なんとなく違和感がある、とりあえず好感度が高い、といった次元で、周りの現象を把握し、それを日常言語以前のイメージ(元型)
オノマトペ(擬声語)などで理解することです。

表層的な言語が「記号」であるとするなら、深層的な言語は心理学的な意味での「象徴」とよばれています。

象徴次元のウソとマコトは、記号次元に比べると、より直接的に身分けられるものです。象徴次元での言語感覚が高まれば、記号次元でのウソ・マコトを仕分ける能力もまた急速に上昇していきます。

それゆえ、象徴という言語を使いこなすために、直観力や体感力など、もともと人間に備わっている表象能力を改めて強化することが必要です。

「post-truth(脱・真実)」を打ち破るためには、①②に加えて、究極的には③の象徴力の錬磨が求められるでしょう。

2017年7月6日木曜日

メタ・メッセージで「虚構」を遊ぶ!

「まこと」や「真実」の対極にある「うそ」や「虚構」は、どんな仕組みから生まれてくるのでしょうか。

言葉という装置は、「真実」を保証するとともに、「虚構」もまた作り出しています。

言葉の作り出すメタ・メッセージ空間には、すべてを「真実」とみなす「真実界」と、すべてを「虚構」とする「虚構界」が、「日常界」を挟んで向かい合っています。

このうち、虚構界とは「
差戯化とは何か?」(2015年11月29日)の中で述べたように、言葉の示すことをすべて嘘とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場であり、いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」「ソラゴト」「タワゴト」などの言葉が浮遊する空間です。

虚構界の中では、私たちは言葉の示す意味や目標を意識的に緩めたうえで、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わっていますが、その中身を整理してみると、次の2つに大別できます

➀言葉の持つ規範性を敢えて無視し、怠惰、虚無、浪費、蕩尽などへまっしぐらに転落していこうとする消極的な弛緩行動であり、個人次元でいえば目標や規律を外した怠惰や惰性、経済次元でいえば節約や貯蓄を無視した浪費や蕩尽などが該当します。

勤務中のタバコやコーヒーは、日常界では怠惰や惰性とみなされやすいのですが、虚構界であれば息抜きやリフレッシュとして評価されます。

仕事納めの大宴会は、日常界では浪費や無駄使とみなされますが、虚構界であれば 大番振舞やポトラッチ(蕩尽儀礼)として評価されます。

②言葉の虚構性をむしろ認めて、遊戯、ゲーム、模擬、混乱などを思い切り楽しもうとする積極的な遊戯行動であり、個人次元でいえば息抜きのための遊戯や遊興、社会次元でいえば大衆的なスポーツやエンターテインメントなどが該当します。

●男同士が本気で殴りあえば、日常界では「大喧嘩」と見なされて可罰対象になりますが、虚構界であれば「ボクシング」というスポーツ行為として、何のお咎めがないばかりか、恰好な見物対象になります。

●ゴジラがビルを破壊すれば、日常界では「大災害」と見なされますが、虚構界であれば「映画」の中のこととして、娯楽や鑑賞の対象になります。


以上のように、虚構界では虚構行動そのものが、真実とは異なる意味で、有意義な生活行動として認められています。

「うそ」という行動は、「まこと」と同等に、私たち人間の生活の中で重要な位置を占めているのです

2017年6月29日木曜日

メタ・メッセージが「真実」を保証する!

現実と仮想、真実と虚構・・・どちらもまた、私たち人間の「言分け」力が作り出したものです。

この「真実」・・・、私たちが言葉で作り出した「真実」とは、一体いかなるものなのでしょうか。

すでに「
差真化とは何か?」(2015年11月5日)で述べていますが、私たちが「言分け」能力によって作り出した「モノコト界」の中では、真実を表す言葉と虚構を表す言葉が複雑に入り組んで使われています。

私たちが毎日暮らしている生活空間とは、真と偽の入り混じった生活空間であるからです。

だが、このままでは不安になってきますから、私たちは予め、言葉が真実を保証する場と、言葉が虚構であることを示す場を用意して、それぞれの中で言葉を使い分けています。

この装置がいわゆる「
メタ・メッセージ」ですが、それは一つ一つの言葉がさまざまなモノやイメージを示す「基本的なメッセージ」の次元を超えて、幾つかの言葉がまとまって一定の約束事を示す「超越的なメッセージ」の次元を示しています。

前者の、言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなす場が「真実界」であり、その中で私たちは儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などを行なっています。つまり、「マコト」「ナライゴト」「サダメゴト」などです。

他方、後者の、言葉の示すことをすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場が「虚構界」ですが、ここでは遊戯、弛緩、怠惰、放蕩、遊興、浪費、蕩尽などを行なっています。いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」などです。

とすれば、真実界の中で使われている言葉は、すべて「真実」であるという約束のうえでで、モノゴトを表現しています。

逆にいえば、真実界で使われる以上、一つの言葉は必ず真実を示さなければならない、というきまりになっている、ともいえるでしょう。

さらにいえば、言葉の意味するモノを疑っていては、「言分け」力の存在すら無くなる。それは人間そのもの存在すら否定することになりかねないのです。

それゆえ、私たちは、儀式や儀礼の場で使われている言葉を、些か胡散臭さを感じたとしても、全く疑いをはさむことなく「真実」として理解しているのです。

その延長線上で「学習・訓練」や「節約・貯蓄」といった生活空間においても、言葉の示した目標をできるだけ「真実」として受け入れ、それを実現すべく努力するのです。

このように考ええると、言葉の示す「真実」とは、「メタ・メッセージ」という約束事に強く依存しているものだ、ともいえるでしょう。 

2017年6月21日水曜日

IT が創り出す“虚構現実”とは・・・

日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う「モノコト界」であり、「真実」を保証するものではありません。

その世界へ近頃ではさらに、IT技術が創り出す「虚構現実」が大量に参入し始めています。

高精度なゴーグル型のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)も登場し、それらを利用すれば、架空の現実を真実のように体験できるようになってきました。

この「虚構現実」では、現在のところ VR、AR、MRの3つが代表的です。

VR(Virtual Reality : バーチャルリアリティ:仮想現実)・・・コンピューター上に人工的な環境を作り出し、利用者があたかもそこにいるかの様な感覚を体験できる技術。

AR(Augmented Reality : オーグメンテッドリアリティー:拡張現実)・・・現実の上に付加情報を表示させて、現実世界を拡張する技術。

MR(Mixed Reality : ミックスドリアリティー:複合現実)・・・VRが創り出した人工的な仮想世界の上に現実世界の情報を重ね合わせ、現実と仮想を融合させた世界を創る技術。

説明文だけではわかりにくいので、実例をあげてみましょう。

VR・・・現実には見えない星までも、精密に描き出すプラネタリウムアプリ。

AR・・・スマホの画面に映った夜空の上に、星座の形を描き出すアプリ。

MR・・・プラネタリウムアプリが描き出した星空の中に、現実に操縦可能なロケットで乗り出していくアプリ。

3つの「虚構現実」を創り出すのもまた、基本的には、私たち人間の持つ「言分け」能力です。

それゆえ、前回述べた「身分け・言分け構造」の中に位置づけてみると、下図のようになります。




 VRはコト界が創り出した模擬的世界、ARはモノコト界へコト界が介入した付加的世界、MRはVRの創り出した模擬的世界にコト界の創り出した、もう一つのモノコトが算入する融合的世界ということです。

現在のところはまだVRが中心ですが、今後は現実世界を拡張するAR、さらに仮想と現実を組み合わせるMRへと発展し、虚構と現実が多様に絡み合う日常が到来することになるでしょう。

それにつれて、現実と虚構の間が次第に曖昧となり、真実そのものの意味もまた問い直されるかもしれません。 

2017年6月10日土曜日

嘘を作り出す二重の構造!

 言葉を持った時から、人間は嘘の中で生きています。

言葉という人類の道具そのものが、必ずしも真実をとらえるものではないからです。

すでに「
身分け・言分けが6つの世界を作る!」(2015年3月3日)で述べていますが、人間は二重の意味真実から逃げている動物です。

①「身分け」られなかったモノは、初めからなかったことにしている

人間の周りには物理的な世界、すなわち「物界(フィジクス:physics)が広がっています。

そこから人間は本能や感覚器による「身分け」によって「モノ界(環境世界)」を拾い上げ、それを「自然」そのものとしてとらえています。

しかし、とらえられなかった物的世界は「感覚外界(メー・オン:mee on=非在)として排除しています。

例えば、紫外線という光は、魚類、爬虫類、鳥類、昆虫などには感知できる種がいますから、まちがいなく実在していますが、ヒトの目にはまったく見えませんから存在しないのと同じことになります。

犬笛が発する1600~2000ヘルツの音も、犬には聞こえますが、ヒトにはほとんど聞こえませんから、物質的には存在しているものの、人間には存在しないことになります

私たち人間は周りの「自然(ピュシス:physis)」を、物理的世界そのものだと思いがちですが、必ずしもそうではないのです。ヒトという種にとっての「自然」とは、物界そのものなのではなく、あくまでもヒトという種の本能や感覚器を通過したかぎりでのフィジクスにすぎないのです。

②「言分け」られなかったモノはカオスとしている

この「モノ=自然界」から、人間は「言分け」によって「言葉による世界=コト界」を抽出しています。

「コト=シンボル化能力」によって、「モノ界」の中から、葉によって理解される限りでのゲシュタルトをつり上げ、新たに「コト界」を形成しているのです。

この時、「言分け」の網の目によって、モノ界からコト界へくみ上げられたものが「コスモス(cosmos)になり、くみ上げられなかったものが「カオス(chaos)になります。

コスモスとは「言葉による世界=コト界」を意味し、カオスとは「言分け」の網の目がひろい上げられなかった「言語外の世界」を示しています。




このように、私たち人間という動物は、「身分け」能力によって、周りの「物界(フィジクス)」を「モノ界(ピュシス)」と「感覚外界(メー・オン)」に分け、さらに「言分け」能力によって「モノ界(ピュシス)」を「コト界(コスモス)」と「言語外界(カオス)」に分けたうえで、日常の生活世界を作り上げています。

それゆえ、日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う「モノコト界」であり、二重の意味で「真実」を保証するものではありません

人間という動物はもともと、真実とはかなり遠いところで生きている存在といえるでしょう。

2017年5月29日月曜日

メッセージが伝える、6つの嘘とは・・・

言葉の示す「」とは何でしょうか。

前回述べたように、文化人類学のMetamessage論によれば、私たちの生きている言語空間は、言葉の示すことを全く疑わないですべて真実とみなす「真実空間」と、言葉の示すことはすべて虚構とみなす「虚構空間」、そして両者の間で言葉とは真偽入り混じったものだと考える「日常空間」の、3つによって成り立っています。

それゆえ、言葉と虚実の関係が実際に問題になるのは日常空間です。

この空間内で言葉が嘘を意味するケースには、幾つかの分類法がありますが、言語学的な視点に立つと、まずは単語が嘘を示すSemantics(意味論)次元と文章が嘘を示すSyntax(統辞論)次元に分かれ、前者は2つに、後者は4つに分かれてきます。


Fake Signifié(偽語意)次元・・・犬や狐や狸などを指さして「猫だ」と、単語そのものが嘘を示すケース。

Assert Signifié(断語意)次元・・・小動物(猫、犬、狐、狸など)を見て「猫だ」と、単語の意味を断定するケース。


Fake Message(偽文意)次元・・・猫を指さして、「これは猫ではない」と、文章の前後で嘘を示すケース。

Reverse Message(逆文意)次元・・・文章で嘘を示すケース・・・目の前に猫がいるのに、「猫がいない」と嘘をいうケース。

Assert Message(断定文意)次元・・・暗闇の中の小動物(猫、犬、狐、狸など)を見て、「猫がいる」と断言するケース。

Fiction Message(虚構文意)次元・・・猫を虐めた子どもたちに、「猫は化けて出る動物だ」と諭すケース。

以上の6つが、Word自身やそれが連なったSentenceが嘘のMessageを示す、代表的なケースですが、勿論、これ以外にもなお幾つかのケースが考えられるでしょう。

生活民がこれらを的確に見破り、さらには積極的に使いこなしていくにはどうすればいいのでしょうか。

2017年5月23日火曜日

「脱・真実」へ対応する!

post-truth(脱・真実)という言葉が流行しています。

この言葉を作ったオックスフォード大学出版局によると「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」を意味しているそうです。

アメリカ合衆国はもとより、ヨーロッパ諸国の政治状況をみると、なるほど!とも頷けます。日本もまた同様なのかもしれません。

背景の一つには、パソメディアの急速な拡大でマスメディアの相対的な凋落という、情報環境の激変が考えられます。

こうした社会的環境の変化に、生活民はどのように対応していったらいいのでしょうか。

メディア上を飛び交っている“言葉”の本質的な機能を改めて理解するところから、再構築していくことが求められます。

これについてはすでに「
前後軸が作るメタ・メッセージの世界」((2015年3月12日)や「差真化とは何か?」(2015年11月5日)で述べていますが、改めて解説しておきましょう。

私たち人間は、自然環境であれ社会環境であれ、周りの生活世界を、言葉やシンボルによって理解しています。生活世界のさまざまな現象は、一つずつ言葉と対応することによって、私たちの頭脳の中に収まっているのです。

だが、言葉とは意外に曖昧なもので、真実を示すとともに、虚偽もまた示すものです。言葉という人間独自のツールには、真実を表すとともに、嘘を表すという、両方の機能があるからです。

こうした言葉の機能を、文化人類学の専門用語では「メタ・メッセージ」と名づけています。一つ一つの言葉がさまざまなモノやイメージを示す「基本的なメッセージ」の次元を超えて、幾つかの言葉がまとまって一定の約束事を示す「超越的なメッセージ」をあらわすことを意味しています。

この立場に立つと、言葉の示すことを全く疑わないですべて真実とみなすメタ・メッセージの場が、儀礼や儀式に代表される「真実空間」であり、逆に言葉の示すことはすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむメタ・メッセージの場が「虚構空間」ということになります。



そして、2つの空間に挟まれて、真偽の入り混じった生活空間こそが、私たちが毎日暮らしている「日常空間」です。

要するに、私たちの生活空間とは、毎日の暮らしの世界、儀式や儀礼などの真実世界、ゲームやドラマなどの虚構世界の、3つで構成されていということです。

それゆえ、私たちの日常生活とは、真実と虚構の狭間で絶えず揺れ動いている、ということになります。

以上のように考えると、言葉が作り出す、さまざまな情報世界への対応がこれまでとはかなり変わってきます。

供給側からのマーケティング戦略では、真実向けを差真化戦略、虚構向けを差戯化戦略と位置付けて、日常的な戦略とは一味違った戦略を採用し始めています。

こうした社会環境の変化に対して、生活民はどのように対応していけばいいのでしょうか。