2024年3月7日木曜日

生活心理を考える・・・意識としての生活世界構造

生活新原論の2番めは、生活民の意識構造、つまり生活主体の意識がどのような世界から生まれてくるのか、という課題です。

このテーマについては、当ブログにおいて幾度か修正を加えながら、「生活世界構造」と題して詳しく展開してきました。主な論点を整理しておきましょう。

①【生活構造の縦と横】では、私たちのさまざまな生活意識が生まれてくる〝場〟、現象学的社会学が「生活世界」と名づけた生活空間を提案しています。この空間を、縦軸としての心の階層と、横軸としての行動の空間の、相互にクロスする次元として把握しています。2つの軸のうち、縦軸が生活意識の生まれてくる次元です。

②【身分け・言分けが6つの世界を作る!】では、縦軸を構成する、最も基本的な要素として「身分け」と「言分け」の2つを挙げています。「身分け(みわけ)」とは、哲学者の市川浩が「身によって世界が分節化されると同時に、世界によって身自身が分節化されるという両義的・共起的な事態」と定義したもの、また「言分け(ことわけ)」とは、言語学者の丸山圭三郎が「シンボル化能力とその活動」、つまり広い意味でのコトバを操る能力とそれによって生まれる世界を意味しています。

言語3階層説の基盤を考えるでは、「身分け」「言分け」に加えて、「識分け(しわけ)」の導入を、筆者が提案しています。「識分け」とは、仏教の唯識論や言語学者・井筒俊彦の言語アラヤ識論にも因んで、「身分け=感覚把握」と「言分け=言語把握」の間に、もう一つ「識分け=意識把握」の次元がある、ということです。

④【「ことしり」から「ことわり」へ!】では、「身分け」「識分け」「言分け」に加え、さらにもう一つ「網分け(あみわけ)」を、筆者が提案しました。「網分け」とは日常的な言語の上に、もう一つ思考・観念的な言葉の次元を配慮したものです。「言分け」の分節化で生み出された言葉や記号の上に、さらに特定の意図による「網」をかけて、抽象化された言葉や記号を創り出すことを意味しています。「網分け」によって、日常的かつ広義的な言語が推理・整頓され、極めて狭義的かつ正確的な思考・観念言語が生み出されるのです。

以上のような4つのプロセスを設定すると、生活民の生活心理、つまり生活意識は下図のような「生活世界構造」として把握できます。



身分け・識分け・言分け・網分けの4分けによって、生活意識は次のように作動することになります。

❶生活民の意識行動は【おぼえず­~おぼえる~しる~はなす~かんがえる】に分かれてきます。

❷意識行動の変化によって、生活民の心の中には、ソト界(未知界)モノ界(認知界)モノコト界(識知界)コト界(言知界)アミ界(理知界)の、5つの心理的世界が生まれてきます。

❸5つの世界では、無感覚~無意識~意識~知識~学識という、 5つの認識行動が動き出します。 

生活学の新たな原論では、生活民が営む、さまざまな生活行動の背景に、以上のような意識構造と手順が潜んでいる、と考えています。


2024年2月29日木曜日

生活主体を考える➔生活民!

生活新原論の最初は、生活を行っている主体、つまり「生活主体」をどうとらえるか、という課題です。

生活主体とは何かについては、消費者生活者生活人など、これまでさまざまな定義や議論が行われてきました。

当ブログでも、消費者とは誰のことか?】【大熊信行の提起した「生活者」とは・・・】【今和次郎は「生活人」を提唱!】などですでに紹介してきました。

また日本生活学会編『生活学事典』(TBSブリタニカ、1999の中で、筆者は「消費者とは市場社会の内にとどまる人であり、生活者とは市場社会を超えた人なのである」とも述べています。

そのうえで、【「生活民」とはどんな人?おいて、新たに「生活民」という主体を提言しています。

これらを整理すると、「生活民」という定義こそ、今回の生活学新原論にふさわしい生活主体ではないか、と思われます。


新たな生活学における生活主体、生活民とはどのような人間をいうのでしょうか。これまでの言説を整理してみると、次のような人間像が浮かび上がってきます。

①経済学等でいう「消費者」は「生産者の提供するモノやサービスを、市場を通じて購入し、消費する人」であり、主体的な生活を行う人とは言えませんから、抑制していきます。

②今和次郎の提案した「生活人」からは、「美学や哲学などの次元にまで幅を広げた、より総合的な人間像」を継承しています。

③大熊信行の提案した「生活者」からは、「営利主義の対象である“消費者”を抑制する」ことや「自己生産を基本にする」ことを継承しています。

④その一方で、「生活人」が否定した「伝統や慣習、あるいは流行を追い求める生活行動」や、「生活者」が排除した「気晴らしや見せびらかしなどを求める願望次元」なども積極的に肯定し、両方とも含めた人間像をめざします。

⑤以上を統合して、生活の主体を、市場社会のユーザーの立場を超えて、市場の成立以前から存在した、自立的な人間におきます。

⑥こうした視点から、庶民、市民、人民、公民、国民などに共通する「」の視点を再評価し、「生活民」と名付けます。

上記のように生活主体を定義すれば、「生活民」の意味するところは「自給自立人」ですから、英訳すれば「Self-helper」ということになるでしょう。

2024年2月21日水曜日

生活学の新たな展開に向かって

生活学という、新たな学問分野について、基本的な視点と方法を考える「新原論」を展開しようとしています。

これは初めてのことではなく、実は30数年も前、日本生活学会を退会する直前に、同学会論文集『生活学1990』の序文として、次のような文章を寄稿しています。



序――生活学の新たな展開に向かって

私たちの生活をとりまく環境は、最近、急速に変わってきた。

鳥瞰的にみれば、 1830年以降一貫して増加し、現在約13200万人に達したわが国の総人口が、2010年頃の13600万人をピークとして減少過程に入っていくものと予測されている(厚生省人口問題研究所)。このため、1990年から2010年までの20年間は、人口が漸増から急増へと転換した明治維新や、急増期のほぼ中央に当たる太平洋戦争などの時期に匹敵する、 一大転換期となる可能性が強い

つまり、この時期には、約160年間続いてきた、成長・拡大型の社会システムや生活様式が終わり、飽和・安定型のシステムや様式への移行が始まる。従来の世の中の仕組みや生活慣習などがいったん弛緩し、再構成に向かって動き出すことが予想される。

一方、虫瞰的にも、私たちの身の周りでは、さまざまな変化が起こり始めている。町を歩けば、円高や内需主導経済の進行に伴って、外国商品の彩しい流入、外国人労働者の急増などが始まっているし、家に帰れば、サービス化や高度情報化の進展に伴って、家事の外部化が進む一方、夥しいニューメディアが流入し、従来からの家庭機能を大きく変えつつある。

生活主体の側でも、高齢化、単身化、男女格差の縮小などが、急速に進み始めているし、家族そのものもまた、伝統的な三世代家族や核家族だけでなく、DINKS(子どものいない共働き夫婦)、ステップファミリー(子連れ再婚家族など)、別居家族、単身者同居家族などの多様化か始まっている。

これらの変化に影響されて、生活構造もまた、大きく見直しを迫られている。仕事一辺倒の生活から、できるだけ余裕のある生活へ、できるだけ休みをとる生活へという動きは、さらに進んで、仕事と生活の融合や、仕事と遊びの融合をめざす方向へと動き出している。

そこで、生活の24時間化や就業畔間のフレックスタイム化、あるいは職住近接のサテライトオフィス、職遊近接のリゾートオフィス、さらには在宅勤務のホームオフィスなど、従来の生活時間や生活空間の枠を超えた、新たな動きも始まっている。

以上のように、鳥瞰のみならず虫瞰的にも、生活環境、生活主体、生活区分、生活時聞、生活空間など、あらゆる生活の分野で、従来とは異なる動きが発生している。

とすると、生活に関する学問にも、このような変化に対応できる、新たな展開が必要となってきた。従来からの理論や方法に加えて、転換期の生活を読み取るための、新しい理論と方法が求められることになる。

折から、日本生活学会は、1988牟初夏から89年夏にかけての約1年間、「今和次郎生誕百年・日本生活学会設立15周年記念行事」として、さまざまなイベントを行ってきた。これらは、当学会創立者の業績をしのぶとともに、設立後15年間の知的成果を世に問うものであったが、予想以上に多くの観各や聴衆を集め、一応の評価を収めることができた。

これによって、創設期以来の一区切りがついた。とすれば、今や日本生活学会は、新たな目標を模索すべき時にきている。これまで15年間の蓄積を基礎にしつつ、これからの15年間に向けて、新たな一歩を踏み出さねばならないと思うのだ。

幸いにして、この『生活学一九九〇』には、新しい方向への契機となりうる論文を.いくつか納めることができた。これらを素材として、今後、より活発な議論の起こることを期待したい。

19891031日      古 田 隆 彦

現時点で読み返してみると、30数年という時間差をほとんど感じません。2000年以降について予想した事象は、概ね当たっていると思います。

この序文以降、筆者はこうした問題意識を抱きつつ、生活学の新たな視点と方法を求めて、さまざまな方向から検討を続け、その一部をこのブログでも述べてきました。

これから始めようとしている「生活学・新原論」は、それらの集約ということになるでしょう。

2024年2月7日水曜日

生活学・新原論・・・基本を問い直す!

言語6階層論がひとまず決着しましたので、今回からはこのブログのタイトルでもある「生活学」の見直しについて、拙論を展開していきます。

周知のとおり、「生活学」は、考現学の提唱者、今和次郎先生 1951年に提唱された、新たな学問分野であり、約20年後の1972年に日本生活学会が発足しています。

設立趣意書では【生活のなかで人間を発見し、人間を通して、生活を見つめ、そのことによって、人間にとっての「生きる」ことの意味を探求すること―-それが「生活学」の立場】と謳われています。

家政学や生活科学などの狭隘性を超えて、よりトータルに生活事象を究明する立場を新たに提唱したもの、ともいえるでしょう。

筆者もまた半世紀前に生活学へ関心を抱き、1974年に日本生活学会に入会197981年に理事8190年には常任理事・事務局長を担当してきました。

しかし、市場社会における生活民の状況という、個人的な関心を究明しているうち、衣食住などの現象面の分析に比重をおく、学会内部の研究傾向にやや違和感を抱くようになりました。研究発表や研究会におけるテーマにも考現学的次元が多く、次第に関心が薄れてきましたので、1990年に退会しました。   

その後は、市場社会への生活民サイドからのアプローチを「Self-helper Marketing」、略称「SH Marketing」と名付け、生活意識や生活行動などを究明してきました。

その内容はこのブログにおいて、さまざまな形で述べてきましたが、今回はそれらを改めて整理し、生活学の新たな構成を「新・原論」として取りまとめてみたいと思います。


基本的な構成は、概ね次のようなものです。

①生活主体・・・生活民の定義と位置

②生活心理・・・意識としての生活世界構造

③生活行動・・・意識が生み出す多様な行動

④生活時間・・・人生や日常生活の時間的構造、

⑤生活空間・・・衣食住に代表される空間的構造

⑥生活資源・・・生活費用や生活素材などの家計的構造

⑦その他

上記は現時点の想定であり、今後の進行過程でかなり変化していくかもしれません。

いずれにしろ、人口の減る時代に「生活学」とはどのような方向へ向かうべきなのか、個別的かつ統合的に改めて整理していきたいと思います。

2024年1月23日火曜日

言語の未来・・・観念言語から統合言語へ

観念言語の最先端AI言語にも幾つかの限界がある、と述べてきました。

とすれば、観念言語は、今後どのような方向へ転換していけばいいのでしょうか。

一言で言えば、「観念言語」から「統合言語」への進展です。

「統合言語」とは、下図に示したように、「網分け」領域から「言分け」領域へ踏み込んでいく言語です。



観念言語が「言分け」から「網分け」への細分化で生まれたのに対し、統合言語は「網分け」から「言分け」への合節化で作られていきます。

観念言語が自然言語から交信言語や思考言語を経て次第に抽象化されるのに対し、統合言語は思考言語から交信言語へ、さらに自然言語までをできるだけ具象化していきます。

言語機能の未来という、壮絶な展望ですから、当たるか否かは全く不明ですが、観念言語の代表として科学用語の代表、システム用語で考えてみます。

システム用語とは、AIを構成するプログラム用語のように、理知界として捉えられた頭脳内の世界だけで作動する言語です。

このシステム用語については、【システム化からストラクチャー化へ!】で述べたように、「正確ではあるが狭意である」という限界を超えるため、「曖昧であるが広義である」というストラクチャー用語への限りなき接近が求められます。「網分け」の狭窄を緩めて、「言分け」の包括をめざすということですが、次のような方向が考えられます。

①システムの網目をできるだけ細かくして、結節点であるシステム用語の数を増やすことにより、表現対象をより多く汲み取れるようにする。

②思考結果を表現するシステム用語に、思考過程で捨象した要素を可能な限り復活させ、日常的なシニフィエに近づける。

③個々のシステム用語のシニフィエをできるだけ大きくし、ストラクチャー用語の表現対象に近づける。

3つの方向のうち、①はシステム用語の細密化にすぎませんから、②③の方向こそ進むべき道だ、と思われます。

このような修正が今後正確に行われるようになれば、科学用語の一角をなすシステム用語にも、新たな次元へと進むチャンスが巡ってくるでしょう。

これこそ、「観念言語」から「統合言語」への進化を意味しています。「網分け」による観念言語の分断化を見直し、「言分け」による自然言語の包括化へ使づくこと、といってもいいでしょう。

現代の科学技術を支える観念言語から、次世代の科学技術を引き起こす、新たな言語として、統合言語の育成と拡大が期待されているのです。

もし統合言語による科学技術に見直しによって、分断的な「科学」という時代知を超えることができれば、新たな時代知、つまり統合的な新科学「オムニ₋・サイエンス(Omni-science)」、つまり「オムニシエンス(Omniscience」が生まれることになります。

オムニシエンス(Omni-scienceとは、中世ラテン語のomni(すべて)とscientia (知識)が結びついた言葉で、「全知」や「完全な知恵」を意味しており、未来社会では「統合的な知」、つまり「より総合化された科学」を表わすことになるでしょう。

これまで10回にわたり展開してきた言語6階層論は、深層言語から始まり、象徴言語から自然言語へ、交信・思考・観念言語へと進展してきましたが、最終的には7番目の統合言語に行き着きました。

つまり、人類の言語機能は今後、抽象化から一転して具象化へ向かうことになる、と予言しておきます。

2024年1月14日日曜日

AI言語の利点と限界を考える!

科学用語や数理記号などに代表される観念言語の利点と限界を考えています。

これらの言語の最先端では、ChatGPTに代表される生成AI言語が絶大な注目を集めています。その効用については、すでにさまざまな見解が流布されていますが、限界についてはほとんど議論されていません。

AI言語には限界はないのでしょうか。それとも、どのような限界があるのでしょうか

AIで使われているプログラム言語は、次のような特性があります。

①典型的な観念言語

観念言語とは、「身分け」「識分け」「言分け」が捉えた事象を、「網分け」の理知によって精細に捉え直し、音声や記号などで表現した言葉です。

それゆえ、日常的に使われている自然言語としてはほとんど通用せず、電子信号を動かすためだけに使われる記号言語です。

②高度な表象記号

表象記号とは、【表象記号で思考する!】で述べたように、物理記号、化学記号、学術記号など、表現対象を特定するため、意図的、固定的に創造された論理記号群です。

AI言語は、サイン(単語)もシンタックス(文法)も ともに「表象記号」で作られていますから、専門的知識人や特定社会集団などの“理”縁共同体において主に使用され、それ以外での使用はほとんどできません。

以上のような特性を持つがゆえに、プログラム言語は、思考や演算などには最適な記号ではありますが、もう一方では次のような限界も内包しています。

❶網分け言語の限界

典型的な網分け言語であるAI言語は、狭義的、あるいは一義的であるため、現象の一面しか表示(シニフィエ)できず、全体像を見失う恐れがあります。

科学用語・・・数値絶対化から数値相対化へ!】で述べたように、AI言語には捨象された要素が多く、その意味(シニフィエ)には、さまざまな限界のあることを前提にしなければなりません。

❷システム用語の限界

AI言語を繋いでいるシンタックス(文法)は、ネットワークを前提とするシステム的な連結方式ですから、日常言語によってラッピング状に分節化されたストラクチャーの全てを動かすことはできません。

科学用語・・・システム化からストラクチャー化へ!】で触れたように、システム用語の「正確ではあるが狭意である」という限界を超えるためには、ストラクチャー用語への限りなき接近が求められるでしょう。

❸生活世界把握の限界

AI言語は、「言分け」によって日常言語が使われているコト界の現象(知識)については、記号として表現することはできますが、「言分け」以前のモノコト界の現象(意識)については、ほとんど正確には表現できません。さらに「識分け」以前のモノ界の現象(無意識)については、まったく表現できません











しかし、現実の世界では、ソト界、モノ界、モノコト界、コト界のさまざまな現象が飛び交っていますから、AI言語による世界把握は、極めて限定的であることを自覚すべきでしょう。

このように整理すると、最先端技術を支えるAI言語にも、幾つかの限界があることを前提に、応用・拡大すべき分野管理・抑制すべき分野を明確に仕分けることが必要ではないでしょうか。

2023年12月26日火曜日

観念言語の利点と限界を考える!

言語6階層説の最終段階として、観念言語を取り上げてきました。

自然言語の網分による思考言語をさらに進め、人工言語の網分けによって生まれたのが観念言語です。

それがゆえに、圧倒的な利点を生み出すとともに、幾つかの欠点も潜むことになります。

どのような利点と欠点があるのでしょうか。

この件については、すでに思考・観念言語の利点と限界を考える!】において詳述していますが、そこでは「思考言語」と「観念言語」を分けていませんでしたので、今回は観念言語に絞って、その特性を整理してみました。

観念言語は、自然発生的な地縁言語共同体に基盤を置く自然言語の応用から始まった思考言語を大きく超えて、専門分野や特異分野といった、特定の理”縁言語共同体において新たに創造された人工的言語です。

それゆえ、思考言語と比べてみると、次のような特性が強まってきます。

①自然発生的な音声性や包括性が薄くなり、極めて人工的な構造となるから、議論や論文などで使用されるにつれて、目的性や正確性などの識知要素が濃くなる。

②自然言語、交信言語、思考言語に比べ、多義性や曖昧性などが消えて、極めて純粋な意味が濃くなるから、意味も文法もともに取捨選択されて、明確かつ狭義的なものなる。

③特定分野の専門家などの理縁集団によって創造され、使用されるケースが多くなるが故に、地縁発生的な要素が消えて、ほとんど“理”縁的な構造となる。

当ブログの視点からいえば、「身分け」が捉え、「識分け」が認めた現象の中から、特定の思考目的に見合うように「網分け」したモノコトだけを、シニフィエ(意味されるもの)とするように作り上げられたサイン(記号)であり、それらを繋ぐシンタックス(繋がり方)もまた、特定の目的の範囲内に定められている言語体系、といえるでしょう。

とすれば、この言葉には、次のような利点と限界が潜んでいます。



利点

狭義的正確性が強く、特定の目的となる現象を理知的に理解し、的確に対応することができる。

❷理縁的共同体に属する人々の間で、理解と利用が広まるにつれ、共同的な思考行動を拡大できる。

❸現象を細分化した、個々の言語をネットワーク的に連結することで全体を把握し、システムとして対応できる。

限界

❶狭義的、あるいは一義的であるため、現象の一面しか表示(シニフィエ)できず、全体像を見失う恐れがある。

専門家集団の内部でしか意味交換ができず、通常の地縁集団や日常集団などとの間では、言語として流通することができない。

❸ネットワークに基づくシステム的な対応では、ラッピング状に分節化されたストラクチャーの全てを動かすことはできない。

(システム的対応とストラクチャー的対応の違いについては【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える!】を参照のこと)

以上のように見てくると、科学用語や数理記号などに代表される観念言語では、さまざまな社会現象はもとより、気候変動やパンデミックなどの自然現象についても、その対応力は必ずしも完璧なものではなく、常に浮遊しているものだ、と理解すべきでしょう。