2020年9月25日金曜日

人口容量が満杯になると、生活意識はどのように変わるのか?

21世紀には、日本はもとより世界もまた、それぞれ人口容量の上限に達し、人口減少が常態化していこうとしています。

こうした時代に、生活民の生活意識や生活願望は、どのように変わるのでしょうか。

過去4万年前からの人口動向を振り返ってみると、世界人口も日本人口4回ほど減少を経験しています。

その原因は両方とも、粗放石器、集約石器、粗放農業、集約農業という諸文明が創り出した「人口容量(Population Capacity」がそれぞれ満杯になったからです。

つまり、〔人口容量=自然容量×文明〕という式で、文明の中身が変わるにつれて、生きられる人類の上限が決まるということです。

このような上限へ容量が近づくにつれて、人間は抑制装置を作動させ、人口を抑え込んでいきます。

あらゆる動物が「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity」の上限に達した時、個体数抑制装置を作動させ、それぞれの個体数を減らしていくのと同じことです。

人間の場合もほぼ同じで、人口抑制装置を作動させ、人口を減少させているのです。これこそ人口減少の真因です。

こうした時代に、社会の変化生活民の意識はどのように変わっていくのでしょうか。



社会の変化として、とりわけ大きなものは、次の3つだと思います。

人口減少社会の進行・・・人口容量の満杯に対応して抑制装置が作動し、少産・多死化の進行により人口が減少していく。

不安拡大社会の進行・・・科学的環境容量の限界で、自然災害、食糧不安、技術崩壊などの不安要素が上昇する。

情報主導社会の進行・・・物的拡大の限界化で、文明の進展方向が非物質、情報的分野に移行していく。

これらの変化が進むにつれて、生活民の意識にも次のような傾向が現れます。

自己防衛意識の上昇・・・人口容量の伸びが止まった時、人口がなお増え続けていると、生活民1人あたりの容量は当然減っていくから、生活民はまず自己防衛に走り出す。

対抗・攻撃性の上昇・・・容量の分配をめぐって、生活民は他人との関係に敏感になり、それは家族や子孫に対しても及んでいく。

適応性の回復・・・人口抑制装置が適正に作動して、人口が減少に転じると、容量には次第にゆとりが生まれてくるから、生活民は新たな生活環境に適応していくようになる。

以上のように、人口容量が満杯となる時代には、社会環境が大きく変わるとともに、生活民の生活意識もまた敏感に変化していきます。

ところが、人口動向で見ると、日本人口はすでに10年以上前から減少を続けていますが、世界人口の方は30年後の2050ころから減少に入る、と予想されています。

とすれば、上記の変化は国内情勢国際情勢では、かなり異なってくるものと思われます。

どのような差異と変化が起きるのか、一つ一つ考えていきましょう。

2020年9月16日水曜日

限界時代へ生活民はどう対応すべきなのか?

SustainableSDGsの意味を考察してきましたが、問題の本質は「現状維持」などではなく、科学技術文明が創り出した「人口容量」の「限界化」にあるのではないでしょうか。

そこで、今回からはやや視点を広げ、「限界時代のライフスタイル」について、「生活民」の立場から考えていきます。

人口容量の限界化を如実に表しているのは、人口の動きそのものです。

何度も述べて入る通り、日本の人口はすでに減り続けていますが、世界の人口もまた、あと30年ほどで減少過程に入る可能性が高まってきています。

日本の人口

2008年の12,800万人以降、徐々に減り続けており、2100年には5,970万人まで下がると予測されています(中位値)。

最も高い場合でも7,410万人(高位値)、最も低い場合には4,790万人(低位値)といずれも減少するようです。

(国立社会保障・人口問題研究所2017年推計)

世界の人口

2020年の78億人から2100年には109億人(中位値)へ、高い場合には156億人(高位値)まで増える、と予測されています(国連・世界人口展望2019)。

だが、最も厳しい予測では、2050年前後に89億人でピークとなり、2100年には73億人(低位値)まで減っていく、とされています。

コロナ禍の影響などを考慮すると、低位値に近づく可能性が高まります。

そこで、国連以外の予測を見ると、2050年ころの88億人がピークで、2100年には63億人にまで減少する、との見方も出ていますWashington Univ. Institute of Health Metrics and Evaluation: IHME,2020)。

2100年には国連の低位値より10億人少なく、2000年の人口に戻るということです。

以上のように、21世紀という時代には、日本はもとより世界においても、人口減少が常態化していくのです。

なぜ人口は減少していくのでしょうか。一言でいえば「人口容量の限界化」です。

あらゆる生物は「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity」の上限に達すると、それぞれの個体数を減らしていくのが常態です。

人間の場合も「人口容量(Population Capacity」の上限に達すると、人口を減らしていくのが常態なのです。

人類の歴史を超長期的に振り返れば、時々の文明が創り出した人口容量に上限に達するたびに、人口は何度も減少を経験してきました。

今世紀に人口が減っていくのは、まぎれもなく現代の人口容量を支えている科学技術文明の限界が顕在化し始めたからだ。といえるでしょう。

こうした時代に、私たち一人一人の生活民は、どのように対応していけばいいのでしょうか。

2020年9月11日金曜日

Sustainable・・・生活民に届いているのか?

Sustainable志向やSDGs志向を見直してきましたが、ここで当ブログ「生活学マーケティング」の基本視点、つまり「生活民」の立場に戻って、この課題を考えてみたいと思います。

生活民とは何でしょうか。生活者とも、生活人とも、やや異なります。

このブログで展開している生活民とは、【「生活民マーケティング」は「LC-Marketing」だ!】(2017730日)の中で提起している、次のような行動主体を意味しています。

①生活民とは「価値(Value=Social Utility」よりも「私効(Private Utility」を求める主体である。・・・【生活民は「価値」よりも「私効」を重視!20161122日】

②生活民とは「言葉(word」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」を重視する主体である。・・・【差異化を超えて差元化へ2016419日】

③生活民とは「真実」よりも、「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【嘘を作り出す二重の構造!2017610日】


こうした立場から「Sustainable(持続可能な)」という言葉の意味を考えてみると、次のような疑問が出てきます。
 


①人類を取り巻く環境を維持しようとする「Sustainable」は、まさしく社会的な「価値」ですが、はたしてそれ自体が純私人にとって「ネウチ」のある「私効」であるのか否か、についてはかなり疑問が残ります。

SustainableSDGsという言葉は、国際団体が創り出したキャッチフレーズであり、言語論的な意味での「記号(sign)」そのものです。「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」を重視する生活民としては、そのままでは受け入れがたい対象です。

③誰にも否定できないような、大仰なテーゼに対しては、ひとまず疑ってかかり、そのうえで小さな「真実」から積み上げていこうと考えます。

とすれば、生活民自身が今の暮らしをどのように感じているかによって、次のように意識が変わってくるはずです。

①「まずまず満足している」人は、現状を「持続したい」と思うでしょう。
 
②「大変不満を持っている」人は、現状を「変えたい」と思うでしょう。
 
③「まあ満足しているが不満もある」人は、現状など「どうなっても同じ」と思うでしょう。  

このように、Sustainable というキャッチフレーズに対しては、生活民それぞれの置かれた立場によって、かなり対応が変わってくると思います。

もし生活民次元へ浸透させようとするのであれば、個人レベルでの差延化差元化差真化といった生活行動に向けて、よりきめ細かな接近が必要になるでしょう。

2020年9月5日土曜日

SDGsを卒業し、DDGsへ向かおう!

SDGsとは環境負荷を強める人口を減少させることで、環境を「Sustainable(維持)」することである、と述べてきました。 

しかし、前回述べたように、世界人口はおそらく2050年頃にピークとなり、それ以後は減少していく可能性が強まっています。

未だ確定したわけではありませんが、今回のコロナ禍による、直接的、間接的な減少傾向が強まるにつれ、的中する確率が強まってきます。

となると、人口の増加や維持を目的に、自然・社会環境をSustainしようとするSDGsの方向は見直されるのではないしょうか。

環境負荷の元凶である人口が減れば、環境は改善される可能性が強まりますし、さらには余裕さえ生まれてきます。

その一方で、世界人口が急速に減少していくとすれば、これまでの人口増加社会とは全く異質の、新たな問題点が多々浮上してくるはずです。

例えば、多老少若化に対応する新生涯保障制度IT主導経済に対応する税収制度多極分散型地域構成といった、新たな課題です。

すでに人口減少を10年以上続けてきた日本には、そうした課題が次々と浮上しています。日本はまさに人口減少先進国なのです。

とすれば、30年後に迫った人口減少時代の人類的課題は、もはやSDGs(Sustainable Development Goals)を卒業しているでしょう。

新たに問われてくるのは、Sustain(維持)ではなく、Decline (減少)への適切な対応だと思います。




々とDevelop(開発)するのではなく、これまでの諸環境を見直したうえで、改めてDeconstruct(脱構築)していく、という方向です。 

今や私たちに求められているのは、いち早くSDGs(Sustainable Development Goals)を見直して、一刻も早くDDGs(Decline Deconstructable Goals)へ向かうことだ、と思います。