2016年2月23日火曜日

「差異=排除」を指摘するJ・ヤング

もう一人、イギリスの犯罪社会学者J・ヤングは、別の視点から「差異化」の問題点をより厳しく指摘しています(『排除型社会』)。


彼の定義した「近代後期社会(late modernity」とは「市場活動の急激な発展を原動力としながら、その内部のあらゆる箇所で排除のメカニズムを創り出している」社会です。

先進産業諸国では、1970年以降、「市場の力」によってフォーディズムからポストフォーディズムへと生産様式が変わり、それに伴って「近代社会」から「後期近代社会」への移行が進んできました。この社会の特徴は次のようなものです。

第1に、欲望を肥大させた消費者が、多様性と個人主義を拡大させました。新たに生まれた消費社会は、多様な選択肢から成り立っており、「フォーディズム時代の無味乾燥な大量消費やレジャーは、ポストフォーディズム時代の多様な選択肢や個人主義の文化のもとで、刹那的な満足や快楽、自己実現を重視するものへ移行した。

その変化は、後期近代の人々の感受性に甚大な影響を与えた」。つまり、後期近代社会は「多様性を消費する社会」であり、「差異を商品として仕立て直し、街角のスーパーマーケットや書店で売り飛ばす社会」なのです。

第2に、人々の構築したアイデンティティーとは、市場によって再構築されたものにすぎません。多様な世界が現れたため、「人々はそこで、自らのアイデンティティーを構築できるようになった」と思い込みました。

だが、実のところは、それは「商業と市場の力によって生み出されたもの」であり、「人間の手によって再構築されたもの」にすぎません。

第3に、個人主義がもたらした自己実現そのものが、社会に緊張をもたらしました。「市場社会は個人主義と消費社会〔健全な経済の基礎が消費拡大にあるとする主張〕を称賛し、また能力主義を称揚することによって自身を正当化し、さらに自己表現と自己実現を最大限に礼賛してきた」のです。

「自己実現への要求が高まるにつれ、金銭的な成功や地位上昇の手段への需要も高まっていき、それらは現代社会に生きるうえで欠かせないものとなった。そしてこの自己実現への願望は、後期近代に入るまで、社会システムに緊張をもたらす原因になっただけでなく、物質的世界における相対的剥奪感の高まりとあいまって、逸脱の主な源泉にもなっていった」。
この「相対的剥奪感」と「個人主義」が排除型社会の犯罪の主要因となりました。やむにやまれぬ「絶対的剥奪感」からではなく、「小さな差異」に過敏になった人々が、家族や地域よりも自分を過大視するあまり犯罪に走ようになったのです。

第4に、かくして「後期近代社会はまさに『人間を吐き出す』奇妙な機械」となったのです。それは「市場活動の急激な発展を原動力としながら、その内部のあらゆる箇所で排除のメカニズムを創り出して」います。

「社会という織物は、もはや1970年代の包摂主義の時代、つまり完全雇用が守られ、長い人生のあいだ仕事に就くことができ、家庭生活と余暇の位置づけもはっきりと定まっていた時代ほど、人々の手で緊密に織られてはいない」。
排除型社会の登場で労働市場が解体し、個人主義の拡大でアイデンティティーと自己実現への志向がもたらされ、役割を担うことよりも、差異という役割を作ることのほうが重要な課題になってしまったのです

ヤングの主張を要約すれば、差異化によって主導される近代後期社会は、完全雇用と市民権で守られた「安定的で同質的な包摂型社会」を終了させ、非正規雇用と不平等な能力主義の「変動と分断を推し進める排除型社会」を開始させました。

労働市場からの経済的排除、市民社会からの社会的排除、刑事司法制度などでの排除的活動が、社会の隅々に広がった、ということになるでしょう。

2016年2月11日木曜日

差異化手法を批判する!

差異化手法のうち、社会記号の拡大が進むにつれて、さまざまな批判が増加してきました。とりわけ、広告・宣伝によって流行や権威などを過度に売り込む差異化マーケティングについては、厳しい批判が提起されています。

フランスの哲学者、B・スティグレールは「マーケティングは、家族構造や文化構造といった象徴制度をなしくずしに破壊してきた」と告発しています(雑誌『世界』2010年3月号)。スティグレールはポスト構造主義の哲学者、J・デリダの後継者として、現代フランスを代表する思想家ですが、この発言の背景には次のような視点があります。


「1940年代、誰も必要としていない財の過剰生産を解消するため、アメリカ産業はマーケティングのさまざまな手法(これらは1930年代にフロイトの甥であるエドワード・バーネイによって考案された)を用いた。

この動きは20世紀中強化の一途をたどり、投資の余剰価値は、より広大な大衆の市場(マス市場)を必要とする規模の経済を生み出した。その大衆の市場を獲得するために産業は、特にオーディオビジュアルなメディアを利用して感性に訴える作戦を展開し、産業発展による利益が上がるよう個人の感覚の次元を再機能化して、消費という行動を取り入れさせようとするのである。

その結果、リビドーや情動の窮乏でもある象徴の貧困が生じ、それによって私が本源的なナルシシズムと呼ぶものが衰退することになる。つまり個々が得意な物やその特異性に感覚的に愛着を持つということができなくなってしまうのである。」(『象徴の貧困1 ハイパーインダストリアル時代』28~29ページ)

スティグレールはさらに続けます。現代市場社会では「大量生産の製品をさばくという組織化」、いいかえれば、「近代化と呼ばれる革新によって次々に生じる新しいものを消費者に取り入れさせるという組織化」が行なわれており、消費者の「情動」や「それが住まう身体」を巧みにコントロールしています。

この社会で支配力を持っているのは、もはや起業家や生産者ではなく、日常生活を機械化することで、意識と身体をコントロールするマーケティングです。

とりわけテレビ、携帯電話、電子手帳、コンピューター、ホームシアターなどは、ハイパーインダストリアル時代の人工的、擬似的環境を構成し、「感覚・技術・社会的組織が互いに影響し合った器官学的地平」を作っています

こうした環境は「象徴の貧困」を引き起こしています。

「象徴」というのは「知的な生の成果(概念、思想、定理、知識)と感覚的な生の成果(芸術、熟練、風俗)の双方」を意味していますが、それが「貧困」になるというのは、「象徴の生産に参加できなく」なって「個体性」が衰退していく、ということです(前掲書)。

その結果、1970年代以降の消費社会の生活では、個体性の衰退が強まり、象徴的なものの瓦解、すなわち欲望の瓦解が起こりました。消費者の多くは「欲求不満」の消費主義にとりつかれて、ひたすら「中毒的消費」や「消費依存症」に向かっています(前掲誌)。

スティグレールの主張を要約すると、企業の展開するマーケティング活動が、さまざまなメディアを通じて消費者の感覚を麻痺させ、一人ひとりが元々持っていた、個人的な欲望や欲求を消滅させている、ということになるでしょう。


2016年2月8日月曜日

差異化の3つの側面

差異化とは、デノテーションやコノテーションなど「記号」の持つ特性を、積極的に応用して、商品やサービスの拡販を計ろうとする手法です。

この特性によって、「記号」はモノの上に、観念的な言説やメッセージ、つまりコトバ、イメージ、ストーリー、ムードなどを付加させます。

具体的にいえば、次の3つに集約できるでしょう。

言語記号・・・言葉による差異化であり、例えばネーミングキャッチフレーズ、さらにはさまざまなコトバを組み合わせた宣伝文ストーリーなど。

視覚記号・・・色彩や形態による差異化であり、カラーデザイン、あるいはそれらを組み合わせたイメージスタイルなど。

社会記号・・・言語、視覚、聴覚、体験などを組み合わせた総合的な情報による差異化であり、マスメディアやSNSなど社会的な情報装置を駆使して付加される、
社会的なムードコンセプトファッション性ブランドなど。

こうした手法により、モノの機能や品質といった物質的特性を超えて、モノに付帯するメッセージやムードを、ユーザーに向けて売り込むことになります。