2022年9月30日金曜日

科学用語・・・システム化からストラクチャー化へ!

Science:科学」という識知が集約・統一・統合化へと変化していく時、科学用語に求められる条件は3つある、と述べてきました。

今回は3つめの「システム化からストラクチャー化へ」。

ル・ルネサンスは集約・統合的科学をめざす!】で述べたように、今や始まろうとしているル・ルネサンス時代には、科学用語を使った思考方式もまた、網の目状から風呂敷状への接近を検討しなければなりません。

システム思考で使われている用語(システム用語)の限界を超えて、ストラクチャー思考で使われている用語(ストラクチャー用語=日常言語)との接点をいかにして増やしていくか、という課題です。

なにゆえ、そのような課題が生まれるか、といえば、両方の用語には、次のような違いがあるからです。

システム用語

システムでは、思考対象となる全体像をさまざまな点で織りなす「網の目」として把握しており、個々の点の対象となった要素が、一つの言語や記号として使われている。

それゆえ、使われている言語や記号は、網の目の結節点の対象のみを意味(シニフィエ)しており、限定化・正確化された意味を示している。

その代わり、結節点の周辺の対象は省かれているため、網の目から漏れた部分は、全て捨てられている

 ストラクチャー用語(日常言語)

日常言語では、思考対象となる全体像をさまざまな切片による「風呂敷」状として把握しており、切り分けられた面状の示す要素が、一つの言語や記号として使われている。

それゆえ、使われている言語や記号は、切り分けされた面の全体を意味しており、その分、曖昧、あるいは大まかな意味となる。

その代わり、切り分けされた面の全ての対象を意味しているため、日常用語には切片の全てが含まれていることになる。

2つの用語がこのように異なる以上、システム用語の「正確ではあるが狭意である」という限界を超えるためには、ストラクチャー用語への限りなき接近が求められると思います。

筆者もまた、OROperations Reseach) やQCQuality Control)による経営管理や、多変量解析、EconometricsSystem Dynamicsなどによる社会・経済予測において、システム用語に何かと関わってきました。

その経験から言えば、数字・記号・数式などは、さまざまな現象の単純化によって思考の速度や精度を上げはしますが、他方では思考の結果もまた単純化されたシニフィエとなり、説明しようとすると、幾つかの前提を置いたうえでの、限られた情報だけを述べることになります。

こうした限界を乗り超えて、より効果的な説明を行うには、数値・記号化の過程で捨象された、幾つかの要素をもう一度見直し、適切に付加するような手順を加えることで、よりリアルな情報伝達をめざすべきだ、と思います。

例えば、次の3つのような方向です。

①思考結果を表現するシステム用語に、思考過程で捨象した要素を可能な限り復活させ、日常的なシニフィエに近づける。

②システムの網目をできるだけ細かくして、結節点であるシステム用語の数を増やすことにより、表現対象をより多く汲み取れるようにする。

③個々のシステム用語のシニフィエをできるだけ大きくし、ストラクチャー用語の表現対象に近づける。

以上のような修正によって、科学用語の一角をなすシステム用語にも、新たな次元へと進むチャンスが巡ってくるでしょう。

2022年9月12日月曜日

科学用語・・・数値絶対化から数値相対化へ!

Science:科学」という識知が集約・統一・統合化へと変化していく時、科学用語に求められる条件は3つある、と述べてきました。

今回は2つめの「数値絶対化から数値相対化へ」。

すでに【ル・ルネサンスは集約・統合的科学をめざす!】で述べていますが、工業前波を創り出した科学技術が大きく依存している数値記号思考を、さらに広い思考方式へと移行していくには、記号体系の相対化が必要になってきます。

現代社会の思考における数値絶対主義は、身分け・言分けの捉えたモノコト界を、網分けによって把握する識知能力を代表しています。

その代表である数字という記号を、どのように改変していけばいいのか、大きな方向を3つ、考えてみます。


①意味の見直し・・・セマンティクス(
Semantics:意味論次元

数字という記号のシニフィアン(Signifiant:意味するもの)とシニフィエ(Signifié:意味されるもの)の関係と限界をもう一度見直すこと。

1,2,3という数字は、「身分け」「言分け」された対象を、さらに「網分け」によって理知記号化したものであり、3重の意味で対象の要素を捨象化したものである。

とすれば、捨象された要素の多いことを前提にして、数字のシニフィエには、さまざまな限界のあることを確認することがまず必要である。

②文法の見直し・・・シンタックス(Syntax:統辞論次元

数学はもとより統計やデータ解析などで使われる公式や数式、つまりやシンタックス(文法)の信頼性には一定の限界があることを前提にして、計算結果などを了解すること。

認識対象を理知の網目によって捨象・抽象化した数値記号間の関係を、さらに選択や捨象を重ねて、理知界でのみ通用する数式で表現したうえ、さまざまな思考に応用している以上、現実の対象とは常に乖離が潜んで入りことを自覚する必要がある。

どれだけ詳細かつ精密な数式を使ったとしても、公式や定理という数学的論理にも限界がある以上、その結果を日常言語化するには、捨象した要素を的確に組み込むような対応が求められる。

③知縁共同体の見直し・・・インテレクチュアル・コミュニティー(Intellectual Community):知縁共同体次元

数学や統計学という知縁共同体内部での思考方法を、社会集団的な思考方法にどこまでも近づけていくこと。

数字を使って行なわれる、さまざまな思考は、上記のような、特定のシニフィアンとシンタックスを理解した知縁共同体の内部において、初めて可能になるものである。

このため、日常言語とは乖離が大きく、一方的なコミュニケーションとなりがちである。社会集団的な理解を深めていくには、常に日常言語への接近や交流が求められる。

まとめてみると、科学技術をいっそう進めていくには、数値記号と対象観念の間の固定的な枠組みをもう一度見直して、数値が極点化によって捨象したような対象までも表現できるような、新たな数値記号を生み出すとともに、それらを論理化する、新たなシンタックス(統辞法)の創造が求められる、ということでしょう。

コロナ禍に対応できない数理思考】で紹介したように、物理学者の中谷宇吉郎は「今日の科学は数学を使う関係上、量の科学にいちじるしく傾いている。形も科学の対称になり得るものであるが、今日の科学の中には形の問題はほとんどはいっていない。」(『科学の方法』1958P195)と指摘しています。

この「」とは、日常言語が「識分け」している、包括的な面状の対象であり、「」とは思考言語が「網分け」した点的な対象、と理解すべきではないでしょうか。