2020年4月15日水曜日

身分けで「もの」が、言分けで「こと」が・・・

「もの」と「こと」の違いを、古語辞典、現代語辞典、哲学事典で紹介してきましたが、今一つ曖昧なままです。

もう少し明快な説明はできないものか、いささか厚顔ながら挑戦してみました。

一言でいえば、「もの」とは「身分け」によって把握された対象「こと」とは「言分け」によって把握された対象、という説明です。

「身分け・言分け」については【
縦軸の構造・・・「身分け」と「言分け」2015年2月26日】以来、何度も述べてきましたが、次のように定義されています。

身分けとは「身によって世界が分節化されると同時に、世界によって身自身が分節化されるという両義的・共起的な事態」(市川浩『〈身〉の構造』)です。

言分けとは、コトバを操る能力で作られた網の目によって、身分けされた世界が、もう一つ別の外界像を結ぶこと(丸山圭三郎『文化のフェティシズム』)です。

簡単にいえば、「身分け」とは身体という感覚器がつかんだ世界「言分け」とはそれらを言葉によって改めて捉え直した世界とでもいえるでしょう。

この視点に従うと、私たち人間が把握している環境世界は、まずは物界モノ界コト界の3つに分けられます【
身分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】。

物界(フィジクス:Physics)とは、人間という種の本能や感覚器が把握できない次元に広がっている世界。

モノ界(ピュシス:Physis)とは、人間という種の本能や感覚器によって把握(身分け)した限りでのフィジクス。

コト界(コスモス:Cosmos)とは、人間の言語能力による仕分けによって把握(言分け)されたところのピュシス。

3つの世界を前提にすると、「もの」と「こと」は、下図に示したような関係になります。













整理すれば、以下のとおりです。

もの」とは、「身分け」つまり人間の感覚器官が周囲の物的世界の中から把握した限りでの対象を意味します。

こと」とは「身分け」された「もの」が、さらに人間の言語能力を用いた「言分け」によって浮かび上がってくる対象を意味しています。

もっとも、「もの」という音声も「こと」という音声も、ともに大和言葉という言語体系の中で発声されていますから、私たち日本人の言語能力の内側、つまり「コト界」内の現象ということになります。

「コト界」の内外で「もの」「こと」の立場は、どのようになっているのでしょうか?

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