2020年4月5日日曜日

哲学者の語る「もの」と「こと」の違いは・・・

日本語における「もの」と「こと」の違い哲学者はどのように見ているのでしょうか。

出隆の著「ものとことによせて」(『出隆著作集4・パンセ』1963所収)をベースにして、山崎正一が「現代哲学事典」(1970)の中で「物と事」と題して述べている視点を紹介しておきましょう。・・・抜粋 


●「」というのは「」である。「」というのは「」であり「異」であり、「殊」でもある。

●「もの」という日本語は、何であれ、一つにまとめ、つかねて言う場合に用いる。なんらかの単語・名辞・概念で示され得る自己同一的な対象あるいは存在者を、一般的に、不定に、漠然と指示する語である。
感覚的存在者、例えば花も家も人も、「もの」と言い得る。また非感覚的存在者、例えば、法というもの、価値というもの、神々というもの、など。
●「もののあはれ」「もの淋し」「もの思い」「もののけ(物怪、物の気)」などにおける「もの」とは、不定なるもの、漠然たる対象・存在者を意味する。
●「ものものしい」とは、『何かのもの』に重点を置いた言い方であって、何か自己同一的なるものが姿をあらわしている、という意に由来する。

●「こと」について。「もの」が「何か」を指示するとすれば、「こと」は「如何に」を指示する。
●「こと」は、ものの「働き」「作用」「所作」「状態」「様相」「性質」「関係」をあらわす。判断・命題・文で示され得るような、ものの在り方を、一般的に指示する語である。
●「言」というのは、ものの表現・表出の仕方ものを表現し現す在り方、の意である。
●「ことわり」「ことのわけ」というのは、こと即ち、事件・状態・関係に分け入り、その成り立ち・筋目を明らかにする意に由来する。それは、在り万の分節であり、事情の分析であって、そこに、ものの道理が現われる。
●「ことごとしい」とは、「如何なることか」に重点を置いた言い方であって、何かが出現してきたという意に由来する。

●「ものごと」(物事)というのは、何か自己同一的なるものの在り方、を意味している。 


表現が難解であるうえ、論理が回転し、多岐に分散しているようですから、筆者なりに要約しておきます。

●「もの」は、なんらかの単語・名辞・概念で示され得る自己同一的な対象あるいは存在者(感覚的存在者も非感覚的存在者も含むを、一般的に、不定に、漠然と指示する語である。

●「こと」は、「もの」の「働き」「作用」「所作」「状態」「様相」「性質」「関係」を表わし、判断・命題・文章で示され得るような「もの」の在り方を、一般的に指示する語である。「言」とは「もの」の表現・表出の仕方、「もの」を表現し現す在り方、の意である。

●「」は「」であり、「」は「」「」「」である。
●「もの」は「何か」を指示する語であり、「こと」は「如何に」を指示する語である。

●「ものものしい」とは、「何か自己同一的なるものが姿をあらわしている」という意であり、「ことごとしい」とは、「何か如何なることか出現してきた」という意である。
●「ものごと」(物事)とは、自己同一的なる「もの」の在り方、を意味している。


以上のような哲学者(哲学事典)の説明を、古語辞典や現代語辞典の説明と比較してみましょう。
 
 
古語辞典や現代語辞典が比較的明確に比べているのに対し、哲学者(哲学事典)の説明は、「もの」と「こと」の関係に踏み込んでいるせいか、辞典類より曖昧、あるいは難解になっています。

もっと明快な説明はできないものでしょうか?

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