ワケワケセオリーの概要を、ワケワケ行動(身分け・識分け・言分け・網分け)をベースに、認識世界(ソト界・モノ界・モノコト界・コト界・アミ界)、生活願望(未欲・欲動・欲求・欲望・知欲)、言語段階(深層言語、象徴言語、自然言語、交信言語、思考言語、理知言語)、時代識知(マナイズム・アニミズム・ミソロジー・リリジョン・サイエンス)と眺めてきました。
……と書いてきましたが、この「時代識知」という言葉について、別のブログで「共同幻想」と表現したところ、ある読者の方から「意味が違うのではないか」とのご指摘を受けました。
確かに「共同幻想」という言葉は、日本の思想家、吉本隆明がカール・マルクスの「上部構造」論に準じて、その著『共同幻想論』において使用した用語です。
| 国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。もっと名づけようもない形で、習慣や民俗や、土俗的信仰がからんで長い年月につくりあげた精神の慣性も、共同の幻想である。人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している。そして国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、ひとつの中心に凝集していったにちがいない。 (吉本隆明『共同幻想論』角川文庫版の序文) |
となると、このブログで主張する「マナイズム、アニミズム、ミソロジー、リリジョン」は言うまでもなく「共同幻想」です。
数万年の人類史を振り返れば、周りに広がる環境世界を、旧石器時代の人々はマナ(mana:活力・生命力)で動いていると感じ、新石器時代の人々はアニマ(anima:霊魂・霊)が宿っていると悟りました。続く粗放農業時代の人々は擬人化と文章化によるミソロジー(mythology:神話)で、また集約農業時代の人々はリリジョン(religion:宗教)で、それぞれ理解したものと思われるからです。
この延長線上で考えれば、私たちが絶対的な真理と思っている「サイエンス(science:科学)」という観念もまた、時代とともに変化する「共同幻想」の一つということになります。
工業文明時代の私たちは、サイエンス(science:科学)によって、環境世界を理解しています。自然科学(物理学・化学・生物学など)、形式科学(論理学・数学・理論計算機科学など)、行動科学(経済学・心理学・社会学など)で、この世のほとんどが理解できると考えているからです。
このように考えると、私たち人類は、さまざまな時代に生きる人々の「時代識知」、つまり時々の「共同幻想」によって、周りの世界に対峙していえるでしょう。
とすれば、「時代識知」とは、人類史の進行過程において、人々がどのように環境世界を捉えたかという、根底的な認識次元を捉える言葉、つまり時々の「共同幻想」ともいえるでしょう【「時代識知」の要件を考える!】。
当ブログで展開している「時代識知」とは、「共同幻想」という概念も含む、より広義の言葉なのです。


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