文字や記号という視覚言語もまた、音声言語と同様に、深層・象徴段階で発生し、やがて日常・交信段階へと変貌していく、と述べてきました。
とりわけ、表語文字(漢字、アラビア数字等)は、象形文字が起源となっているケースが多く、「識分け」次元と「言分け」次元を繋ぐ役割を果たしていますので、深層・象徴言語と日常・交信言語の両界に跨る文字と言えるでしょう。
そこで、現代社会の科学的思考の原点になっている「数字」がどのように生まれてきたのか、を考えてみます。
人間が「身分け」によって得られたモノ世界の幾つかの同類を、「識分け」によって「一つ、二つ、三つ」と眼や指で認識し、それを地面や掌などへ何らかのイメージで書き留めた。そこに数字という文字の始まりがあるのでは、と思います。
数字の起源については、先史時代と推定されていますが、明確な時期については確定されていないようで、研究者の間でもさまざまな見解があります。
その中で最も古いという見解では、B.C.3000年頃の古代バビロニア、シュメール時代に、粘土板にとがった筆記用具で、識知した数をそのまま書き込んだ「楔形(くさびがた)数字」があげられています。
またほとんど同時期のB.C.3000~B.C.300年頃の古代エジプトでも、パピルス(パピルス草で作られた紙)に染色棒で書かれた象形数字が生まれた、といわれています。
当時使われていた3種のエジプト文字のうちの1つ、ヒエログリフ(hieroglyph:神聖文字)では、一は垂直な棒、十は放牧牛を繋ぐ道具、百は長さを測る巻測量綱、千は蓮の葉、万は指、十万はオタマジャクシ、百万は驚いている人、といった記号が用いられていました。
その後、B.C.300年からA.D.1200年頃にかけて、インドで生まれたインド数字が、イスラム圏を経てヨーロッパへと伝わり、いわゆるアラビア数字(1、2、3、4、5…)になりました。
インド数字の最古はB.C.300年頃からのブラーフミー数字(バラモン数字)とよばれるものですが、これにはまだ0 の数字がありませんでした。その後、A.D.500年頃までに 0 が発明されて十進法位取りのデーヴァナーガリー数字となり、イスラム圏へ伝播しました。
イスラム圏ではこの数字が少しずつ改変され、その後10~13世紀ごろにヨーロッパへ伝わりました。同地ではさらに修正が加えられると、急速に世界中に広まって、現在のアラビア数字となりました。
以上のように見てくると、現代社会の時代識知の、有力な基盤の一つである「数字」もまた、深層・象徴次元の記号文字や象形文字を基礎にして、簡略的に創造された日常・交信文字である、と推定できます。
さらにいえば、思考・観念言語の典型である数理思考言語もまた、深層・象徴次元の識知の中からさまざまに取捨選択したうえで、意識的に創られた言語、ということができるでしょう。