2019年9月9日月曜日

ポランニーの4制度を生活空間上に位置付ける!

これまで述べてきたK.ポランニーのいう4つの制度とその動向を、このブログで何度も述べてきた生活空間【生活空間から消費社会を考える:2019年5月11日】の中に位置づけると、図1から図3のように描くことができます。

古代から中世にかけては3制度・・・図1


横軸の社会制度や共生生活の分野で、「再配分」が記号的・理知的な制度として、また「互酬」が感覚的・習俗的な制度として、それぞれが位置づけられ、さらに私的生活から共生生活にまたがる分野に「家政」が、個人や家族の自律的・自給的な制度として存在します。



再配分」は、一方では国家による租税や公的年金・保険などの公的負担、他方では生活保障や年金・保険などの給付を、それぞれ理性や理念という高度にコト化された言語次元で制度化したものです。

また「互酬」は、贈与、遺贈、寄贈などの互恵行為を、言語以前の欲動次元に基づく象徴交換制度と見なしたものです。

そして「家政」は、個人や家族が相互の生活のために行なう、自給自足的な制度であり、横軸では私的生活から共生生活まで、縦軸では感覚・象徴的な願望から機能・性能的な願望や理性・記号的な願望まで対象にしています。



近代になるにつれて4制度・・・図2


旧来の2制度、「再配分」と「互酬」の間に「交換」が割って入ります。

「交換」という行為は、「あたい」の上下を合理的に判断するものですから、機能や性能を重視する欲求次元を中心に上下に広がります。







現代では「交換」が肥大して「市場交換」・・・図3

近代から現代へ進むにつれて、「市場交換」は「再配分」や「互酬」を、さらには「家政」までも押しのけるようになってきます。












現代消費社会を位置付ける・・・図4

以上のような推移の中に、現代の消費社会を位置づけてみると、図のように市場交換」制度の中の左側に広がる領域に相当します。

消費社会というと、現代社会の全てを覆っているようにも思えますが、全体的な社会・経済制構造の中に位置づけると、この程度の社会になるでしょう。



ポスト消費社会の方向・・・図5

とすれば、ポスト消費社会についても、市場交換、互酬、再配分、家政の諸制度がほどよくバランスした、図のような「複合社会」に向かって、3つの点で調整が必要になってきます。




 
 
 
 
第1は市場交換の縮小に比例した、適度な領域へ向かうこと

第2は再配分の適正化に応じて、税金や社会保障などとの関係を見直すこと


第3は互酬制の拡大に応じて、贈答、贈与、寄与などの生活行動と一体化をめざす


こうした方向へ向かうことによって、消費社会もまた複合社会の中に、それなりの立場を見いだすことができるでしょう。

2019年8月28日水曜日

複合社会へ進展する

ポスト消費社会論へ戻ります。

「統合社会への転換」という視点から、互酬制という、新たな生産・分配制度が浮上してきました。

実をいえば、この制度は、【
象徴制度を再構築する!2019年7月30日】で述べたように、文化人類学済人類学が、人類の歴史の中から発掘してきたものです。

その代表者である、経済人類学者のK.ポランニーによると、人類が歴史的に創り出してきた生産・分配制度、つまり経済のしくみには、互酬、再配分、家政、交換4つがある、といっています。




それぞれの内容を改めて確認しておきましょう。

互酬(reciprocity)・・・「義務としての贈与関係相互扶助の関係」であり、「主に社会の血縁的組織、すなわち家族および血縁関係に関わって機能する」制度として、「対称的な集団間の相対する点の間の(財の)移動」をいう。

再配分(redistribution)・・・「権力の中心に対する義務的な支払い中心からの払い戻し」であり、「主に共通の首長の下にある人々すべてに関して効力をもち、従って、地縁的な性格」の制度として(財が)中央に向かい、そしてそこから出る占有の移動を表す」ものである。

家政(house holding)・・・「自らの使用のための生産」であり、ギリシャ人が、「エコノミー」の語源たる「オイコノミア(oeconomia)と名づけていた制度として、「閉鎖集団」内の構成員の「欲求を満足させるための生産と貯蔵という原理」に基づいている。

交換(exchange)・・・「市場における財の移動」であり、「システムにおけるすべての分散した任意の二つの点の間の運動」となる制度である。

    (『大転換』『人間の経済』『経済の文明史』による)

現代風にいいなおせば、「互酬」とは家族や親族、さらには継続的な地縁・友縁などによる生活扶助制度、「再配分」とは国家による生活保障制度、「家政」とは個々人とその家族だけの自給自足制度、「交換」とは市場を通じて形成される生活構築制度ということになるでしょう。

これら4つの制度について、ポランニーは、常に同じ比重で存在してきたのではなく、時代とともに変化してきた、と述べています(『大転換』)。

つまり、「西ヨーロッパで封建制が終焉を迎えるまでに、既知の経済システムは、すべて互酬、再配分、家政、ないしは、この3つの原理の何らかの組み合わせ基づいて組織されていた」のですが、16世紀以降、重商主義システムの下に、初めて「市場」という、新たな交換システムが登場しました。

この交換システムは、19世紀に入ると、貨幣を交換手段とする市場経済へと発展しました。市場経済は、従来の〝付属物〟的な「市場」とは根本的に異なる「市場交換システム」として拡大しましたので、経済制度の中心は互酬、再分配、家政から交換へと移行しました。

しかし、それでもなお互酬、再分配、家政の役割は消滅したわけではなく、とりわけ再分配の比重は高まる傾向にある、とも述べています。

以上の視点にたつと、現代社会の望ましい生産・分配制度とは、一息に互酬制を回復することではなく肥大した市場交換を抑制しつつも、互酬、再配分、家政の諸制度をほどよくバランスさせた社会、ポランニーのいう「複合社会(complex society)」へ向かって徐々に進むことだ、といえるでしょう。

家族や集落の相互扶助だけに頼る互酬中心社会、社会主義国家や福祉国家のような再配分至上社会、個人や家族内だけで生産・使用する家政社会、企業や資本家だけが闊歩する市場経済社会の、いずれの一つだけに偏るのではなく、4つの制度を4つとも存続させながら、それぞれのバランスをとっていくという方向です。

あるいは、移りゆく時代の変化に応じて、その組み合わせを再構成したり、それぞれの内容を微妙に変換していくこと、といってもいいでしょう。

それゆえ、ポスト消費社会の第3の方向として、「複合社会への進展」があがってきます。第1の生成社会や、第2の統合社会とともに、第3の複合社会の中にも、ポスト消費社会は改めて位置づけられ、その方向を問い直されなければなりません。

2019年8月20日火曜日

ファミレスからパソレスへ!

16年前に筆者が予言した現象がいよいよ始まった、と思われる記事が日本経済新聞に掲載されましたので、ポスト消費論や統合社会論を中断し、この件をについて一言触れておきます。

16年前、まさに全盛時代だったファミレスの将来について、筆者は『
人口減少社会のマーケティング・・・新市場を創る9つの消費行動』(古田隆彦著、生産性出版、2003年7月刊)の中で、次のように予言しています。

70年代から続いてきた「ファミリーレストラン」という名称は、まもなく消えていくだろう。代わって「シングルレストラン」や「ディンクスレストラン」といった、新たな外食形態が拡大してくる。

家族の拡大によって、外食市場ではすでに、従来の「ファミレス(ファミリーレストラン)」から「ファミレス(ファミリーがなくなる)が進み始めている。

その9年後、「週刊現代」(2012年02月20日号)の特集「経済の死角」にも、筆者は
次のような展望を載せています。

ファミレスは3世代家族や子どものいる核家族をターゲットとして生まれたが、そのような世帯は全体の4割を切るまで減ったと見られる。

代わりに増えたのが単身者や独居老人で、ファミリーを対象にした形態やメニューではやっていけない。すでに衰退期に入った業態といえる。

これらの予言がいよいよ当たり始めました。

2019年8月17日、日本経済新聞夕刊1面に、次のような記事が掲載されています。


ファミレス「個客」歓迎・・・電源・ついたて・・・1人席充実 単身世帯増 取り込み競う


要旨は次のようなものです。

外食各社が「お一人様」の取り込みに本腰を入れる。

ファミリーレストラン「ガスト」は、席の両側についたてを配置し、電源を備えた1人席を拡大する。

定食店「大戸屋ごはん処」は1人でも快適に食事できる新型店を開業した。

単身世帯の増加が続くなか、従来はファミリー層の利用が多かった飲食店でも「個客」の取り込みが急務になっている。

ファミレスや焼き肉など家族層の利用が多かった飲食チェーンが「個客」向けの店舗を増やしているのは、単身世帯の需要を取り込むためだ。


国立社会保障・人口問題研究所によると、20年の総世帯数のうち単身世帯は36%となる見通しで、今後も増加するとみられている。

今さら、という感じもなきにしもあらずですが、もう一歩踏み込んで、「ファミレス」から「パソレス(パーソナル・レストラン)」など、業態ネーミングの変更動向にまで触れてほしかった、とも思います。

2019年8月9日金曜日

互酬制を再建する!

互酬や互酬制を再建せよ」という主張は、最近ではマーケティング批判という範疇を超えて、社会学者はもとより経済学者や政治学者、さらには文芸評論家にまで広がっています。

いうまでもなく、それぞれの意見において互酬の内容や範囲には違いがありますが、家族、親族、地縁などの共同体に、構成員相互間の生活扶助や生活支援を、一定の規模で委ねようとする方向はほぼ一致しています。


これらの意見の背景にある、主な論拠を探ってみると、次の3つに整理できます。

第1は国家制度の欠陥を補う視点

近代国家に特有の、社会保障制度の拡大やそれに伴う財政への過剰な負担を避けるため、さまざまな共同体による互酬性を再建し、負担の一部を分担してもらおうという意見です。

生活に関わる諸費用や必要サービスのほとんどを国家に頼る、北欧型の福祉国家モデルを見直し、個人を包み込む共同体との連携強化をめざしています。

第2は市場経済システムの欠陥を補う視点

市場経済の拡大が引き起こす格差拡大や貧困層の増加を救済するため、セーフティーネット(安全網)として、共同体を再構築するという意見です。

アメリカ型市場経済の利点は認めつつも、過剰な競争と加重する自己責任が、結果としてもたらすマイナス効果に対処していくには、互酬制による最終的保護が求められる、というものです。

第3は社会構造の欠陥を補う視点

現代社会の中に構造的に潜んでいる個人化・モナド(孤立)化に対処するため、さまざまな共同体による保護体制が必要とする主張です。

具体的には、伝統的な共同体の復活や新たな共同体の構築によって、多様な互酬性を拡大し、老齢者や幼少年の保護、弱小家庭への支援などをめざしています。

以上のように、幾つかの分野から一斉に互酬制への期待が高まってきたのは、人口減少や経済停滞などに伴って、現代社会が成熟した結果だといえるしょう。

人口が増加し、経済も伸びていた時代には、成長・拡大型社会の背後に密かに隠れていた、さまざまな欠陥が、次第に露呈してきたというわけです。

とすれば、これからの日本にとって、このような要請に応えうる互酬システムの再構築が課題になります。

その方向は大きく分けて、次の2つでしょう。

1つは破壊された共同体の再建

市場経済や福祉国家がなしくずしに壊してきた伝統的共同体、つまり家族や親族、村落や町内会などの共同体を改めて支援し、保護・育成する政策が求められます。

2つめは新しい共同体の構築

都市化や産業化の進んだ現代社会に対応するには、伝統的な共同体の再興だけではもはや不可能です。

そこで、ハウスシェアリングやルームシェアリングなどのシェアリング家族、老齢者や単身世帯などが相互支援を前提に一緒に居住するコレクティブ家族、緊急時の共同対応や生活財の共同購入などを行なうマンション共同体、共同で農業を営む新農業共同体など、すでに進みつつある、新たな共同体の萌芽を活かしつつ、未来型の互酬制の主体を積極的に育成していくという対応が必要になります。

もしも以上にあげたような新旧の共同体の増加によって、新たな互酬制を拡大していくことができれば、社会全体の安定感は徐々に増していくでしょう。

2019年7月30日火曜日

象徴制度を再構築する!

「コト・モノ・モト」論を一区切りしましたので、もう一度「消費社会からポスト消費社会へ」の第2条件「統合社会への転換」へ戻ります。

統合社会へ転換する!・・・その2:2019年6月26日】で述べましたように、「表層的な記号の支配を脱して、感覚や象徴の世界を回復させる」という方向は、消費社会を克服する手段として、B.スティグレール(Bernard Stiegler)などが積極的に提案しているものです。


スティグレールによると、20世紀型消費主義の尖兵であるマーケティングは、「中毒的消費」や「消費依存症」を拡大して、家族構造や文化構造などの「象徴制度」を破壊してきました【
差異化手法を批判する!:2016年2月11日】。

この病根を解毒するには、新しい「生の様式」や新たな「生き方」を作り出す「象徴制度」の再構築が必要ですから、「寄与の経済」や「贈与の経済」が中心の、次世代経済モデルをめざすべきだ、と提案しています。

彼のいう「象徴制度」とは、意識的な欲望や欲求次元の、さらに下に潜んでいる、無意識的な次元、つまり感覚や欲動の次元に広がる、最も始原的な世界認識体系です。

この象徴制度には、民族の習慣や習俗の歴史が幾重にも蓄積されており、モノやサービスの交換についても、北西部アメリカ・インディアンのポトラッチや、ポリネシア原住民のクラ交易のような「義務的贈答制度」が濃厚に残っています。

個人や集団もまた、この制度を巧みに利用して贈答や寄贈を行い、相互扶助を達成することができれば、新たな産業社会はその上に築くべきだ、というのです。

スティグレールが「寄与経済」と名づけている経済制度は、決して新奇なものではなく、文化人類学や経済人類学が20世紀の初頭から「互酬」あるいは「互酬制」とよんできた生産・分配制度です。

それは民族集団の中に潜む、集合的無意識や体感的な感覚に基づいた「象徴」体系であり、この体系を個人や集団がいわば無意識的に実践することによって、「贈与」や「寄与」といった交換行動が生れてきます。

互酬制を再建しようというのであれば、それはまさしく象徴社会の再建を意味していますから、統合社会をめざす第2の方向とほとんど同じです。

とはいえ、これだけ市場経済が拡大してしまった現代社会において、実際にそれを実現していくとなると、かなりの困難がつきまといます

どのような対応が求められるのでしょうか。

2019年7月20日土曜日

「モト」の3次元を考える!

「モノからコトへ」の次は「コトからモトへ」進むべきだ、と述べてきましたので「モト」の中身について少し触れておきましょう。

前回述べたように、「モト」には、(モト)、(モト)、(モト)の、3つの次元があります。

①感覚・体感・・・
②無意識・未言語・・・意識
③象徴・神話・・・

3つの次元については、【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で詳しく述べていますので、改めて要旨を紹介しておきます。

現象学の「エポケ(epokhē:判断中止)を応用して、記号界のさまざまな「欲望」をかなぐり捨て、そのうえで生理的な「欲求」や無意識的な「欲動」の次元へ降りていきます。すると、そこに見えてくるのは象徴や神話の世界であり、さらにその下には無意識や下意識の世界、もっと下には感覚や体感の世界が広がっています。



それぞれの次元に浮遊している「モト」とは何なのか、その中身は次のようなものです。

感覚・体感の次元
個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚、いわゆる本能の活動する次元です。

これらを鋭敏にするには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨て、直感的、感覚的な裸身をさらけ出すことが必要です。

野性的な動物や出産直後の乳児などの「本能」次元に立ち戻って、触覚、嗅覚、聴覚など視覚以外の感覚、つまり肌触り、快感、快汗、芳香、悪臭、美声、騒音などに敏感になることが求められるでしょう。


無意識・下意識の次元

身分けと言分けの裂け目から生まれてくるカオスが、どろどろと蠢いている次元です。

通常は意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想などの形をとって噴出し、記号で覆われた欲望の厚い膜を突き破って出てきます。

これを活かすには、無意識や下意識が見えやすい環境を、積極的に作り出すことが必要です。


眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを誘い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させる。それができれば、外部から誘導された欲望の虚構性が自覚され、生身の生活願望が見えてくるはずです。

象徴・神話の次元

無意識・下意識が漂う中で、言語や記号の生まれる以前のシンボル元型(archetype)が蠢いている次元です。

C.G.ユングによると、【
サインとシンボル・・・どこが違うのか?:2015年8月28日】で紹介したように、「象徴(シンボル)」という言葉は、既成の言語体系が形成される以前の未言語段階、あるいは前言語段階の意味体系である、と定義されています(『人間と象徴』)。


私たちは、感覚や無意識でとらえたものを言葉で表す前に、より始原的なイメージによって表現している、ということです。

とすれば、象徴が生み出した元型【象徴」を応用する!:2016年4月9日】の微妙な動きやそれが繋がった神話の流れに敏感につかみ取ることが求められるでしょう。

なお、以上のような3次元を私たちが実際に活用する手法については、【差元化とは何か?:2015年8月】で詳述していますのでご照覧ください。

ともあれ、生活民自身が上記のような「モト」次元へと焦点をあて、それらを享受することができるようになれば、「モノ」や「コト」の次元を大きく飛び超えていく、一つの足掛かりとなるでしょう。

2019年7月9日火曜日

「モノ」から「コト」へ、「コト」から「モト」へ

前回、「コト・モノ・モト」論を紹介したところ、多くの皆様からリツィートやご質問をいただきましたので、本論をちょっと外れ、「モト」論を述べておきます。

最近、旧来型のマーケティングの世界では、「モノからコトへ」の次の消費動向として「トキ(時)」とか「イミ(意味)」、あるいは「エモ(エモーション)」などの言葉が提案されてきました。

これらは表層的な消費動向や経営学的なマーケティングの分析対象として予想されているもので、その限りにおいてはまったく構わないと思います。

しかし、より根源的、より理論的に生活行動の仕組みを思考しようとすると、ほとんど首尾一貫性のない、単なる思いつきのようにも思えてきます。

もともと私たちの意識構造は、【
分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】で述べたように、「感覚界=モノ界」をベースとして「言語界=コト界」と「現実界=モノコト界」の、3つの次元で構成されています。


モノ界」とは、本能や感覚器がとらえた限りでのモノの世界。

コト界」とは、「モノ界」の中から、言葉によって捉えられた限りでの世界。

モノコト界」とは、両世界の間にあって、言葉が捉えられなかった対象が浮遊したり、沈潜している世界。

このように考えると、「モノ」「コト」「モノコト」は、次のように定義できます。

モノ」とは、単なる物質や材質などを超えて、人間という種がその感覚で捉えた知的世界を意味しており、漢字で表わせば「」であり「」となります。

コト」もまた、単なるカラー、デザイン、ネーミング、ブランド、ストーリーなどを超えて、人間特有のシンボル化能力が描き出した
知的世界を意味しており、漢字で表わせば「」であり「」となります。

モノコト」とは、「モノ」と「コト」の間にあって、言葉が捉えきれないモノ、捉えていないモノなどを意味し、漢字の「物事」に相当しますが、やや異なる状態を示しています。

この「モノコト」は、言語的な「コト」界と本能的な「モノ」界の間を浮遊して、コトとモノを繋ぐ本源的な役割を担っていますから、その意味では「モト」とよんでもいいでしょう。

そこで、「モト」の実態を詳しく眺めて見ると、【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】で述べたように、①象徴・神話、②無意識・未言語、③感覚・体感、の3次元に分けることができます。

①象徴・神話次元・・・

②無意識・未言語次元・・・意識

③感覚・体感次元・・・

とすれば、「モト」は「元(モト)」「下(モト)」「本(モト」の3次元で構成されていることになります。

これこそ、「モノからコトへ」のさらに向こう側に「コトからモトへ」を展望しなければならない、重要な理由といえるでしょう。

3次元の内容は、次回以降で考えていきます。