このブログで幾度も述べてきたように、生活学でいう「生活人」や「生活者」は「市場社会を超えた人」と理解されていますから、市場を大前提とする「市場行為」、つまり「マーケティング」とは相いれないところがあります。
しかし、あえて「生活学マーケティング」という、一見矛盾したブログを始めたのは、「生活者と市場社会の矛盾を超える!」(2015年2月11日)でも述べたように、私たちの暮らしが市場社会そのものの中で営まれている、という現実を無視できないからです。
現代社会に生きている人間は、それぞれの生活を構成している、ほとんどのモノやサービスを市場から受け取っており、「生活市場」を否定しては、もはや暮らしを構成できない状況にあります。
とはいえ、ユーザーの生活願望と生活市場が提供する商品やサービスの間には、限りなく深いギャップがあります。
単なる消費者を脱した、高意識のユーザーたちにとって、市場の差し出すモノやコトは、そのまま受容できるものではなく、さまざまな不満を抱きつつも、妥協しているにすぎないのです。
他方、供給側の企業もまた、ユーザーの求めるモノやコトを、すべて的確に把握しているとは限りません。詳細なマーケティングリサーチや市場分析などを行いつつも、既存の市場概念や商品コンセプトに基づいて、新商品や新サービスを提案しているにすぎません。
それゆえ、このような需給ギャップを埋めようと、当ブログでは「生活学マーケティング」を提唱してきました。
一方では市場社会を利用して、ユーザー自らがそれぞれの生活願望を実現していくにはどうすればいいのか、他方では市場社会を通じて、供給者がどこまで生活者の願望の隅々に応えていけるのか、を検討するという方法論です。
しかし、こうした方法論をさまざまに考察してきた結果、もう一歩進めて、ユーザーサイドに視点をおいたマーケティングが必要と思うに至りました。
マーケティングという言葉が、供給側からのアプローチから始まったため、需要側からのアプローチについては、ほとんど未開拓の状態です。これでは、バランスのとれた「市場需給論」を構築していくことはできません。
「市場」にアプローチするのは供給側の企業だけではなく、ユーザー自身もまた積極的にアプローチしていることを再確認することが必要です。
両者の対等的なアプローチと統合的な発想によって、高度市場社会における、全体的なマーケティングの理論と方法が初めて確立できるものと確信しています。
これこそ、「USマーケティング」を改めて提唱する理由です。