供給側からの「サプライヤ―・サイド・マーケティング(Supplier- side Marketing)」が、「価値」創造の商品開発に執着しているとすれば、需要側の「ユーザー・サイド・マーケティング(User-side Marketing)」では、どのように「価値」というネウチと付き合っていけばいいのでしょうか。
もともと「生活民」の前身となった「生活人」や「生活者」では、「価値」というネウチに対して、ともに厳しい態度をとってきました。
もともと「生活民」の前身となった「生活人」や「生活者」では、「価値」というネウチに対して、ともに厳しい態度をとってきました。
今和次郎の提唱した「生活人」とは、「外回りの倫理でかっこうだけをつけさせようとあせることなく、日常生活を通じての自己生活の倫理」を高めていく人格、と述べられています。この定義に従うと、「価値」というネウチは、まさに市場社会が創り出した「外回りの倫理」ですから、それよりも「私効」という「自己生活の倫理」を重視しなればならない、ということになります。
また大熊信行の提起した「生活者」とは、「(大衆消費社会の)営利主義的戦略の対象としての、消費者であることをみずから最低限にとどめよう」とする人々、と定義されています。これに従えば、「価値」を売りこむ営利主義的戦略や「価値」を受け入れる消費者という立場を極力退けるべきだ、という方向が見えてきます。
とすれば、生活人や生活者を継承する生活民は、改めて言うまでもなく、「価値」に対して厳しい態度をとらなければなりません。それはどのようなものか、おおまかに整理してみると、次の3つになります。
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