差元化戦略という視点からみると、最近の三太郎CMには、すでに幾つかの疑問が現れています。
最初の疑問点:「みんながみんな英雄」でいいのでしょうか?
同CMシリーズ では2016年1月から「春のトビラ·みんながみんな英雄」篇を公開していました。
タイトルだけから判断すると、登場人物のそれぞれが英雄であり、ユーザーの一人一人もまた英雄だ、という意向が伝わってきます。
だが、スマホのユーザーの1人1人が英雄であっていいのでしょうか?
電車内でメール操作に熱中しすぎて弱者に優先席を譲らなかったり、SNS の使い過ぎでイジメやシカトが小・中学生からママ友の間にまで広がるなど、スマホという情報機器は個々人の自意識を過剰に拡大させています。
こうした悪弊が広がる以上、ユーザーをさらにヒーローやヒロインに祭り上げて、無粋な英雄に仕上げるのはいかがなものでしょう。
現に同CMの歌詞では
「特別じゃない 英雄じゃない みんなの上には空がある」
と 真逆の言葉から始まっています。
反語だ、というつもりかもしれませんが、この矛盾に気づかない鈍感さに、感覚・感性のうえでかなりの危惧を覚えます。
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