2021年10月11日月曜日

言語3階層説の基盤を考える!

生活構造論において、「身分け」「言分け」の間には、もう一つ「音分け」次元があるのではないか、という発想で、言語3段階説を考えてきました。

もともと生活世界の構造を哲学的な視点から再構成する「生活構造論」は、欧米の思想を参考にしながらも、日本の思想家の先達が独自に構築されたものです。

自然のままの環境世界から、人間の感覚が直に把握する「身分け」世界を最初に提唱されたのは哲学者の市川浩先生であり、それを前提にして、人間の言語能力が新たに創り出す「言分け」世界を提示されたのは、言語学者の丸山圭三郎先生でした。

このため、日本の思想界では永らく、「身分け・言分け」構造が、生活世界論の定説となってきました。

しかし、このブログで検証してきたように、欧米思想家のさまざまな言語観を振り返ってみると、「身分け」と「言分け」の間に、もう一つ、新たな次元を導入することが絶対に必要ではないか、と思えるようになりました。

そこで、とりあえずオノマトペ(擬声音)をベースとする「音分け」次元を提唱したのですが、言語3階層説の検証過程で、言語の存在次元を突き詰めていくうちに、「識分け(しわけ)」よぶべき次元に変更した方がよいのでは、と思いついたのです。

「音」の息づかいはもとより、「色」への反応、「味」や「臭」の違和感、「蝕」の有無といった「意識」次元をひとまとめにして、新たな分節次元にすべきだ、と考えたのです。

いいかえれば、感覚把握と言語把握の間に、もう一つ「意識」把握の次元がある、ということです。

感覚が把握したものであっても、意識が把握していない限り、言語の把握には至りません。意識が把握しないものは、無意識となって、身分け次元の空間に沈殿していきます。

それゆえ、仏教の唯識論井筒俊彦先生の言語アラヤ識論にも因んで、「識」次元を組み入れたのです。

「識る」は大和言葉で「シル」と発音しますから、「識分け」は「シワケ」とよぶことになります。

仕分け」と同じ発音ですが、この言葉もまた「区分して分ける」ことを意味していますから、もともとは「識分け」と同義語だった、ともいえるかもしれません。

そこで、以上のような視点から、当ブログで展開してきた生活構造論をもう一度見直し、下図のように改良したいと思います。


この図に基づいて、幾つかの論点を解説していきます。

最初は生活世界の基本構造・・・私たちが日頃どっぷり浸かっている生活世界は、「物界(物質界)」「モノ界(感覚界)」「モノコト界(認知界)」「コト界(識知界)」の4つから成り立っています。

物界(物質界:physics・・・私たち人間や動物などを取り巻く、ありのままの環境世界。

モノ界(感覚界:physis・・・私たち人間が自らの「身分け」能力によって、周りの環境世界の中から把握した世界。「身分け」されたものは、まずは「無意識」として佇み、されなかったものは「無感覚」として物界に沈んでいく。

モノコト界(認知界:gegonós・・・私たち人間が自らの「識分け(しわけ)」能力によって、モノ界の中から認知できた世界。「識分け」されたものは「意識」の対象となり、されなかったものは「無意識」のままモノ界に沈んでいく。

コト界(識知界:cosmos・・・私たち人間が自らの「言分け」能力によって、モノ界の中から把握した世界。「言分け」されたものは「知識」となり、されなかったものは「意識」のままモノコト界を漂うことになる。

4つの世界が生まれるのは、人間の基本的な能力である「身分け」「識分け」「言分け」の成果と思われます。

この構造をベースとして、言語の3階層の持つ、それぞれの特性を考えていきます。

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