2017年12月30日土曜日

差戯化行動に対応するには・・・

差真化行動に対応する供給側の課題の次は、いよいよ差戯化対応です。

生活民の差戯化行動とは、【
メタ・メッセージで「虚構」を遊ぶ!: 2017年7月6日】で述べた通り、次のような二面性を持っています。

①言葉の持つ規範性を敢えて無視し、怠惰、虚無、浪費、蕩尽などへまっしぐらに転落していこうとする消極的な弛緩行動であり、個人次元でいえば目標や規律を外した怠惰や惰性、経済次元でいえば節約や貯蓄を無視した浪費や蕩尽などが該当します。

②言葉の虚構性をむしろ認めて、遊戯、ゲーム、模擬、混乱などを思い切り楽しもうとする積極的な遊戯行動であり、個人次元でいえば息抜きのための遊戯や遊興、社会次元でいえば大衆的なスポーツやエンターテインメントなどが該当します。


この二面性に向けて、供給側では【
差戯化の4つの戦略:2015年12月14日】で述べたように、浪費・蕩尽戦略、虚脱・混乱戦略、戯化・模擬戦略、ゲーム・競争戦略の、4つの対応が従来から行われてきました。 

生活民マーケティングという視点に立つと、このような供給側の戦略はどのような配慮が必要なのでしょうか。多面的に検討していきましょう。

2017年12月22日金曜日

物語消費から神話消費へ!

繊研新聞・繊研教室(2017年12月19日)に寄稿しました! 

携帯電話会社のCMで、「白戸家」シリーズ(ソフトバンク)と「三太郎」シリーズ(KDDI)の競り合いが注目を集めている。2007年開始の「白戸家」は、CM好感度1位を7年連続で維持してきたが、14年度以降は「三太郎」に抜かれたままだ(CM総合研究所調べ)。そこで、「白戸家」側も17年の秋から大幅に構成を変えて、巻き返しを図っている。
・・・以下は http://gsk.o.oo7.jp/insist17.html#mono


2017年12月10日日曜日

供給者は真実言語には介入するな!

第2の視点、つまり「日常界で使われている日常言語(交信言語)は、言葉の示すことはすべて真実とみなす真実言語(儀礼言語)と、言葉の示すことはすべて虚構とみなす虚構言語(遊戯言語)に挟まれた言葉である」という立場から見ると、フェイクニュースや脱・真実の拡大という社会情勢に向けて、供給側が対応していくには、次のような姿勢が求められるでしょう。


真実言語(儀礼言語)の世界(真実-儀礼界)で使われている言葉は、すべてが真実を表象していますから、供給側もまた絶対にこのルールを破ってはいけません

虚構言語(遊戯言語)の世界(虚構-遊戯界)で使われている言葉は、すべてが虚構を前提としていますから、供給側は思う存分にフェイクを発信することができます。

日常言語(交信言語)の世界(虚実-交信界)で使われている言葉は、まさに虚実の入り混じったものであり、供給側もまた真偽いずれでも選ぶことができます

このように虚実軸からみると、生活民自身がそれぞれの生活空間の中で虚実の混在を楽しんでいる以上、供給側にもまたそれに応じて、虚実それぞれの情報を提供していくこと許されます。

しかし、注意すべきは、マスメディアやマーケティングなどの供給側が、ともすれば真実言語(儀礼言語)の世界にまで踏み込んで、同時代に使用されている言語の真偽基準をしばしば乱していることです

供給側が、意味する言葉と意味される対象の間に敢えて介入する場合には、とりわけ慎重な対応が求められるでしょう

2017年11月30日木曜日

供給者が“脱・真実”へ対応するには・・・

第1の視点、つまり「日常界で使われている日常言語(交信言語)は、表層言語(観念言語)と深層言語(象徴言語)に挟まれた言葉である」という立場から見ると、フェイクニュース脱・真実の拡大という社会情勢に向けて、供給側が対応していくには、次のような姿勢が求められるでしょう。



深層言語(象徴言語)には介入しない。

この言語は生活民一人ひとりの遺伝的・生活歴的な次元から生まれてくるもので、それぞれの「言語感覚」を形成しています。

日常言語以前のイメージ(元型)やオノマトペ(擬声語)など、意味するものと意味されるものが一体化しているうえ、真実と虚構が仕分けられる以前の混沌たる状況もまた示しており、生活民の言語能力や判断能力を培う源泉となっています。

それゆえ、供給側としては、CMやキャッチフレーズなどで、この次元へ強引に介入していくことは極力避けるべきでしょう。

表層言語(観念言語)には慎重な提供を。

この言葉は記事や解説、報告や論文、文学や評論などで、観念や概念といった抽象化された記号として使用されています。

一般的には、真実を表すことを目的としていますが、遊戯や文学などでは虚構を表現することも重要な役割です。

このため、供給側がネーミング、ブランド、ストーリーなどで、この種の言葉に関わる場合には、予め真実か虚構かを明示するか、容易に判断できるものとして、慎重に提供していくことが求められます。

日常言語(交信言語)には是々非々で対応。

この言語は私たち生活民が会話や交流文通やメールなど日常的に使っているものです。

深層言語と表層言語に挟まれた言語空間の中で使用されていますから、当然のように嘘と真実が混合しています。

供給側が直接介入することはありませんが、使用される言葉に大きく影響を与える立場にありますから、①②の両方の視点に立って、生活民が真偽両方を巧みに享受できるように、有力な応援者として対応していくことが求められるでしょう。

SNSやAIが急伸する時代であればこそ、供給側の言語行動にはいっそうの慎重さが求められるのです

2017年11月20日月曜日

差真化行動に対応するには・・・

生活民の差延化行動や差元化行動に対応する供給側の課題を述べてきましたので、次は差真化行動への対応を考えていきます。

生活民は「真実」を超える!:2017年8月31日】で述べた通り、生活民とは「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体です。

この課題を考えていくには、次の2つの視点が必要だと思います。


①日常界で使われている日常言語(交信言語)は、表層言語(観念言語)と深層言語(象徴言語)に挟まれた言葉である。

“象徴”力の向上でウソとマコトを見分けよう!:2017年7月19日】で述べたように、言葉には音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」と、無意識をとらえる「深層意識的な言語」があります(井筒俊彦『意識と本質』)。

この視点を拡大すると、【
身分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】で触れたように、生活体の縦軸には「コト界(言語界)」「モノコト界(認知界)」「モノ界(感覚界)」の3つがあり、それぞれの世界ごとに使われる言葉もまた、表層言語(観念言語)、日常言語(交信言語)、深層言語(象徴言語)に分かれてきます。

表層言語(観念言語)は、観念や概念など抽象化された記号として使用している言葉。
日常言語(交信言語)は、会話や文通などで日常的に使用している言葉。
深層言語(象徴言語)は、日常言語以前のイメージ(元型)やオノマトペ(擬声語)などのって表される言葉。


②日常界とは真実界(儀礼界)と虚構界(遊戯界)に挟まれた世界である。

前後軸が作る3つの生活願望・・・真欲・常欲・虚欲:2015年3月13日】で詳しく述べていますが、生活球の縦横軸で見ると、私たちの生活世界は言葉の示すことはすべて真実とみなす「真実界(儀礼界)」、逆に言葉の示すことはすべて虚構とみなす「虚構界(遊戯界)」、これら2つの狭間にあって真偽が曖昧なままの「日常界」の3つから構成されています。

儀礼界とは、言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなすメタ・メッセージの場であり、儀礼や儀式に代表される空間。
日常界とは、真実と虚構の二つの空間の狭間にあって、虚実の入り混じった場であり、私たちが毎日暮らしている日常の空間。
遊戯界とは、言葉の示すことはすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむメタ・メッセージの場であり、遊戯やスポーツに代表される空間。

生活民の真化行動へ供給側が積極的に対応していくには、以上のような①と②の視点をクロスさせることが必要です。

それは【
生活体マンダラ・立方界を提案する!:2015年3月22日】の中で提案した生活体マンダラの中の一つ日常界に相当します。

供給側はこの世界に対して、どのように対応していけばいいのか、多面的に検討していきましょう。


2017年11月10日金曜日

感覚次元への3つの対応

生活民の差元化行動に向けて、供給側の行うべき、3番めの方策は感覚次元への対応です。

感覚次元への差延化行動とは、個々人の「身分け」能力、つまり五感や六感などの感覚を鋭敏にして、記号や常識の創り出す、過剰な幻想を乗り超えていくことです

いいかえれば、言葉や記号をあえて外し、身体性や直感性、原始性や動物性などの身体能力の回復を意味しています。

こうした力を取り戻すには、一旦は理性的、合理的な鎧を脱ぎ捨て、直感的、感覚的な裸身をさらけ出していくことが必要です【
差元化とは何か?:2015年8月20日】。

それには、野性的な動物性出生直後の乳児性などの次元に立ち戻って、視覚・聴覚はもとより味覚・嗅覚・触覚、さらにはそれらを統合した直覚(六感)を再生・強化させていかなくてはなりません。

今後、人口減少や飽和・濃密化で日本社会の閉塞感はますます強まっていきます。そうした環境の中で、生活民の感覚再生・強化願望もまた高まっていくとすれば、供給側にもそれなりの対応が求められます。

その方向としては、①原始・野性化支援、②五感力支援、③直観力支援などが考えられます。 


原始・野性化支援・・・記号化された常識的世界を脱力化するため、自営キャンプ、登山、水泳、潜水、ウォーキング、ランニング、ペット飼育などを通じて、生身の人間力を再生・強化する商品やサービスを提供していく。

五感力支援・・・現代生活の中でややもすれば衰えがちな五感力、具体的には視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚力を再生・強化するため、食品・サプリメント、刺激臭・激辛食品、高周波音・低周波音、超高温・超低温などの関連商品や関連トレーニングを提供していく。

直覚力支援・・・五感力を統合して得られる直感(直覚)力を支援するため、休養や睡眠、快感や快汗などを深める商品やサービスを見直し、あるいは新たに創造して提供する。

以上のように、感覚の再生・強化を求める生活願望に対しては、従来の理性や日常性を積極的に超越する、大胆な対応が求められるでしょう

2017年10月31日火曜日

無意識次元への3つの対応

生活民の差元化行動に向けて、供給側が行うべき、2番めの方策は無意識次元への対応です。

生活民が行う、無意識次元の差延化行動とは、眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを追い込んで、生来の直感力や超能力を回復させることです。

無意識や本能は通常、意識下の暗い深淵に潜んでいますが、時折、夢や幻想など「欲動」の形をとって噴出し、日常生活空間の記号で覆われた「欲望」の厚い膜を速やかに突き破ってくれます。

そこで、生活民には、無意識や本能が見えやすい環境を、自ら積極的に作り出すことが求められます。眠り、酩酊、陶酔といった状況に自分自身を追い込んで、その中でたっぷりと夢や幻想を味わい、そこから生来の直感力や超能力を回復させるのです【
差元化とは何か?:2015年8月20日】。

こうした生活民の差元化行動に対応して、供給側に求められる支援策としては、すでに述べたように、①没我力支援、②直感力支援、③自己対面力支援などが考えられます【
「差異」より「深化」を!:2016年4月27日】。それぞれの事例を考えてみましょう。

没我力支援では、睡眠、催眠、酩酊などへの誘導や援助を行う生活素材や支援サービスが求められます。素材では快眠グッズ、眠り薬、睡眠導入剤、酒、アルコール飲料などが、サービスとしては睡眠誘導、催眠誘導、熱狂空間、無礼講などが考えられます。

直感力支援では、身体や感覚を研ぎ澄ませて、霊感や六感を増加させる生活素材や支援サービスが求められます。素材ではリラックスミュージック、リラックス絵画など、サービスでは伝統的な座禅、自己催眠法、自律訓練法に加えて、さまざまなリラクゼーション技法などが先例となるでしょう。

自己対面力支援では、無意識の次元に立ち戻って、自らの原点を確認し、それを社会に向けて広げさせる生活素材や支援サービスが求められます。素材では、現在開発中の潜在意識型VR(ヴァーチャルリアリティ)が、またサービスではこれまた研究中の潜在意識セラピーなどが、それぞれ考えられます。

以上のように、生活民の求める無意識行動に対しては、生活素材と支援サービスの両面から、伝統的な支援手法の再評価はもとより、最先端のテクノロジーを駆使した対応もまた求められるでしょう。

2017年10月20日金曜日

「白戸家」の物語は終わるのか?

「白戸家」のCMが終わるか終わらないのか、ネット上で話題になっています。


このためか、このブログでもビュー数が急増しています。

かつて【
白戸家はなぜ三太郎に敗れたのか?:2016年5月10日】に始まり、数回にわたって白戸家」CMの弱点を指摘してきたからです。

敗因の要点は、白戸家CMが「物語戦略」であるのに対し、三太郎CMが「神話戦略」である、という点です【
物語戦略と神話戦略・・・どこがどう違うのか?:2016年7月15日】。

両者の根本的な違いは【
物語戦略と神話戦略・・・違いを整理する:2016年7月29日】で詳しく述べていますが、要点を再掲すれば、

◆物語戦略は需要者の欲望を刺激して、供給者側からの強引な誘導を行う手法

◆神話戦略は需要者の欲動(無意識や感覚)を刺激して、需給両者の共感を作りだす手法

ということになります【
物語は供給者からの誘導、神話は需要者との融合:2016年8月8日】。

この違いこそ、生活民の差元化志向に向けて、供給者が適切に対応していく場合に、最も意識すべき視点だと思います。

差元化行動には、象徴力次元、無意識次元、感覚次元の3次元がありますが、神話戦略は象徴力次元に対応するものです。

とすれば、他の2次元に対しても、より適切な対応が求められるでしょう。

2017年10月8日日曜日

生活民の差延化志向に対応する!

生活民の「私効」志向に向けて、供給側がマテリアリング(素材提供)を行うとき、最も基本になるのは、彼らの「差延化」行動へいかに対応していくか、です。

差延化とは何か。これについては【
生活民にとって「差延化」とは・・・:2016年12月19日】で、またその具体的な行動については【差延化戦略には5つの方法があった!:2016年12月31日】で、詳しく述べていますので、まずはご参照ください。

上記で述べた、5つの行動とは私仕様、参加、手作り、編集、変換を示していますが、これらに向かって、供給側はどのように対応していけばよいのでしょうか。基本的な方向は次の通りです。



①「私仕様」対応・・・生活民独自の注文に応えるもので、オーダースーツ、オーダー家具、オーダー結婚式パーティーなど、カスタマイズに対応できる素材やサービスを拡大する。

②「参加」対応・・・生活民に7~8割程度の素材を提供して、自立志向を鼓舞するもので、組み替えスーツ、キット家具製作クラブ、自由設計プレハブ住宅、ログハウスなど、パーティシペート志向に応じた素材やサービスを強化する。  

③「編集」対応・・・生活民の“自主編集権”を満足させるもので、各社の衣料を組み合わせて独自スタイルをつくり出す生活民編集ファッション、各社の部品を編集して独自の車をつくり出す改造車や改造バイクなど、エデイット志向に応じた素材やサービスを拡大する。

④「変換」対応・・・生活民が商品の用途を自由に変えられる要素を提供するもので、ポケットベルの用途多様化、冷蔵庫の総合保管庫化など、コンバート志向に応じた素材やサービスを強化する。

⑤「手作り」対応・・・生活民に2~3割程度の素材を提供するもので、手作りビール、デコラティブ(装飾的)ペインティング、デコパージュ風ニュー手芸、個人手配海外旅行など、ハンドメーク志向に対応した素材やサービスを拡大する。

以上のように、供給者のマテリアリング(素材提供)の基本とは、これまでのマーケティングの基本であった、一方的な商品・サービス供給体制を脱して、生活民がそれぞれの生活を創造していくための素材をインタラクティブに提供することにあるのです。

2017年9月27日水曜日

マテリアリングに対応する供給者の基本条件

生活民の「私効」志向に向けて、供給側がマテリアリング(素材提供)を行うには、どのような方法があるのでしょうか。

生活民が生活素場に求める、基本的な要件を【〝差延化〟で消費市場を脱構築する!:2017年2月25日】であげていますので、それぞれに対応して、供給者側に求められる行動とは何か、を考えてみましょう。



①「自給自足」実現のため「他給自足」を活用しようとする生活民に対応して、供給者はあらゆる商品やサービスを、生活素材(効素:効用の素)として柔軟に利用できるように配慮することが求められます。

②コト次元で差延化力を高める生活民に向けて、情報素場においては、彼らの「私効」に自由に変えられるようなコトを、多面的な「共効」として供給していくことが必要です。

③モノ次元で差延化力を高める生活民に向けて、生活素場においても、彼らの「私効」に変えられるようなモノを、多面的な「共効」として供給していくことが必要です。

④コスト次元で差延化力を高める生活民に向けて、市場価格そのものもまた差延できるような、新たな価格体系を創り上げていくことが求められます。

⑤モノ・コト・コストの差延化で消費市場を生活素場へとデコンストラクト(déconstruct:解体・再構築)しようとする生活民にむけて、従来の「消費市場」の意味や機能を、生活素材提供装置としての「生活素場」へと再構築していくことが必要です。

以上のように、生活民の「私効」志向拡大に対して、供給側が柔軟に対応していくためには、マーケティングからマテリアリングへの転換、さらには消費市場そのものの生活素場への転換が求められているのです。

2017年9月18日月曜日

マテリアリングとは何か?

マテリアリング(materialing)とは、生活素場で供給側に立つメーカーや流通業が、需要側に立つ生活民に向けて、どのように対応していくべきか、その方法を追求することです。

生活民とは、すでに述べたように、①「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を、②「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を、③「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を、それぞれ求めたり眺めたりする主体です。


こうした主体に向けて、さまざまな商品やサービスに提供していくには、従来とは一味違った、新たな対応が求められます。

その一つが「私効対応」であり、生活民の求めている「私効」志向にどのように対応していくか、を考えなければなりません。

生活民が「私効」を創り出すのは、
先に述べたような、次の5つ行動です。

①それぞれの生活の中で、自分で創り出した「私効」を中心としつつも、外部から調達してきた「価値(=共効)」を「個効」として受け入れ、新たな「私効」へと変換することにで、有用性(ネウチ)の範囲を広げていきます。

②社会と個人の間にある間人界において、一人の個人として、個人的な使用(=パロール1)を行う時に、社会的効用を受け入れたうえで、「個人的有用性(=私効)」を新たに創りしていきます。

③供給側からの執拗なマーケティング活動に惑わされることなく、消費市場への自らの対応力(Life Creators Marketing)を高めていきます。

④「価値(=共効)」や「個効」を「私効」へ変換するため、「差延化行動」(私仕様、参加、手作り、編集、変換)を使いこなしていきます。

⑤生活民は、差延化力を高めることによって、既成の社会的装置として確立されている消費市場の機能を、新たに「生活素場」へと脱構築していきます。

生活民のこのような「私効」志向に向けて、供給側が本気でマテリアリングを行おうとすれば、幾つかの対応策が考えられるでしょう。

2017年9月10日日曜日

マーケティングからマテリアリングへ

生活民とは、①「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)を求め、②「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)や「象徴(symbol)」を重視し、③「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である、と述べてきました。

これは従来、需要側の主体として考えられてきた消費者という立場とは、大きく異なっています

消費者とは、①「価値(Value=Social Utility)」に従って、「個効(Individual Utility)を求め、②「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」よりも、「言葉(word)や「記号(sign)」に追随し、③「真実」と「虚構」の混在する「日常」の中で生きている主体であるからです。

とすれば、「消費市場」という概念もまた、大きく変わってきます。


消費市場」とは、生産者が提供する商品やサービスを、消費者が購入して、そのまま利用するための交換空間であると理解されてきました。

だが、新たな概念は、生産者が提供する商品やサービスを、生活民があくまでも”素材”として購入し、独自の”私効”として活用していくための取得空間、ともいえるものだからです。

つまり、生活民という立場からみると、従来の「消費市場(consumer market)」とは、あきまでも“生活素材”を調達するために「生活素場(life materials space)ということになるでしょう。

そうなると、供給側である生産者の立場も大きく変わってきます。

従来は、生産者が消費者の意向を探って、適切な対応を行うという活動は「市場対応=マーケティング(marketing)とよばれてきました。

しかし、生産者が生活民の意向を探って、適切な対応を行うという活動は「素場対応=マテリアリング(materialing)とでもよぶべきものになる、と思われます。

マーケティングからマテリアリングへ、供給者かつ生産者である企業にとって、この転換はどのような意味があるのでしょうか。

生活民と生産者の関係、生活素場と生産者の関係を、新たな視点から見直していきましょう。

2017年8月31日木曜日

生活民は「真実」を超える!

生活民とは、「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である、と述べてきました。

その意味するところは、これまで何度も述べていますので、改めて整理しておきましょう。

①言葉の示す「真実」とは、メタ・メッセージ」という言葉の約束事に依存しているにすぎない。メタ・メッセージ論では、言葉の示すものを真実⇔曖昧⇔虚構の三空間で使い分けることで、勤勉⇔曖昧⇔怠惰などの生活行動の本質を見直しているだけだ。・・・【
前後軸が作るメタ・メッセージの世界:2015年3月12日】

②「真実」とは「嘘」ではない、と信ずる態度である。私たちは、儀式や儀礼の場で使われている言葉を、些か胡散臭さを感じたとしても、全く疑いをはさむことなく「真実」として理解し、その延長線上で「学習・訓練」や「節約・貯蓄」といった生活行動においても、言葉の示した目標をできるだけ「真実」として受け入れて、それを実現すべく努力しているだけだ。・・・【
メタ・メッセージが「真実」を保証する! :2017年6月29日】

③生活民はモノ界とコト界の両面から、真実に対応していかなければならない。日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う「モノコト界」であり、二重の意味で「真実」を保証するものではない以上、真実とはかなり遠いところで生きている存在と自覚することが必要だ。・・・【
嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】

④生活民は真実と虚構へ対応力を向上させなければならない。消費市場では、商品供給側からのマーケティング戦略が、真実向けを差真化戦略、虚構向けを差戯化戦略と位置づけて、日常的な戦略とは一味違った戦略で迫ってくる以上、生活民もまた両者への対応を仕分けていく必要がある。・・・【
「脱・真実」へ対応する!:2017年5月23日】

⑤生活民は、象徴次元での言語感覚を高めることで、記号次元のウソ・マコトを仕分ける能力を上昇させていく。言葉には、音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」と、無意識をとらえる「深層意識的な言語」がある。表層的な言語が「記号」であるとするなら、深層的な言語は心理学的な意味での「象徴」である。象徴次元での言語感覚を高めることで、記号次元でのウソ・マコトを仕分ける能力もまた急速に上昇できる。・・・【
“象徴”力の向上でウソとマコトを見分けよう!:2017年7月19日】

以上のように、生活民は”脱・真実”の飛び交う現代社会の中で、“超・真実”を求めていく主体なのです。

2017年8月20日日曜日

生活民は「デザイン」を超える!

生活民とは、「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する主体である、と述べてきました。

その意味するところは、これまで何度も述べていますので、改めて整理しておきましょう。


①デザイン、ブランド、ストーリーなどが、生活民の真の生活願望を迷わせている。フランスの哲学者、B・スティグレールは、供給者の展開するマーケティング活動が、さまざまなメディアを通じて消費者の感覚を麻痺させ、一人ひとりが元々持っていた、個人的な欲望や欲求を消滅させている、と主張する。・・・【差異化手法を批判する!;2016年2月11日

②生活民は「差異化=記号化」の向こう側に「象徴化」を展望する。同じくフランスの哲学者で、差異化手法の思想的根拠ともなったJ.ボードリヤールでさえ、「すべての命名の起源である意味作用は、価値についてしか語ることができない。象徴的なものは価値ではないからだ。・・・記号と価値を抑制して、象徴的なものを回復させなくてはならない」と述べる。・・・【ボードリヤールも批判する!:2016年3月5日

③生活民は、一人ひとりの人間に元々備わっている感覚・無意識・象徴力を回復させる。供給者の展開する「差異化」行動に対抗して、生活民は「差元化」行動を拡大させ、記号の専横を抑制していく。・・・【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日

④生活民が強化すべき「差元化」行動とは、それぞれの生活世界において、感覚、無意識、欲動、感度、体感、象徴、神話などを求める願望に応え、言葉や記号をあえて外し、身体性や直感性、原始性や動物性などの「身分け」力を回復させることを意味する。・・・【差元化とは何か?:2015年8月20日


⑤生活民は感覚界の3次元に向けて、積極的に働きかける。象徴次元にはシンボルや元型(アーキタイプ)の動きに注意を払い、無意識次元には眠り、酩酊、陶酔といった状況に自らを追い込んで、生来の直感力や超能力を回復させる。そして、感覚次元には個々人の身分け能力、つまり五感や六感などの感覚を鋭敏にして、マーケティングやマスメディアの作り出す幻想を乗り超えていく。・・・【差元化とは何か?:2015年8月20日


以上のように、生活民とは生来の感覚能力を回復させることで、過剰な「記号」社会を言葉と感覚のバランスのとれた「言感均衡」社会へと脱構築させる主体なのです。

2017年8月9日水曜日

生活民は「価値」を超える!

生活民とは「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求める主体である、と述べてきました。

その意味するところは、これまで何度も述べていますので、改めて整理しておきましょう。



①生活民は、それぞれの生活の中で、自分で創り出した「私効」を中心としつつも、外部から調達してきた「価値(=共効)」を「個効」として受け入れ、新たな「私効」へと変換することにで、有用性(ネウチ)の範囲を広げていく。・・・【
生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】

②生活民は、社会と個人の間にある間人界において、一人の個人として、個人的な使用(=パロール1)を行う時に、社会的効用を受け入れたうえで、「個人的有用性(=私効)」を新たに創り出していく。・・・【
新たな「価値」を創るには・・・:2016年11月29日】

③生活民一人ひとりは、供給側からの執拗なマーケティングに惑わされることなく、消費市場への自らの対応力(Life Creators Marketing)を高めていく。・・・【
生活民は「価値」に惑わされない!:2016年12月7日】

④生活民は、「価値(=共効)」や「個効」を「私効」へ変換するため、「差延化行動」(私仕様、参加、手作り、編集、変換)を使いこなしていく。・・・【
生活民にとって「差延化」とは・・・:2016年12月19日月】

⑤生活民は、差延化力を高めることによって、既成の社会的装置として確立されている消費市場の機能を、新たに「生活素場」へと脱構築していく。・・・【
〝差延化〟で消費市場を脱構築する!:2017年2月25日】

以上のように、生活民とは、供給者の差し出す「価値」を超えることで消費市場」の意味までも変換していく主体なのです。

2017年7月30日日曜日

「生活民マーケティング」は「LC-Marketing」だ!

生活民マーケティング」という視点から、供給側の打ち出す差化戦略(差別化、差異化、差元化、差汎化、差延化、差真化、差戯化)に向けて、一人ひとりの「生活民」が行うべき対応行動を一通り述べてきました。

一区切りつけるために、「生活者」や「消費者」と比較して生活民」の行う生活行動のポイントを整理しておきましょう。

生産者とは・・・


①「価値(Value=Social Utility)」によって「個効(Individual Utility)」や「私効(Private Utility)」を誘発する主体である。・・・【
新たな「価値」を創るには・・・:2016年11月29日】
②「感覚(sense)」や「象徴(symbol」よりも「言葉(word)」や「記号(sign)」によって商品を売ろうとする主体である。・・・【
差異化とは何か?:2015年7月17日】
③「真実」も「虚構」も、両方とも新たな「価値」や「販売手段」として利用しようとする主体である。・・・【
7つの生活願望をつかむ、7つのマーケティング戦略:2015年6月24日】

消費者とは・・・


①「価値(Value=Social Utility)」に従って、「個効(Individual Utility)」を求める主体である。・・・【
生活民にとって「差延化」とは・・・:2016年2月19日】
②「感覚(sense)」や「象徴(symbol」よりも、「言葉(word)」や「記号(sign)」に追随する主体である。・・・【
差異化と差元化を比較する!:2015年12月26日】
③「真実」と「虚構」の混在する「日常」の中で生きる主体である。・・・【
「脱・真実」へ対応する!:2017年5月23日】

生活民とは・・・


①「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求める主体である。・・・【
生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】
②「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する主体である。・・・【
差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】
③「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【
嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】

このような生活民の生活行動を、前回説明した生活球の中に位置づけてみると、下図のようになります。





以上のように、生活民の立場を定めてくると、その英語名称もまた、consumer(消費者)やPro-sumer(生産・消費者)はもとより、
User(需要者)やSelf-helper(生活者)というよりも、Life Creators民:複数)といった方が適切かもしれません。

とすれば、「生活民マーケティング」という名称もまた、「Life Creators Marketing(略称:LC-Marketing」ということになるでしょう。

2017年7月19日水曜日

“象徴”力の向上でウソとマコトを見分けよう!

真実界と虚構界の、2つの空間に挟まれ、真偽の入り混じった生活空間・・・これこそが私たちが毎日暮らしている日常界です。

それゆえ、私たちの日常生活とは、真実と虚構の狭間で絶えず揺れ動いています

とりわけ、最近ではSNSなどWeb Networkの拡大で、日常界ではウソの比重が急速に高まってきました

真っ赤なウソやいい加減な情報が飛び交ったり、客観的な事実を無視して感情的な主張のみが罷り通る政治状況、いわゆる「Populism」も広がり始め、「post-truth(脱・真実)」などという懸念も高まっています。

IT技術が創り出した、こうした社会環境に、私たち一人ひとりの生活民はどのように対応していけばよいのでしょうか。

すでに「
SNSにどう向き合うか?」(2017年5月11日)で述べましたが、2つの基本的な態度が求められます。

情報環境への差延化行動の強化・・・「私仕様」「参加」「編集」「変換」「手作り」という5つの基本行動を積極的に展開して、情報市場の生活素場化を進めていく。

②情報発信の基本である言語虚実性の応用化・・・「言葉」というツールの、真実と虚構という二重性を徹底的に理解したうえで利用していく。

この2つは下図でいうと、個人-社会軸、真実-虚構軸に対応するものですが、これらに加えてもう一つ、言語-感覚軸に対応する行動が考えられます。




深層的言語能力の強化・・・SNSなどで多用されている表層的な言語(記号)だけでなく、それらの深部に存在する、深層的な言語(象徴)の活用行動を深めることで、表層記号の真偽を見分ける能力を高めていく。

言葉というと、音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」だけと考えがちですが、もう一つ、無意識をとらえる「深層意識的な言語」があります(井筒俊彦『意識と本質』)。

なんとなく気持ちが悪い、なんとなく違和感がある、とりあえず好感度が高い、といった次元で、周りの現象を把握し、それを日常言語以前のイメージ(元型)
オノマトペ(擬声語)などで理解することです。

表層的な言語が「記号」であるとするなら、深層的な言語は心理学的な意味での「象徴」とよばれています。

象徴次元のウソとマコトは、記号次元に比べると、より直接的に身分けられるものです。象徴次元での言語感覚が高まれば、記号次元でのウソ・マコトを仕分ける能力もまた急速に上昇していきます。

それゆえ、象徴という言語を使いこなすために、直観力や体感力など、もともと人間に備わっている表象能力を改めて強化することが必要です。

「post-truth(脱・真実)」を打ち破るためには、①②に加えて、究極的には③の象徴力の錬磨が求められるでしょう。

2017年7月6日木曜日

メタ・メッセージで「虚構」を遊ぶ!

「まこと」や「真実」の対極にある「うそ」や「虚構」は、どんな仕組みから生まれてくるのでしょうか。

言葉という装置は、「真実」を保証するとともに、「虚構」もまた作り出しています。

言葉の作り出すメタ・メッセージ空間には、すべてを「真実」とみなす「真実界」と、すべてを「虚構」とする「虚構界」が、「日常界」を挟んで向かい合っています。

このうち、虚構界とは「
差戯化とは何か?」(2015年11月29日)の中で述べたように、言葉の示すことをすべて嘘とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場であり、いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」「ソラゴト」「タワゴト」などの言葉が浮遊する空間です。

虚構界の中では、私たちは言葉の示す意味や目標を意識的に緩めたうえで、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わっていますが、その中身を整理してみると、次の2つに大別できます

➀言葉の持つ規範性を敢えて無視し、怠惰、虚無、浪費、蕩尽などへまっしぐらに転落していこうとする消極的な弛緩行動であり、個人次元でいえば目標や規律を外した怠惰や惰性、経済次元でいえば節約や貯蓄を無視した浪費や蕩尽などが該当します。

勤務中のタバコやコーヒーは、日常界では怠惰や惰性とみなされやすいのですが、虚構界であれば息抜きやリフレッシュとして評価されます。

仕事納めの大宴会は、日常界では浪費や無駄使とみなされますが、虚構界であれば 大番振舞やポトラッチ(蕩尽儀礼)として評価されます。

②言葉の虚構性をむしろ認めて、遊戯、ゲーム、模擬、混乱などを思い切り楽しもうとする積極的な遊戯行動であり、個人次元でいえば息抜きのための遊戯や遊興、社会次元でいえば大衆的なスポーツやエンターテインメントなどが該当します。

●男同士が本気で殴りあえば、日常界では「大喧嘩」と見なされて可罰対象になりますが、虚構界であれば「ボクシング」というスポーツ行為として、何のお咎めがないばかりか、恰好な見物対象になります。

●ゴジラがビルを破壊すれば、日常界では「大災害」と見なされますが、虚構界であれば「映画」の中のこととして、娯楽や鑑賞の対象になります。


以上のように、虚構界では虚構行動そのものが、真実とは異なる意味で、有意義な生活行動として認められています。

「うそ」という行動は、「まこと」と同等に、私たち人間の生活の中で重要な位置を占めているのです

2017年6月29日木曜日

メタ・メッセージが「真実」を保証する!

現実と仮想、真実と虚構・・・どちらもまた、私たち人間の「言分け」力が作り出したものです。

この「真実」・・・、私たちが言葉で作り出した「真実」とは、一体いかなるものなのでしょうか。

すでに「
差真化とは何か?」(2015年11月5日)で述べていますが、私たちが「言分け」能力によって作り出した「モノコト界」の中では、真実を表す言葉と虚構を表す言葉が複雑に入り組んで使われています。

私たちが毎日暮らしている生活空間とは、真と偽の入り混じった生活空間であるからです。

だが、このままでは不安になってきますから、私たちは予め、言葉が真実を保証する場と、言葉が虚構であることを示す場を用意して、それぞれの中で言葉を使い分けています。

この装置がいわゆる「
メタ・メッセージ」ですが、それは一つ一つの言葉がさまざまなモノやイメージを示す「基本的なメッセージ」の次元を超えて、幾つかの言葉がまとまって一定の約束事を示す「超越的なメッセージ」の次元を示しています。

前者の、言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなす場が「真実界」であり、その中で私たちは儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などを行なっています。つまり、「マコト」「ナライゴト」「サダメゴト」などです。

他方、後者の、言葉の示すことをすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場が「虚構界」ですが、ここでは遊戯、弛緩、怠惰、放蕩、遊興、浪費、蕩尽などを行なっています。いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」などです。

とすれば、真実界の中で使われている言葉は、すべて「真実」であるという約束のうえでで、モノゴトを表現しています。

逆にいえば、真実界で使われる以上、一つの言葉は必ず真実を示さなければならない、というきまりになっている、ともいえるでしょう。

さらにいえば、言葉の意味するモノを疑っていては、「言分け」力の存在すら無くなる。それは人間そのもの存在すら否定することになりかねないのです。

それゆえ、私たちは、儀式や儀礼の場で使われている言葉を、些か胡散臭さを感じたとしても、全く疑いをはさむことなく「真実」として理解しているのです。

その延長線上で「学習・訓練」や「節約・貯蓄」といった生活空間においても、言葉の示した目標をできるだけ「真実」として受け入れ、それを実現すべく努力するのです。

このように考ええると、言葉の示す「真実」とは、「メタ・メッセージ」という約束事に強く依存しているものだ、ともいえるでしょう。 

2017年6月21日水曜日

IT が創り出す“虚構現実”とは・・・

日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う「モノコト界」であり、「真実」を保証するものではありません。

その世界へ近頃ではさらに、IT技術が創り出す「虚構現実」が大量に参入し始めています。

高精度なゴーグル型のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)も登場し、それらを利用すれば、架空の現実を真実のように体験できるようになってきました。

この「虚構現実」では、現在のところ VR、AR、MRの3つが代表的です。

VR(Virtual Reality : バーチャルリアリティ:仮想現実)・・・コンピューター上に人工的な環境を作り出し、利用者があたかもそこにいるかの様な感覚を体験できる技術。

AR(Augmented Reality : オーグメンテッドリアリティー:拡張現実)・・・現実の上に付加情報を表示させて、現実世界を拡張する技術。

MR(Mixed Reality : ミックスドリアリティー:複合現実)・・・VRが創り出した人工的な仮想世界の上に現実世界の情報を重ね合わせ、現実と仮想を融合させた世界を創る技術。

説明文だけではわかりにくいので、実例をあげてみましょう。

VR・・・現実には見えない星までも、精密に描き出すプラネタリウムアプリ。

AR・・・スマホの画面に映った夜空の上に、星座の形を描き出すアプリ。

MR・・・プラネタリウムアプリが描き出した星空の中に、現実に操縦可能なロケットで乗り出していくアプリ。

3つの「虚構現実」を創り出すのもまた、基本的には、私たち人間の持つ「言分け」能力です。

それゆえ、前回述べた「身分け・言分け構造」の中に位置づけてみると、下図のようになります。




 VRはコト界が創り出した模擬的世界、ARはモノコト界へコト界が介入した付加的世界、MRはVRの創り出した模擬的世界にコト界の創り出した、もう一つのモノコトが算入する融合的世界ということです。

現在のところはまだVRが中心ですが、今後は現実世界を拡張するAR、さらに仮想と現実を組み合わせるMRへと発展し、虚構と現実が多様に絡み合う日常が到来することになるでしょう。

それにつれて、現実と虚構の間が次第に曖昧となり、真実そのものの意味もまた問い直されるかもしれません。 

2017年6月10日土曜日

嘘を作り出す二重の構造!

 言葉を持った時から、人間は嘘の中で生きています。

言葉という人類の道具そのものが、必ずしも真実をとらえるものではないからです。

すでに「
身分け・言分けが6つの世界を作る!」(2015年3月3日)で述べていますが、人間は二重の意味真実から逃げている動物です。

①「身分け」られなかったモノは、初めからなかったことにしている

人間の周りには物理的な世界、すなわち「物界(フィジクス:physics)が広がっています。

そこから人間は本能や感覚器による「身分け」によって「モノ界(環境世界)」を拾い上げ、それを「自然」そのものとしてとらえています。

しかし、とらえられなかった物的世界は「感覚外界(メー・オン:mee on=非在)として排除しています。

例えば、紫外線という光は、魚類、爬虫類、鳥類、昆虫などには感知できる種がいますから、まちがいなく実在していますが、ヒトの目にはまったく見えませんから存在しないのと同じことになります。

犬笛が発する1600~2000ヘルツの音も、犬には聞こえますが、ヒトにはほとんど聞こえませんから、物質的には存在しているものの、人間には存在しないことになります

私たち人間は周りの「自然(ピュシス:physis)」を、物理的世界そのものだと思いがちですが、必ずしもそうではないのです。ヒトという種にとっての「自然」とは、物界そのものなのではなく、あくまでもヒトという種の本能や感覚器を通過したかぎりでのフィジクスにすぎないのです。

②「言分け」られなかったモノはカオスとしている

この「モノ=自然界」から、人間は「言分け」によって「言葉による世界=コト界」を抽出しています。

「コト=シンボル化能力」によって、「モノ界」の中から、葉によって理解される限りでのゲシュタルトをつり上げ、新たに「コト界」を形成しているのです。

この時、「言分け」の網の目によって、モノ界からコト界へくみ上げられたものが「コスモス(cosmos)になり、くみ上げられなかったものが「カオス(chaos)になります。

コスモスとは「言葉による世界=コト界」を意味し、カオスとは「言分け」の網の目がひろい上げられなかった「言語外の世界」を示しています。




このように、私たち人間という動物は、「身分け」能力によって、周りの「物界(フィジクス)」を「モノ界(ピュシス)」と「感覚外界(メー・オン)」に分け、さらに「言分け」能力によって「モノ界(ピュシス)」を「コト界(コスモス)」と「言語外界(カオス)」に分けたうえで、日常の生活世界を作り上げています。

それゆえ、日常の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う「モノコト界」であり、二重の意味で「真実」を保証するものではありません

人間という動物はもともと、真実とはかなり遠いところで生きている存在といえるでしょう。

2017年5月29日月曜日

メッセージが伝える、6つの嘘とは・・・

言葉の示す「」とは何でしょうか。

前回述べたように、文化人類学のMetamessage論によれば、私たちの生きている言語空間は、言葉の示すことを全く疑わないですべて真実とみなす「真実空間」と、言葉の示すことはすべて虚構とみなす「虚構空間」、そして両者の間で言葉とは真偽入り混じったものだと考える「日常空間」の、3つによって成り立っています。

それゆえ、言葉と虚実の関係が実際に問題になるのは日常空間です。

この空間内で言葉が嘘を意味するケースには、幾つかの分類法がありますが、言語学的な視点に立つと、まずは単語が嘘を示すSemantics(意味論)次元と文章が嘘を示すSyntax(統辞論)次元に分かれ、前者は2つに、後者は4つに分かれてきます。


Fake Signifié(偽語意)次元・・・犬や狐や狸などを指さして「猫だ」と、単語そのものが嘘を示すケース。

Assert Signifié(断語意)次元・・・小動物(猫、犬、狐、狸など)を見て「猫だ」と、単語の意味を断定するケース。


Fake Message(偽文意)次元・・・猫を指さして、「これは猫ではない」と、文章の前後で嘘を示すケース。

Reverse Message(逆文意)次元・・・文章で嘘を示すケース・・・目の前に猫がいるのに、「猫がいない」と嘘をいうケース。

Assert Message(断定文意)次元・・・暗闇の中の小動物(猫、犬、狐、狸など)を見て、「猫がいる」と断言するケース。

Fiction Message(虚構文意)次元・・・猫を虐めた子どもたちに、「猫は化けて出る動物だ」と諭すケース。

以上の6つが、Word自身やそれが連なったSentenceが嘘のMessageを示す、代表的なケースですが、勿論、これ以外にもなお幾つかのケースが考えられるでしょう。

生活民がこれらを的確に見破り、さらには積極的に使いこなしていくにはどうすればいいのでしょうか。

2017年5月23日火曜日

「脱・真実」へ対応する!

post-truth(脱・真実)という言葉が流行しています。

この言葉を作ったオックスフォード大学出版局によると「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」を意味しているそうです。

アメリカ合衆国はもとより、ヨーロッパ諸国の政治状況をみると、なるほど!とも頷けます。日本もまた同様なのかもしれません。

背景の一つには、パソメディアの急速な拡大でマスメディアの相対的な凋落という、情報環境の激変が考えられます。

こうした社会的環境の変化に、生活民はどのように対応していったらいいのでしょうか。

メディア上を飛び交っている“言葉”の本質的な機能を改めて理解するところから、再構築していくことが求められます。

これについてはすでに「
前後軸が作るメタ・メッセージの世界」((2015年3月12日)や「差真化とは何か?」(2015年11月5日)で述べていますが、改めて解説しておきましょう。

私たち人間は、自然環境であれ社会環境であれ、周りの生活世界を、言葉やシンボルによって理解しています。生活世界のさまざまな現象は、一つずつ言葉と対応することによって、私たちの頭脳の中に収まっているのです。

だが、言葉とは意外に曖昧なもので、真実を示すとともに、虚偽もまた示すものです。言葉という人間独自のツールには、真実を表すとともに、嘘を表すという、両方の機能があるからです。

こうした言葉の機能を、文化人類学の専門用語では「メタ・メッセージ」と名づけています。一つ一つの言葉がさまざまなモノやイメージを示す「基本的なメッセージ」の次元を超えて、幾つかの言葉がまとまって一定の約束事を示す「超越的なメッセージ」をあらわすことを意味しています。

この立場に立つと、言葉の示すことを全く疑わないですべて真実とみなすメタ・メッセージの場が、儀礼や儀式に代表される「真実空間」であり、逆に言葉の示すことはすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむメタ・メッセージの場が「虚構空間」ということになります。



そして、2つの空間に挟まれて、真偽の入り混じった生活空間こそが、私たちが毎日暮らしている「日常空間」です。

要するに、私たちの生活空間とは、毎日の暮らしの世界、儀式や儀礼などの真実世界、ゲームやドラマなどの虚構世界の、3つで構成されていということです。

それゆえ、私たちの日常生活とは、真実と虚構の狭間で絶えず揺れ動いている、ということになります。

以上のように考えると、言葉が作り出す、さまざまな情報世界への対応がこれまでとはかなり変わってきます。

供給側からのマーケティング戦略では、真実向けを差真化戦略、虚構向けを差戯化戦略と位置付けて、日常的な戦略とは一味違った戦略を採用し始めています。

こうした社会環境の変化に対して、生活民はどのように対応していけばいいのでしょうか。 

2017年5月11日木曜日

SNSにどう向き合うか?

企業側からの差汎化戦略として、近年最も注目すべき事例の一つはSNS(Social Networking Service)の普及・拡大でしょう。

いうまでもなくLINE、 Facebook、Twitter、Instagramなど、internetを利用してユーザー同志が手軽に情報を発信しつつ、交流を深める双方向メディアです。

利用者は年々増加しており、今年中に国内で7500万人を越え、ほぼ2人に1人が利用する、との予測もあります。

年齢構造では、20代が最も高く7割に達していますが、40代で5割、50代で4割、60代で2割と、中高年でも大きく伸びています

利用目的をみると、全体の8割が「知人や友人とのコミュニケーション」、3割が「情報の探索」、2割が「交流の拡大」「体験の報告」、1割が「思考や考え方の主張」などで使っているようです(総務省・通信利用動向調査)。

SNSのメリットは、私たち一人ひとりが、新聞・雑誌やテレビといった既成のマスメディアを通さなくても、独自の情報を自ら発信できるようになったことです。

マスコミやミニコミとは一味違うパソコミ(Personal communication)の出現ともいえるでしょう。情報の社会的交流という生活分野では、今までほとんど受信一辺倒であった生活環境が大きく変わって、自ら発信する行動が急速に拡大しているのです。

そこで、無名の一市民もまた「保育園落ちた日本死ね!!!」とか「#東北でよかった」などと書き込んで、ネット上で〝炎上〟を引き起こし、社会的な関心を集めることに成功しています。

デメリットとしては、マスメディアのように送り手側の内容チェックが入りませんから、「某有名人が死んだ」とか「某国のミサイルが発射された」など、とんでもない虚偽情報やデマが大量に飛び交ようになったことでしょう。

これにつれて、客観的な事実に目をつむり、感情的な主張のみが罷り通る政治状況、いわゆる「Populism」も広がって、「post-truth(脱・真実)などという懸念も高まっています。

供給側の差し出した、こうした差汎化状況に、一人ひとりの生活民は一体どのように対応していけばよいのでしょうか。




一つは情報環境へ
の差延化行動として、「私仕様」「参加」「編集」「変換」「手作り」という5つの基本行動を積極的に展開し、情報市場の生活素場化を進めていくことです。

もう一つは情報発信の基本である言語行動の多様性、つまり「言葉」というツールの持つ、真実と虚構という二重性を徹底的に理解したうえで利用していくことです。

次回からは供給側の差し出す差真化戦略差戯化戦略に向けて、生活民自身の対応行動を考えていきましょう。

2017年4月27日木曜日

市場を“素場”に変えよう!

生活民が差汎化対応を積極的に行えば、既成の消費市場を自助のための「生活素場」に変えていくことができます。

生活民の差延化行動が増加するにつれて、供給側でもこれに対応するような経営行動が高まってくるからです。

例えば「手作り」行動の拡大は、DIY(Do it yourself)産業100円素材産業などを生み出し、「編集」行動の進行は総菜バイキングマイブレンド酒などを、すでに出現させています。

さらに才知に富んだ「変換行動」に刺激されて、供給側でも意外な新商品を生み出しています。



洗顔クロス・・・東レ㈱が1987年から発売しているメガネ拭き用「トレシー」は、洗顔時に使うと「毛穴の汚れを取るのに効果的」という口コミが20~30代の女性の間で広まって、売り上げを4倍に伸ばしました。これに対応しようと、同社では2004年に、洗顔専用の「トレシー洗顔クロス」やボディ専用の「トレシーなめらかボディタオル」を発売しています。

手芸用マスキングテープ・・テープ状ハエ取り紙からスタートし、包装用テープや工業用マスキングテープなどの粘着テープを主力製品とするカモ井加工紙㈱は、手芸好きの女性たちの間で広がった、マスキングテープの応用事例に感銘を受けて、2008年に色鉛筆のような20色のテープ「mt」を開発し、文具店や雑貨店で発売しています。

食べるラー油・・・激辛香辛料のメーカーである㈱桃屋は、リーマンショック後の内食志向が強まる中で、単身者や共働き世帯などでは「のっけ飯」や「卵かけごはん」など、簡単ご飯への需要が浮上し、激辛のラー油を利用する動きを捉えて、2009年、激辛香辛料の1つを「食べる調味料」や「食べる料理」へと用途を転換させ、「辛そうで辛くない少し辛いラー油」を発売しました。

以上のように生活民の差汎化対応が拡大すれば、企業側の差延化対応も広がりますから、消費市場は生活素場に変わっていきます。

それこそが、生活民マーケティングとって、究極の目的の一つなのです。

2017年4月16日日曜日

「共効」を素材として「私効」に変えられるか?

生活民の差汎化対応で、2つめに求められる行動は、「共効」を素材として差延化し、「私効」に変えることです。

企業側の差し出す新商品には、常に機能、記号、体感、遊戯、真摯などで、新しいネウチ(共効)が付加されています。

しかし、生活民自身にとっては、それらが自らの生活に本当にネウチ(私効)があるか否か、必ずしも決まっているわけではありません。

とすれば、さまざまな新共効を私効に変えられるか否か、を冷静に見分けたうえで、可能性があるとすれば、その部分を自ら変換して「私効」化することが必要です。

先に述べた「差延化」という行動を、生活民の側から積極的に実施していくということです。


具体的に言えば、私仕様、参加、編集、変換、手作りなどの差延化行動を、新たな共効に対して、次のように実施していくのです。


①「私仕様」・・・供給側の差し出した新オーダーシステムを利用して、どこまで自分自身の求める「私効」が達成できるか、を見極める。

②「参加」・・・供給側の提供する新商品を、7~8割程度の素材をみなして、どこまで自分自身の求める「私効」が達成できるか、を考える。 

③「編集」・・・供給側の差し出す、新しい商品を素材や部品とみなして、自らの“自主編集権”がどこまで満足できるか否かを判断する。

④「変換」・・・供給側の差し出す、新たなネウチ(共効)をあくまでも一つの素材とみなして、どこまで自らの「私効」に変えられるか、を検討する。

⑤「手作り」・・・供給側が新たに素材として提供するネウチ(共効)を利用しつつ、自らの頭と手を使って、どこまで自分のめざす「私効」を作り上げられるのか、を改めて考える。

以上のように、生活民の差汎化対応では、新たに提供されたネウチを冷静に取捨選択したうえで、自らの生活に取り入れていくという、高度な知恵が求められます。 

2017年4月3日月曜日

新商品の“共効”をしなやかにチェックする!

生活民の差汎化対応で、最初に求められる行動は、「企業の提案する新“共効”を、そのまま受け入れず、個効、私効としてチェックする」ことです。

新共効には、新機能、新記号、新体感、新遊戯、新真摯などがありますが、これらが生活民にとって、本当にネウチのあるものかどうか、を慎重に検討することが必要です。

企業側では、技術革新の成果やマーケティングリサーチの結果などに基づいて、新たに開発した新商品を開発し、次々に消費市場へ投入してきます。

だが、それらはあくまでも供給側からのネウチ提案にすぎませんから、個々の生活民にとっては、そのまま受け入れるべき個効、あるいは自ら利用できる私効ではありません

それゆえ、生活民には新商品の差し出す新たなネウチ、つまり新共効が果たして自らの個効や私効へ転換できるか否か、厳しく検討することが求められます。




新機能については、既存機能との違いを細かくチェックし、自らの生活構築にどこまで役立つかを見定めなければなりません。

新記号については、自らの差異的ネウチ観と見合っているか否か、を冷静に検討することが必要です。

新体感については、既存の体感に新たな体験を付け加えることが本当に必要なのかどうか、を見分けることが重要です。

新遊戯新真摯などでは、生活民が本当に求めているものであるか、を改めて検討しなければなりません。

生活民のしなやかなネブミ行動によって、新商品が生活素場に根付くか否か、それが初めて決まってくるのです。

2017年3月24日金曜日

差汎化対応の3つの行動

企業側のマーケティング戦略でいえば、新たなネウチ(共効)を持った新商品を、消費市場に向けて積極的に提案していくこと、それが「差汎化」戦略です、

新たなネウチ(共効)としては、新機能、新記号、新体感、新遊戯、新真摯、さらにはこれらをさまざまに組み合わせたネウチを持った新商品や新サービスが代表的です。

(下図では
社会界の9院をベースにして、代表的な5共効をあげています。)


昨今の消費不況の中で、供給者である企業側は、新しいなネウチ(共効)を持った用具(道具)や報具(情報具)などの開発に熱心であり、さまざまな新商品が毎日のように発売されています。

とりわけ新機能商品については、近年、AIやロボットなどの新情報技術を応用して開発された電子機器や乗用車など、続々と新機能商品が売り出されています。

このように続々と提案される新共効に対して、生活民はどのように対応していけばいいのでしょうか。

基本的な行動は次の3つだと思います。



 ①企業の提案する共効をそのまま受け入れず、個効、私効としてチェックする。
 ②共効を素材として差延化して、私効化する。
 ③差延化で生み出した私効を企業側へ提案し、共効化していく。


3つの対応行動によって、消費市場を「消費財購入」から「生活素材調達」の場へと転換させていくこと、これこそが生活民としての差汎化対応だと思います。

2017年3月14日火曜日

差汎化戦略に対応する!

生活民マーケティングの立場から、差延化戦略に続いて、その対極にある差汎化戦略への対応策を考えてみましょう。

差汎化戦略とは何なのか、企業側からのそれについては、すでに「
差汎化とは何か? 」(2015年9月18日)で述べましたように、社会、価値、同調などを求める世欲に応えて、社会的なネウチ(価値=共効)や共同体的な需要を創りだす手法です。

経済学では、いわゆる「ネウチ(有用性)を「効用」という言葉で表していますが、生活民マーケティングでは、この「効用」を次の
3つの次元に分けて考えていきます。

 共効・・・社会集団が共通して認める有用性=共通効用
 個効・・・個人が共効に基づいて認める有用性=個別効用
 私効・・・私人が純私的に認める有用性=私的効用

このように分けると、
すでに述べたように、市場社会で行われている、さまざまな需給行為には、次のような矛盾が指摘できます。

①供給者である企業は、市場の存在を前提にして、商品のネウチを作り出し、かつ供給しています。このネウチとは、市場を支える多くの需要者が共通して求める「個効」を集約したものですから、まさに「共効」です。つまり、商品のネウチとは、多くの需要者が共通して商品に求める有用性、いわば有用性の“最大共通素”とでもいうべきものです。

②通常、需要者である個人は、それらの「共効」に従って商品を購入し、そのとおりに使用して、個人的な効用である「個効」を実現しています。

③しかし、個性や独創を重んじる生活民の場合は、純私的、主観的な「私効」を目的にしますから、既存の商品を購入した場合でも、それに手を加えたり、別の有用性に変換するなど、自分なりの手法で使用して「私効」を満足させています(差延化対応)。この場合、一つの商品の有用性は、市場での最大共通素を前提にしながらも、その中から個人的、主観的に選ばれる有用性、いわば“最小共通素”となります。

このようなズレがあるため、一つの商品の持つ「共効」と「私効」の間には微妙なズレが生まれてきます。

企業の側では、できるだけ多くの顧客の求めに共通する「個効」を抽出して、商品の「共効」を作り出そうとします。これに対し、個性的な生活民の側ではできるだけ自分だけの有用性を求めて、商品の「私効」を購入しようとします。

両者は当然重なっていますが、最大共通素と最小共通素がぴったり一致するのはごく稀なことです。そこで、企業は少数需要者の「私効」の一部を切り捨てることで大量生産を可能にし、また生活民は自分なりの「私効」をある程度犠牲にすることでその生活行動を実現していきます。

企業の側に立てば、この落差を埋めることが差汎化戦略であり、次のような方向が求められています。

第1に、生活民自身が試みる用途転用や用途変換に常に注意を払って、既存商品のネウチを再点検することが必要です。

第2に、社会変化や生活変動に対応して、既存商品のネウチを一旦解体し、そのうえで変化に見合うように再構築していくことが必要です。

第3にはより積極的に、今後の日本が向う人口減少社会の望ましいと思う方向を、商品やサービスの新たなネウチとして提案していくことです。

供給者の行うこのような差汎化戦略に対して、生活民一人ひとりはどのように対応していけばいいのでしょうか。

2017年3月6日月曜日

「USマーケティング」、改め「生活民(SH)マーケティング」

2016年8月18日に、このブログで「USマーケティング」を宣言して以来、フォロワーや友人の皆様から、さまざまなご意見やご批判をいただきました。とりわけUS」という名称には反対が多かったように思います。

なるほど、と感じていましたが、ここに来て、やはり修正すべきだ、と思うようになりました。その理由は次の通りです。

①「US」という名称はUser Sideを略したものですが、これがUnited States を想起させるのでは、とのご批判がありました。それでもいいのでは、と思っていましたが、ここにきて、United States of America の混迷ぶりを見ると、US という言葉のイメージは、確かにダウンしているように思えてきました。

②Userを強調する言葉でしたが、このUserとは消費市場を前提にした、単なる需要者(consumer あるいは customer)をいうのではなく、むしろ市場そのものを超えた生活主体を表しています。そうであれば、本来の趣旨を活かして、「生活民」をもっと強調すべきだと思うようになりました。

……ということで、「USマーケティング」を改め、新たに「生活民マーケティング」に変えたいと思います。


 
英訳では、とりあえず「Self-helper Marketing」とでも名付けます。

もともと「生活者」という言葉自体も英訳が困難で、「consumer」とか「prosumer」などと訳されてきました。


しかし、「生活民」の意味するところは「自給自立人」ですから、直訳すれば「Self-helper」ということになります。

そこで、「生活民マーケティング」は「Self-helper Marketing」、略称「SH Marketing」ということにしたいと思います。