第2の視点、つまり「日常界で使われている日常言語(交信言語)は、言葉の示すことはすべて真実とみなす真実言語(儀礼言語)と、言葉の示すことはすべて虚構とみなす虚構言語(遊戯言語)に挟まれた言葉である」という立場から見ると、フェイクニュースや脱・真実の拡大という社会情勢に向けて、供給側が対応していくには、次のような姿勢が求められるでしょう。
①真実言語(儀礼言語)の世界(真実-儀礼界)で使われている言葉は、すべてが真実を表象していますから、供給側もまた絶対にこのルールを破ってはいけません。
②虚構言語(遊戯言語)の世界(虚構-遊戯界)で使われている言葉は、すべてが虚構を前提としていますから、供給側は思う存分にフェイクを発信することができます。
③日常言語(交信言語)の世界(虚実-交信界)で使われている言葉は、まさに虚実の入り混じったものであり、供給側もまた真偽いずれでも選ぶことができます。
このように虚実軸からみると、生活民自身がそれぞれの生活空間の中で虚実の混在を楽しんでいる以上、供給側にもまたそれに応じて、虚実それぞれの情報を提供していくことが許されます。
しかし、注意すべきは、マスメディアやマーケティングなどの供給側が、ともすれば真実言語(儀礼言語)の世界にまで踏み込んで、同時代に使用されている言語の真偽基準をしばしば乱していることです。
供給側が、意味する言葉と意味される対象の間に敢えて介入する場合には、とりわけ慎重な対応が求められるでしょう。
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