江戸時代に蘭語や英語から翻訳されて普及したと思われる「價値」という言葉は、幕末から明治時代初期になると、また「價直」へ戻っています。
幕末の文久2年(1862年)、幕府の通辞・堀達之助が編纂した、日本初の本格的な刊本英和辞典『英和対訳袖珍辞書』では、「value」を「價直(かち)」と訳して、「價値」から「價直」へ戻しています。
この時代、「直」という漢字は「値」と同義語と見なされ、「ちょく」ではなく「ち」と読まれており、その意味するところも、翻訳語として「有用性+相当性」を示していた、と思われます。
明治維新後の明治2年(1870年)、明治政府の官僚・若山儀一と箕作麟祥が、アメリカの経済学者A.L.ペリーの” Elements of Political Economy”を共訳した『官版経済原論』でも、「value」は「價直」と訳されており、維新後も「價直」が使われていたようです。
ところが、明治6年(1873年)に出版された、『経済新説』や『経済入門』になると、再び「價値」が復活しています。
『経済新説』は社会学者で翻訳家の室田充美がフランスの経済学者J.B.Say派の著作を、また『経済入門』は司法省翻訳官の林正明がイギリスのM.G.フォーセット夫人の政治経済学入門書"Political Economy for Beginners"をそれぞれ訳したものです。
これが定着したのか、明治15年(1882年)に通訳の柴田昌吉と子安峻が編纂した、わが国最初の活字印刷による英和辞書『英和字彙・増補訂正改訂二版』でも、「value」を「價格、價値、位價、貴重、緊要、算数、同数」と訳しています。
この訳語の意味では、貴重・緊要=「有用性」と、価格・同数=「相当性」が完全に混合されています。
そして、2年後の明治17年(1884年)に大蔵省翻訳局の石川暎作と瑳峨正作が訳した、イギリスの経済学者A.スミス『富国論』(”An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations”,1776年)では、「value」は「價値」と訳されて、経済学でも「價値」という表現が定着したようです。
以上のような経緯を振り返ると、大和言葉では「ねうち(有用性)」と「あたひ(相当性)」に分かれていた、「ありがたみ」を示す言葉は、翻訳語の「價値」という言葉の受容によって、「有用性+相当性」の二義性を持ったまま、明治初期から現代日本語の中へ定着したものと思われます。
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