大和言葉では「ねうち(有用性)」と「あたひ(相当性)」に分かれていた「ありがたみ」という観念は、仏教や西欧思想の流入によって「價値(価値)」という翻訳語に吸収され、「有用性+相当性」の二義性を持ったまま、現代日本語の中へ定着しています。
それでは、西欧においても、両者は混合して使われていたのでしょうか。
西欧思想の一つの源、古代ギリシア哲学を振り返ってみると、必ずしも混合されているわけではなく、大和言葉と同じように分けられていました。
例えばアリストテレス(B.C.384年~B.C.322年)は、『ニコマコス倫理学』の中で、「財貨(χρήματα:クレーマタ)とはおよそその価値(Αξία:アクシア)が貨幣によって測られるものの謂いである」という表現を使いながらも、『政治学』(第1巻第9章)では、「財産の獲得術」の前提として、次のように述べています。
「物には各々二通りの用途がある。二通りの用途とは、いずれも物をそれだけで使う場合でも、その使い方が違っており、一つの用途はそのもの本来の用途で使うこと、もう一つはそうではない使い方をすることだ。例えば、靴は足に履くために使うが、別の物との交換に使うこともある。つまり靴には二通りの用途があるのだ。」
二つの用途について、『ニコマコス倫理学』の中では、「有用(χρήσιμος:クリシモス)」と「均等(ίσος:イソス)」という言葉を与え、次のように説明しています。
「有用」とは「それによって何らかの善または快楽が生ずるところのもの」であり、「均等とは「(二人の取引者が)交換を行なったあげくにこれを比例に導くもの」である、と。
こうしてみると、古代ギリシアでも、様々な事物の「ありがたみ」については、「有用性」と「均等性」の2つの形があることが明確に理解されていた、と思われます。
その区別は、時代が下る中で、どのように変わっていったのでしょうか。
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