2022年6月29日水曜日

「考える」で言語3階層説を考える!

言語3階層説を、具体的な「言葉」を素材に考察しています。

前回までの五感言葉、識知言葉、理知言葉に続いて、今回は「考える」という観念言葉をとりあげます。

「考える」という行為は、言分け次元の理知的行為のように思われますが、そこに至るまでには他の行為と同様、身分け次元からの積み上げがあるようです。

まず身分け次元では、言葉にならない感情として、何事かを言葉にしたい欲動が無意識として浮上してきます。

これが識分け次元に捉えられると、言分け次元との接点において、日本語では「つらつら」「よくよく」「あれこれ」「つくづく」など、英語では「deeply」「carefully」「closely」「attentively」などの「深層・象徴言語」に音声化されます。

さらに言分け次元そのものになると、日本語では「思う」「想う」などから始まり、「考える」「勘える」「案じる」「慮る」などの音声言葉へと広がっていきます。英語では「think」「consider」「conceive」「cogitate」「guess」などでしょう。いずれも平易な「日常・交信言語」として使用されるようになります。

(この件については、【思考・観念言語は地縁共同体から”理”縁共同体へ!】で、別の視点から考察しています。)

これらが言分けの高次元になるにつれて、日本語では「思考」「思索」「思惟」「思案」「考慮」「考察」など、英語では「thinking」「thought」「consideration」「cerebration」「idea」「intellection」など、理念的・専門的な「思考・観念言語」に変わっていきます。

以上の変化を日本語の歴史として振り返ってみると、次のような用例が挙げられます。

●和歌

春来ぬと 人は言へとも 鶯の 鳴かぬ限りは 嵐とそ思ふ・・・壬生忠岑:古今集・巻一 

世の中は いかに苦し と思ふらむ ここらの人に 恨みらるれは・・・在原元方:古今集・巻・巻十九

唐衣 かけてたのまぬ 時そなき 人のつまとは 思ふものから・・・右近:後撰集・巻十一

●小説・随筆

私は母の愛というものに就いて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと云っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」

衆人の攻撃も慮るところにあらず、美は簡単なりという古来の標準も・・・ 正岡子規「俳人蕪村」

「嚊の事なんぞを案じるよりゃ、お前こそ体に気をつけるが好い。何だかこの頃はいつ来て見ても、ふさいでばかりいるじゃないか?」・・・ 芥川竜之介「奇怪な再会」

親父が帰って来て案じるといけませんから、あまり遠くへは出られませぬ。・・・ 川上眉山 「書記官」

●哲学・思想書

数学の公理や論理はきわめて簡単明瞭であり、使用される概念も明確に制定されているに反して、言語による思考の場合では、これらのすべてのものが複雑に多義的であるから、一見同様な前提から多種多様な結論が生まれ出るように見える。・・・ 寺田寅彦「数学と語学」

科学というものの本来の目的が知識の系統化あるいは思考の節約にあるとすれば、まずこれらのスケッチを集めこれを基として大きな製作をまとめ渾然たる系統を立てるのが理想であろう。・・・ 寺田寅彦「科学者と芸術家」

利己主義には深い根拠があり合理的に、正直に思索するときには誰しも一応は利己主義に帰著するくらいのものである。・・・ 倉田百三 「学生と教養」

利己主義には深い根拠があり合理的に、正直に思索するときには誰しも一応は利己主義に帰著するくらいのものである。・・・ 倉田百三 「学生と教養」

元来芸術的と考えられるフランス人は感覚的なものによって思索するということができる。・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」

美しい手で確乎と椅子の腕を握り、じっとして思索に耽っている時のまじめな眠りを催すような静寂。・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」

非論理的論理というのは、今の人間のまだ発見し意識し分析し記述し命名しないところの、人間の思惟の方則を意味する。・・・寺田寅彦(「科学と文学」

言葉をなくすれば思惟がなくなると同時にあらゆる文学は消滅する。・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」

歴史に対する彼の不信も、歴史が伝来物によらねばならぬ限り、彼の眼に向っ語らず、彼の思惟に訴へねばならぬためであつた。・・・三木清「ゲーテに於ける自然と歴史」

論理的に出立するということを、主観的と考えるのも、自己というものを主語的に考えて、思惟をその作用と考える故である。・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」 

このように見てくると、「考える」という行為は、身分け次元の意識化衝動に始まり、言分け次元の「つらつら」「よくよく」などの深層・象徴言語から、「思う」「考える」などの会話・交信言語に定着したうえで、「思考」「考察」などの思考・観念言語へ進展してきた、と推測されます。

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