2018年9月29日土曜日

「限界効用」の限界!

3つの効用を、新古典派経済学の「効用」観と比較してみると、「共効」は一定の社会集団が共通に認めた有用性ですから「全部効用」に、また「個効」は個人が共効に基づいて認め、かつ実際に感じる有用性ですから、概ね「限界効用」に、それぞれ相当するでしょう。

しかし、「私効」は個人が社会的な「共効」とはまったく別個に、純私的かつ独創的に認める有用性ですから、新たに「生成効用」、あるいは「独創効用」とでも名づけるべきものです。

とすれば、同じ個人的な「効用」ではあっても、「個効(限界効用)」と「私効(生成効用)」の間には大きな差異が生まれてきます。

この件については、すでに【
限界効用理論を超えて!】( 2015年10月22日)の中で論じていますが、改めて整理しておきましょう。

個効」は新古典派経済学の「限界効用」にほぼ相当していますから、「全部効用(共効)」という有用性に従いつつ、利用の数が増えることによって個々のモノの有用性が次第に減少していく、という特性を持っています。

それゆえ、効用の量的、時間的な変化においては「全部効用」との差を強調していますが、中味の差、つまり質的な差異についてはまったく配慮していません。

一方、「私効」の方は、個々のモノの中に、使用者が共効とはまったく別の有用性を見つけ出し、自ら生成しつつ愛着を増していくという、能動的な特性を持っています。

これは「全部効用」や「限界効用」とは異なる、質的な差異を意味していますから、必ずしも時間的な逓減傾向を示すものではなく私人の評価や気分によって増えたり減ったりするものです。

その意味で「私効」は「限界効用」という共同主観を超えて、個人主観的な「生成効用」の次元を表出することになります。

いいかえれば、共同主観的な経済学の「効用」観を超えて、新たに個人主観的な生活学の「効用」観を提起しているともいえるでしょう。


大和言葉でいえば、「とも(共)きき(効)」「おの(己)きき」を超えて、「われ(我)きき」が生まれるということです。

もしさまざまな供給者が、このような「私効(生成効用)」を生活民に提供しようとするのであれば、従来の「限界効用(個効)」を前提にした経済学やマーケティングの諸理論を大きく超えて、まったく新たな展開が期待できるでしょう

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