2015年4月1日水曜日

「生活体」から「生活球」へ

私たちの生活の構造は「生活体」という立法体でとらえることができますが、少し視点を変えると、「生活球」という球体でとらえることも可能です。


生活体マンダラの27界は、3つの軸の性格によって特定の要素が強まることを示しており、下図のような、小さな球の集まりとみなすこともできるからです。





 
私たちの生活の全体を、大きな球体である「生活球」と名づけると、真ん中の“核”の部分は、言語・感覚軸、社会・個人軸、真実・虚構軸のそれぞれの中間ですから、認知・間人・日常の要素の強い、日々の生活空間であり、「平常球」と名づけることができます。

つまり、この平常球では、垂直的には言語と感覚、意識と無意識の間、水平的には前後で外向と内向、社会と個人の間、また左右では真実と虚構、儀礼と遊戯の間の、それぞれのバランスを巧みにとりながら、具体的あるいは現実的な行動が行われています。

次に平常球の上側には、言語、意識、欲望、理性、観念、記号、物語などが生まれてくる「言語球」が、また下側には、感覚、無意識、欲動、感度、体感、象徴、神話などが生まれてくる「感覚球」が、それぞれ位置づけられます。

さらに日常球の前側には、社会、言語、文化、伝統、歴史、慣習、規範、法律、価値、同調などと交流する「社会球」と、また後ろ側には個人、自省、内省、日記、効能、愛着などと交わる「個人球」が、おのおの配置されています。

そして平常球界の右側には、真実、儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などが通用している「儀礼球」を、左側には虚構、遊戯、弛緩、怠惰、遊興、放蕩、浪費、蕩尽などが行き交っている「遊戯球」を、それぞれ位置づけることができます。

要約すると、私たちの生活世界、つまり生活球は、真ん中の平常球を中心にして、言語球、感覚界、社会球、個人球、儀礼球、遊戯球の、七つの小球で構成されている、と考えることができます。

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