2015年2月23日月曜日

「生活体」を提唱する!

大熊信行の提唱した「生活者」は「営利主義の対象から脱却し、自己生産を基本にする」というものですが、その生活願望を「必要」次元に限るという点で、やはり経済学の次元に留まっています

一方、今和次郎の提唱した「生活人」は「労働から娯楽や教養までを包括する、より全体的な人間像」を意味していますが、農村に残る冠婚葬祭や都市生活が取り入れる流行などを厳しく排除している点で、やや狭隘な視点にとらわれています

現実の生活者とは、決してこのようなものではありません。私たちの生活実態とは、生活願望の「必要・不必要」という次元を超えて、遊びや虚栄を求めるとともに、儀礼や風習から俗信や迷信まで、さらにはファッションやトレンドもまたまた追い求めるものです。そうした視点に立たない限り、「生活者」の生の全体像を的確にとらえることはまず不可能といえるでしょう。


そこで、筆者はよりトータルな生活者像として、新たに「生活体」を提案します。大熊の「生活者」像も、今の「生活人」像もともに含みつつ、さらに外側に広がる、幾つかの生活領域にまで幅を広げた、新しい概念です

「生活体」という言葉は、①生活の主体であるという意味と、②私たちの生活の構造は立方体である、という意味の、2つを重ねたものです。

「新・生活者」とよぶべきかもしれませんが、大熊の定義と区別するために、敢えてこのような名称を提起してみました。

 この「生活体」とはいかなるものか、人文・社会科学の、豊富な業績を応用しつつ、改めて説明していきましょう。

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