2015年10月22日木曜日

限界効用理論を超えて!

前回紹介した、3つの効用を、近代経済学の「効用」観と比較してみましょう。

●共効:一定の社会集団が共通に認めた有用性ですから「全部効用」に該当します。

●個効:個人が共効に基づいて認め、かつ実際に感じる有用性ですから、概ね「限界効用」に相当します。

●私効:私人が社会的な「共効」とはまったく別に、純私的かつ独創的に認める有用性であり、「限界効用」とは別の次元において、新たに「愛着効用」もしくは「執着効用」とでも名づけるべきものです。

「限界効用」は「全部効用(共効)」という有用性に従いつつ、利用の数が増えるごとに、個々のモノの有用性が次第に減少していくという効用です。効用の量的な変化においては「全部効用」との差を強調していますが、中味の差、つまり質的な差異についてはまったく配慮していません

これに対し、「愛着効用」は個々のモノに対して、使用者が共効とはまったく別の有用性を見出し、自ら愛着を増していくという効用ですから、「全部効用」や「限界効用」とは異なる、質的な差異です。それゆえ、必ずしも逓減傾向を示すものではなく、私人の評価や気分によって増えたり減ったりすることもあります。

もし供給側が、このような「愛着効用(私効)」を需要側に提供しようとするのであれば、従来の「全部効用」や「限界効用」を前提にした経済学やマーケティング理論を大きく超えて、まったく新たな展開が期待できるでしょう



2015年10月20日火曜日

効用の3つの形・・・マーケティング戦略も3つに分かれる!

言語学を応用すると、経済学でいう「効用」は、先に述べたように、さらに3つのネウチに分けられます。

「効用」とは、人間がモノそのものの中に有用性を認めることですが、人間の生きている生活体には、横軸として
3つの世界
社会界、間人界、私人界)があり、それぞれの世界別に、人間がモノに感じる有用性も微妙に異なってきます。

このため、「効用」という概念も、3つに分かれてきます。

共効(social utility)・・・社会界において、ラング=社会集団が共同主観として認めた有用性であり、「共同効用」、略して「共効」とよぶことができます。

個効(individual utility)・・・間人界において、人間がパロール1=個人使用を行う時に、1人の個人として、社会的効用を受け入れた「有用性1」であり、「個人効用」、略して「個効」とよぶことができます。

私効(private utility)・・・私人界において、人間がパロール2=私的使用を行う時、私人が独自に創り出した私的な「有用性2」であり、「私的効用」、略して「私効」とよぶことができます。

以上のように、「効用」という概念は、「共効」「個効」「私効」の3つに分割できます。

具体的な事例は、次のとおりです。
3つの形に対して、マーケティング戦略も、差汎化差別化差延化とそれぞれ対応が異なってきます。


2015年10月5日月曜日

価値と効用・・・言語学で説明する!

「価値」と「効用」の関係は、言語学を応用すると、もっと明確に説明できます。

例えば現代言語学の権威、F.ド.ソシュールは、言葉の「価値」について、言葉の「意義」と対比させることで、新たな解釈を与えています(『一般言語学講義』)。

ソシュールによると、1つの言葉(シーニュ=signe)とは、音声や表音文字などの「聴覚映像」であるシニフィアン(signifiant=意味するもの)と、「イメージ」や「概念」であるシニフィエ(signifie=意味されるもの)とが、一体的に結びついたものです。

この時、ある音声が特定のイメージと結びついて表示するものが言葉の「語義(signification)であり、他の言葉との相対的、対立的な関係から決定される立場が言葉の「価値(Value)となります。

例えば、「inu」という音声が「四足の小動物・犬」のイメージと結びついて示すものが言葉の「語義」であり、「 inu/四足の小動物・犬」という言葉と「neko/四足の小動物・猫」という言葉が、それぞれ別種の小動物を示すのが言葉の「価値」である、ということです。

要するに、言葉の「語義」とは、シニフィアンとシニフィエが一対一の「垂直の矢」で結びついている関係、言葉の「価値」とは、一つの言葉が他の言葉と比較・対立する「水平の矢」としての関係、ということです。

こうした「語義」と「価値」の関係は、モノの「効用」と「価値」の関係にも拡大できます。「効用」とは「人間の役に立つかどうか」という「意義」の一つだ、と考えると、「語義=効用」とみなせるからです。

さまざまなモノは、人間の役に立つかどうかで有用無用と判断されていますが、特定の「有用」性が「語義」となってモノに結びつくと、それがモノの「効用」になります。


パンというモノの「食用になる」という有用性がパンの効用であり、毛糸というモノの「温かさ」という有用性が毛糸の効用です。

これらのケースでも、「役立つ」というモノの特性の上に「有用」性という意義が覆いかぶさるように一体化していますから「効用」とはまさに「垂直の矢」ということができます。

他方、モノの「価値」(「有用性」の上下)は、そのモノだけで決まるのではなく、「無用」というコトや、他のモノの「有用性」との“比較”や“対比”によってはじめて定まります。


パンは石よりも「食用になる」度合いが高いから「価値」があり、毛糸は木の皮より「温かい」比率が高いから「価値」があるのです。

いずれも有用と無用という「水平の矢」で比較されたうえで、「無用ではないもの」や「より有用なもの」が「価値」となります。

とすれば、「効用」とは一つのモノの意義がそのモノの有用性と一体化している状態、「価値」とは一つのモノの意義が他のモノの有用性と比較して決まる状態、ということができます。


いいかえれば、モノの「効用」とは、モノの特性と有用性が「垂直の矢」で結びついた関係であり、モノの「価値」とは、他のモノの有用性と比較・対立する「水平の矢」としての関係である、ということです。

このように、言語学の見解を取り入れると、「価値」と「効用」の違いが明確になり、それぞれの定義がより鮮明になります。


両者はともに共同体的な尊重性ですが、「効用」がモノの有用性と一体化した尊重性であるのに対し、「価値」は他の有用性と比較、対立して定まる尊重性ということです。

とすれば、差汎化とは、以上のような意味での「効用」や「価値」を創りだしていく戦略ということができます。

現代日本に適用すれば、従来の「効用」や「価値」と比較・対立できるような、新たな尊重性を創りだすことでしょう

従来の社会が是認してきた共同体的な尊重性とは、国際的には食料・資源制約や地球環境悪化には目を瞑りつつ、国内的には人口増加、経済成長、生活向上などをひたすら是認する「成長・拡大型社会」像です。

これを相対化するには、国際的には食料・資源制約や環境問題などへ積極的に対応しつつ、国内的には少産・長寿化や家族縮小化など、いわば必然的に進んでいる「人口減少社会」へ柔軟に対応する「成熟・濃縮型社会」像でしょう。

これからの差汎化戦略の基本は多分、「成熟・濃縮型というキーワードに集約されていくことになるでしょう。

2015年10月1日木曜日

価値と効用・・・どこが違うのか?

「差汎化」戦略は、社会⇔個人軸の社会界から生まれる諸需要に応えて、「価値」や「効用」などを創りだす手法です。

このうち「価値」という言葉は、毎日の生活から哲学的な思索にいたるまで、さまざまな形で使われています。しかし、その意味は必ずしも定まっているわけではありません。最も頻繁に使用している経済学でも、立場によって諸説があります。




古典派経済学・・・A.スミスは、その著『諸国民の富』の中で、モノの「価値(Value)」には2つの意味があり、1つは「ある特定の対象の効用(Utility)=「使用価値(Value in Use」、もう1つは「他の財貨に対する購買力(Power of Purchasing Other Goods)=「交換価値(Value in Exchange)である、と述べています。

両者の差を示す実例として、使用価値はあるが交換価値がほとんどないモノが「」であり、使用価値はほとんどないが交換価値は極めて高いモノが「ダイヤモンド」である、と指摘しています。

近代経済学=限界効用学派・・・この派を代表する一人、W.ジェヴォンズは、その著『経済学の理論』において、「価値」という言葉には、①使用価値=全部効用、②尊重=最終効用度、③購買力=交換比率といった概念が混在しているから、使用価値については「効用」とよぶべきだ、と主張しています。「効用」とは「人間の要求に対するその関係から起る物の状況」というのです。

◆マルクス主義経済学・・・創始者のK.マルクスは代表作『資本論』の中で、「使用価値」とは「人間の欲望をみたすもの」であるが、それはあくまで「価値」の〝素材〟にすぎず、他の物との交換可能性を生じて「交換価値」となった時に、初めて本物の「価値」になる、と主張しています。そして、この「価値」は人間の労働力の凝固したものであるから、その量は労働の量や質によって生み出される、と考えています。

このように経済学でも、さまざまな立場によって定義は異なっていますが、共通しているのは「モノの持つ特性が人間に提供する利点=使用価値」と「モノが他のモノとの交換力で人間に提供する利点=交換価値」を区別していることです。

経済学の立場に立てば、前者が「効用」であり、後者が「価値」ということになります。

つまり、古典派経済学は、前者と後者をあげたうえで両者の違い指摘し、近代経済学は前者に力点をおいて、またマルクス主義経済学は後者に中心にして、それぞれの理論を展開しているといえるでしょう。

これまでの経済学では「価値」と「効用」を以上のような視点でとらえています。しかし、この区分は哲学や言語学から見ると、未だ狭い分野に留まっているように思えます。どこがそうなのか、改めて考えてみましょう。

2015年9月18日金曜日

差汎化とは何か?

差別化を原点に、差異化、差延化、差元化と解説してきましたので、次は「差汎化」を取り上げます。

差汎化」戦略とは、
社会⇔個人軸の社会界、つまり社会、価値、同調などを求める世欲に応えて、社会的なネウチや共同体的な需要を創りだす手法です。

これとは対照的な戦略が、すでに述べた「差延化」であり、社会⇔個人軸の個人界、つまり個人、私効、愛着などを求める私欲に応えて、私的なネウチや純個人的な需要を創りだす手法でした。

経済学では、一般にモノの有用性を「価値」と「効用」にわけて考えています(詳しくは後述します)。

価値」とは、一定の社会集団の憤用や同意によって、一つのモノの「有用性」がさまざまなモノとの比較の中で評価される尺度です。

効用」とは、一定の社会集団の憤用や同意によって、一つのモノの「有用性」がそのモノの特性として認められた状態です。

生活学マーケティングを考える場合には、この「効用」をさらに3つの次元に分けて考えるべきだ、と筆者は思っています。

共効・・・社会集団が共通して認める有用性=共通効用
個効・・・個人が共効に基づいて認める有用性=個別効用
私効・・・私人が純私的に認める有用性=私的効用

の3つです。

以上の視点を前提にすると、市場社会で行われている、さまざまな需給行為には、次のような矛盾が指摘できます。

供給者である企業は、市場の存在を前提にして、商品の有用性を作り出し、かつ供給しています。この有用性とは、市場を支える多くの需要者が共通して求める「個効」を集約したものですから、まさに「共効」です。つまり、商品のネウチとは、多くの需要者が共通して商品に求める有用性、いわば有用性の“最大共通素”とでもいうべきものです。
通常、需要者である個人は、それらの「共効」に従って商品を購入し、そのとおりに使用して「個効」を実現しています。

しかし、個性や独創を重んじる生活者の場合は、純私的、主観的な「私効」を目的にしますから、既存の商品を購入した場合でも、それに手を加えたり、別の有用性に変換するなど、自分なりの手法で使用して「私効」を満足させています。この場合、一つの商品の有用性は、市場での最大共通素を前提にしながらも、その中から個人的、主観的に選ばれる有用性、いわば“最小共通素”となります。

となると、一つの商品の持つ「共効」と「私効」の間には微妙なズレが出てきます。

企業の側では、できるだけ多くの顧客の求めに共通する「個効」を抽出して、商品の「共効」を作り出そうとします。これに対し、個性的な生活者の側ではできるだけ自分だけの有用性を求めて、商品の「私効」を購入しようとします。

両者は当然重なっていますが、本質的にいえば、最大共通素と最小共通素がぴったり一致するのはごく稀なことです。そこで、企業は少数需要者の「私効」の一部を切り捨てることで大量生産を可能にし、また生活者は自分なりの「私効」をある程度犠牲にすることでその生活行動を実現していきます。

この落差を埋めることが差汎化戦略の最大の目的です。具体的には次のような方向が求められます。

第1に、生活者自身が試みる用途転用や用途変換に常に注意を払って、既存商品のネウチを再点検することが必要です。

第2に、社会変化や生活変動に対応して、既存商品のネウチを一旦解体し、そのうえで変化に見合うように再構築していくことが必要です。

第3には
より積極的に、今後の日本が向う人口減少社会の望ましいと思う方向を、商品やサービスの新たなネウチとして提案していくことです。

このような意味で、差汎化戦略が展開されていけば、これからのマーケティング戦略の中で、その比重は徐々に増していくことになるでしょう。

2015年9月11日金曜日

物語と神話・・・どこが違うのか?

視覚手段でデザインとアートが対比されたように、聴覚手段では物語(Story)神話(Mythology)が対比されてきます。

物語とは、一人の人間が言語を駆使して結びつけた意味の流れ(パロール1)を、他人に向かって語りかけた(パロール2)うえ、集団的な虚構物として認めさせる(ラング)文章群で、読物、小説、散文、講談、台本などの形をとることもあります。

一方、神話とは、民族や種族などの人間集団の心の底に潜んでいる、集団無意識的な世界像を、さまざまな象徴(C.G.ユングのいう元型:archetype)に仮託させて紡ぎ出した文章群で、昔噺、民話、お伽話、伝説などの形をとることもあります。

要約すれば、

物語とは、あくまでも言語界という、意識的、目的的、共通コードを前提にしたコミュニケーション活動であり、
神話とは感覚界において、無意識的、未目標的、共通体感的に行うコミュニケーション活動ということになるでしょう。

マーケティングに応用すると、物語は差異化戦略で、また神話は差元化戦略で、それぞれ活用できます。

物語は、差異化戦略の一つ、いわゆるストーリー戦略になります。「曰く因縁由緒来歴」などの意味を一連の記号の流れに変えて、商品やサービスの上に乗せることにより、広告効果や販売拡大をねらうことができます。

神話は、差元化戦略の有力な手法の一つ、ミソロジー戦略になります。商品やサービスの上にさまざまな元型を組み入れた象徴の流れ加えることにより、生活者や消費者の感覚や無意識に訴求して、広告効果や販売拡大をねらうことができます。

実例をあげれば、次のような事例があげられます。




Softbankの「白戸家」CM・・・「お父さん犬」を中心にした家族の動静を描く、典型的なストーリー戦略です。西部劇、宇宙編、悪代官など、劇的なシナリオ(scenario)によって、構築的に作られたイメージを視聴者に訴求しています。




auの「あたらしい英雄」CM・・・、日本の昔話を代表する3太郎(桃太郎、金太郎、浦島太郎)が友達となって、さまざまなシーンを動き回るCMです。日本人にとって、3太郎は童子や道化など、いわゆる「元型」であり、私たちの心の奥に浸透して、郷愁や安堵感など与えますから、このCMはミソロジー戦略の一例ともいえます。
もっとも、現在までのところ、このCMのシナリオは日常的・意識的な次元に留まっていますから、ミソロジーを借用したストーリー戦略ともいえるでしょう。


Disneyのキャラクター戦略・・・Disneyの動画はもとよりDisney land、Disney sea、Disney Resortなどにおける、さまざまなキャラクター(Mickey Mouse、Donald Duck、Pluto、Peter Pan、Cinderella、Snow Whiteなど)は、基本的に童子、童女、道化などの「元型(archetype)」であり、これらによって夢想、幻想、郷愁、追憶、安心、永遠など無意識界へ遊ぶことができます。
その意味で、典型的なミソロジー戦略といえるでしょう。
マーケティング学者の中には、このキャラクター戦略を差異化の典型だと述べている方もいますが、本質を外した、皮相的な見方だと思います。

以上のように、マーケティング戦略の視点を差異化から差元化へ拡大すると、さらに新しい方法論が広がっていきます。

2015年9月5日土曜日

デザインとアート・・・どこが違うのか?

言葉⇔感覚の垂直軸という視点から見ると、デザインアートの違いが明白に見えてきます。

私たちはサインやシンボルを使って、さまざまなコミュニケーション活動を行っています。

記号=サインの次元でいえば、ネーミング(naming)や物語(story)などの言語記号で、あるいはカラー、デザイン、パターンなどのイメージ記号を使って、さまざまな内容=コンテンツを伝達しています。

象徴=シンボルの次元でいえば、オノマトペ(onomatopé:仏、擬声語)や神話(mythology)などの未言語象徴で、あるいはデッサン(dessin:仏)や元型(archetype)などのイメージ象徴を使って、幾つかのコンテンツを伝達しています。

いいかえると、聴覚手段では、ネーミングや物語などの言語記号で言語界内の、またオノマトペや神話などの未言語象徴で感覚界内の、それぞれのコミュニケーションを行っています。

また視覚手段でいえば、カラー、デザイン、パターンドなどのイメージ記号で言語界内の、またデッサンや元型などのイメージ象徴で感覚界内の、それぞれのコミュニケーションを達成しています。





このように考えると、同じ視角交信手段ではあるものの、デザインとアートの違いが浮き上がってきます。

デザイン(design)とは「de-sign(サインを書き出す)」ことですから、イメージ記号によって言語界の中でのコミュニケーションを促すことを意味します。

他方、アート(visual art)とは「ars(技術・人工:ラテン語)」を語源としており、より広く環境を人為的に再現することを意味していますが、その再現を根源的にみれば、イメージ象徴によって感覚界でのコミュニケーションを行うこと、そのものです。

とすれば、デザインとは、あくまでも言語界という、意識的、目的的、共通コードを前提にしたコミュニケーション活動であり、アートとは感覚界に向けて、無意識的、未目標的、共通体感的に行うコミュニケーション活動ということになるでしょう。

マーケティング戦略でいえば、デザインは差異化の、また
アートは差元化の、それぞれの一要素なのです。