2015年10月1日木曜日

価値と効用・・・どこが違うのか?

「差汎化」戦略は、社会⇔個人軸の社会界から生まれる諸需要に応えて、「価値」や「効用」などを創りだす手法です。

このうち「価値」という言葉は、毎日の生活から哲学的な思索にいたるまで、さまざまな形で使われています。しかし、その意味は必ずしも定まっているわけではありません。最も頻繁に使用している経済学でも、立場によって諸説があります。




古典派経済学・・・A.スミスは、その著『諸国民の富』の中で、モノの「価値(Value)」には2つの意味があり、1つは「ある特定の対象の効用(Utility)=「使用価値(Value in Use」、もう1つは「他の財貨に対する購買力(Power of Purchasing Other Goods)=「交換価値(Value in Exchange)である、と述べています。

両者の差を示す実例として、使用価値はあるが交換価値がほとんどないモノが「」であり、使用価値はほとんどないが交換価値は極めて高いモノが「ダイヤモンド」である、と指摘しています。

近代経済学=限界効用学派・・・この派を代表する一人、W.ジェヴォンズは、その著『経済学の理論』において、「価値」という言葉には、①使用価値=全部効用、②尊重=最終効用度、③購買力=交換比率といった概念が混在しているから、使用価値については「効用」とよぶべきだ、と主張しています。「効用」とは「人間の要求に対するその関係から起る物の状況」というのです。

◆マルクス主義経済学・・・創始者のK.マルクスは代表作『資本論』の中で、「使用価値」とは「人間の欲望をみたすもの」であるが、それはあくまで「価値」の〝素材〟にすぎず、他の物との交換可能性を生じて「交換価値」となった時に、初めて本物の「価値」になる、と主張しています。そして、この「価値」は人間の労働力の凝固したものであるから、その量は労働の量や質によって生み出される、と考えています。

このように経済学でも、さまざまな立場によって定義は異なっていますが、共通しているのは「モノの持つ特性が人間に提供する利点=使用価値」と「モノが他のモノとの交換力で人間に提供する利点=交換価値」を区別していることです。

経済学の立場に立てば、前者が「効用」であり、後者が「価値」ということになります。

つまり、古典派経済学は、前者と後者をあげたうえで両者の違い指摘し、近代経済学は前者に力点をおいて、またマルクス主義経済学は後者に中心にして、それぞれの理論を展開しているといえるでしょう。

これまでの経済学では「価値」と「効用」を以上のような視点でとらえています。しかし、この区分は哲学や言語学から見ると、未だ狭い分野に留まっているように思えます。どこがそうなのか、改めて考えてみましょう。

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