縦軸によって何がわかるのでしょうか。井筒俊彦が述べた「人間の言語意識を深みに向かって掘り下げていく」とは、平たくいえば、私たちの心の内部をどう見るか、という視点です。こうした視点については、古代の東洋思想はもとより、現代の西欧思想でも多角的に究明されています。
例えば、20世紀初頭に現象学という、新しい哲学の一派を開いたドイツの哲学者E.フッサールは、人間の意識には幾つかの階層があり、深層を見るためには、一度表層を捨てねばならない、と主張しています。私という人間の本当の姿を見るためには、まずは社会的な常識や権威などを捨てます。すると、生身の人間としての私が見えてきます。さらに私という自意識を捨てると、生き物の一つとしての己の無意識が見えてきます。このように、いま囚われている思考を一旦〈中止〉してみる方法を、フッサールは「エポケ(判断中止)」とよんでいます。
仏教でいえば、これはまさに「解脱」といえるでしょう。表面の願望を断ち切れば、その下の願望が見えてくる。それを捨てれば、その下の願望が次々に浮かんでくる。全てを捨ててありのままになれば、ついには動物そのもの、生物そのものとしての存在が見えてきます。そうした境地を仏教は「解脱」とよんでいるのです。
一方、やはり20世紀初頭に、オーストリアの精神分析学者S.フロイトやスイスの分析心理学者C.G.ユングは、表層的な意識の下に潜んでいる無意識や下意識を研究し、それぞれ精神分析学や深層心理学を樹立しています。
私たちの日常生活での思いがけない思考や不意の行動は、実は意識下に潜む潜在意識によって動かされている、という理論です。
これもまた、古代仏教の唯識論でいう深層意識観、「アーラヤ識」に通じています。この世の全ての現象はアーラヤ識が引き起こす因果にすぎない、という思想です。
以上のように、「心の内部にはいくつかの階層がある」という発想は、古今東西の思想に共通しています。こうした共通構造を、井筒俊彦は「垂直的」とよんだのです。
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