◆欲動
カオスから生まれてくる無意識的な願望であり、生死の区別や善悪の分割など日常的な評価基準をはるかに超えた、動物的、衝動的な願望。
フロイトが指摘した「生ヘの欲動」や「死への欲動」なども含まれており、最も自然に近い、あるいは自然そのものとしての快楽を求めていくものです。
「言分け」される以前の願望であるから、夢や幻といった”象徴”的なイメージとなって、しばしば私たちの前に現れてきます。
◆欲求
のどが乾いたから飲み物が欲しい、空腹を覚えたから食べ物が欲しい、寒くなったから衣類が欲しいなど、生理的、生物学的な不足状態を意識(言分け)がとらえた願望。
英語の〈want〉という言葉がいみじくも示しているように、一人ひとりの身体の中で何かが「欠如」してくるため、それを「必要」とする心理として現れます。
このため、欲求の対象になるのは基本的には物質であり、願望の中身もまた生理的、物質的なものになります。
◆欲望
人間がコト界を持ったがために、必然的に生まれる願望。
生理的、生物学的な必要性がなくとも、言葉やイメージといった”記号”の刺激を受けて、私たち一人ひとりの内部に発生するものであり、物質への願望を越えて、言語的、文化的な願望となります。
例えば、テレビで紹介された料理が食べたい、流行の服が着たい、友人なみのマンションに住みたいなど、物質そのものというよりも、その上にのった文化関係や社会関係、あるいはそれらについての観念や表象を求めるものです。
それゆえ、この願望は生理的な次元を超えており、本質的に「過剰」なもの、あるいは「バブリー」なものでもあります。
以上の説明だけでは、なお3つの関係が込み入っていますから、図のようにイメージ化してみましょう。この図の中央で、水面に浮かぶ、丸い円が私たちの心です。水上に出ている半分が意識された心であり、水面下にもぐっている半分が無意識下の心です。
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