1つは個々の単語がさまざまなモノやイメージを示す「基本的なメッセージ」の次元であり、もう1つは幾つかの言葉がまとまって一定の約束事を示す「超越的なメッセージ」の次元であす。
こうしたメタ・メッセージ機能によって、私たちの言語空間は、言葉の示すことを全く疑わないですべて真実とみなす場を「儀礼界」、逆に言葉の示すことはすべて虚構とみなす場を「遊戯界」、これら2つの狭間にあって真偽が曖昧なままの場を「日常界」、の3つに大別できます。改めて整理してみると、次のようになります。
●儀礼界
言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなすメタ・メッセージの場。儀礼や儀式に代表される空間。
●日常界
真実と虚構の二つの空間の狭間にあって、虚実の入り混じった場。私たちが毎日暮らしている日常の空間。
●遊戯界
言葉の示すことはすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむメタ・メッセージの場。遊戯やスポーツに代表される空間。
3つの空間論では、儀礼⇔遊戯、真実⇔虚構という対応が前提になっています。
だが、この理論をさらに拡大していくと、日常の生活行動においても、一方では言葉の示す目標を実現しようと努める緊張や集中、あるいは学習や訓練が、他方では言葉の作った目標から敢えて外れようとする弛緩や怠惰、あるいは放蕩や遊興といった対応が可能になります。また経済的な行動においても、目標をめざした節約や貯蓄と、目標を緩める浪費や蕩尽といった対応も考えられます。
とすれば、この軸では、一方では真実、儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄など、他方では虚構、遊戯、弛緩、怠惰、遊興、放蕩、浪費、蕩尽などを、それぞれキーワードとする両極が想定できます。
とすれば、この軸では、一方では真実、儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄など、他方では虚構、遊戯、弛緩、怠惰、遊興、放蕩、浪費、蕩尽などを、それぞれキーワードとする両極が想定できます。
さらには、それらの行動を促す生活願望として、真欲(真実欲)、常欲(日常欲)、虚欲(虚構欲)の、3つを想定することができます。
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