2016年2月8日月曜日

差異化の3つの側面

差異化とは、デノテーションやコノテーションなど「記号」の持つ特性を、積極的に応用して、商品やサービスの拡販を計ろうとする手法です。

この特性によって、「記号」はモノの上に、観念的な言説やメッセージ、つまりコトバ、イメージ、ストーリー、ムードなどを付加させます。

具体的にいえば、次の3つに集約できるでしょう。

言語記号・・・言葉による差異化であり、例えばネーミングキャッチフレーズ、さらにはさまざまなコトバを組み合わせた宣伝文ストーリーなど。

視覚記号・・・色彩や形態による差異化であり、カラーデザイン、あるいはそれらを組み合わせたイメージスタイルなど。

社会記号・・・言語、視覚、聴覚、体験などを組み合わせた総合的な情報による差異化であり、マスメディアやSNSなど社会的な情報装置を駆使して付加される、
社会的なムードコンセプトファッション性ブランドなど。

こうした手法により、モノの機能や品質といった物質的特性を超えて、モノに付帯するメッセージやムードを、ユーザーに向けて売り込むことになります。

2016年1月12日火曜日

メトニミーか? メタファーか?

コノテーション(connotation:共示)が引き起こすのが「比喩」ですが、この現象にはメトニミー(metonymy:換喩)とメタファーmetaphor:隠喩)の2つのパターンがあります。

前者は「隣接性」による比喩であり、後者は「類似性」による比喩です。

メトニミーでは「王冠」という言葉で「王様」を、「縄のれん」という言葉で「居酒屋」を示します。

一方、メタファーでは「」という言葉で「平和」を、「」という言葉で「武闘派」を、それぞれ示します。 


差異化手法では言葉はもとより、カラー、デザイン、ネーミング、ストーリーなどの記号でも、さまざまな形でメタファーを多用していますが、その中からカラーの事例をあげておきましょう。 
これらのカラー手法をもっとも単純に用いているケースが交通信号です。

赤=通行禁止、黄=通行停止、緑=通行許可というメタファーを、色彩という記号で直接表現しています。

もともとは上にあげたような、赤、黄、緑の表す比喩が応用されたものですが、長く使われている間に、それが固定化し、今では元のコノテーションが忘れられて、デノテーション化しています。

危険物や進入禁止を示す記号として、しばしば赤や黄が使われ、逆に安全物や通行可能を青が示しているのも、同様のケースです。

同じようにカラーを用いるケースでも、モノ次元の応用は欲動を対象にした感覚界向けですが、デノテーション次元の応用は欲求を対象にした日常界向けが多くなります。

これに対し、カラーがコノテーションを起こして、独自のシニフィエを持つのは、欲望に向けた記号界の現象が多く、これこそ差異化としてのカラー手法といえるでしょう。

差異化手法とは、記号の持つ、こうした機能を、積極的に駆使するものですが、その結果、さまざまな弊害も生み出すことにもなります。

2016年1月7日木曜日

デノテーションとは? コノテーションとは?

差異化という手法が成り立つのは、生活界の中の言語界、つまりコト界において、言葉がコノテーション(connotation)という働きを示すからです。

現代言語学の創始者、F.ド.ソシュール(Ferdinand de Saussure)は、言葉とは表現面と内容面が一体化したものと考えて、表現面を「シニフィアン(signifiant = Sa=意味するもの)」、内容面を「シニフィエ(signifie= Sé=意味されるもの)」と名づけ、一つの言葉を「Sé/Sa」で表しました。

シニフィアンには音声、文字、動作、形などが含まれ、シニフィエには具体的、あるいは抽象的な、さまざまなイメージが該当します。

例えば、「inu」という音声で「犬という小動物」というイメージを表し、「neko」という音声で「猫という小動物」というイメージを示す、ということです。

この考え方を継承した、フランスの思想家R.バルト(Roland Barthes)はさらに、一つの言葉を「入れ子」構造と考えました(『記号学の原理』)。


バルトは、ソシュールのシニフィアンとシニフィエを、「表現面E(expression)」と「内容面C(contenu)」と定義し直し、両者の繋がりを「関係R(relation)」と表現しました。つまり、ソシュールのいう「Sé/Sa」を、ERC」といい直したのです。

このERCを第1次体系とすると、これが別の第2次体の中にのみ込まれる場合があります。これには2つのケースがあり、1つはEの中に第1次体系が飲み込まれる (ERC)RC、もう1つはCの中に第1次体系が飲み込まれるER(ERC)です。

そこで、バルトは、第1次体系と第2次体系によって、言葉の意味の関係には3つのケースが生まれてくる、と主張しています。


  1. ERC:EがCを具体的に直接的に示すケース・・・デノテーション(denotation:外示)
  2. (ERC)RC:1つの言葉(ERC)がEとなって、新たなCを示すケース・・・コノテーション(connotation:共示)
  3. ER(ERC)Eが(ERC)というCを示すケース・・言語(metalanguage)

「ばら」という単語で考えてみましょう。「バラ」という音声(E)で「植物の薔薇」という内容(C)を表わす場合がデノテーション、「バラ/薔薇」という言葉(ERC)で「幸福」(C)を表わす場合がコノテーション、「バラ」という音声(E〉が「bara」という表音記号(ERC)を表わす場合がメタ言語です。
 
 こうした特性のため、デノテーションは日常の会話で、コノテーションは文学などの言説で、そしてメタ言語は科学的な論文などで、それぞれ多用されています。
 
このうち、コノテーションは、デノテーションの示す第1次的な意味によって、情意的ないしイデオロギー的な第2次的なメッセージを伝えるという、重層的な役割を果たしています。
 
「コノテーションに関する諸現象はたしかに、ありとあらゆる文化のことば、とくに文学において大変重要性をもっている」とバルトも述べています。
 
詩や小説でコノテーションが重視されるのは、言葉が具体的な対象を示すだけでなく、比喩的にさまざまな事象を示すことができるからです。
 
差異化とは、こうした言葉や記号のコノテーションを応用して、商品やサービスに意味づけを行い、ユーザーの心の中に「欲望」を沸き立たせる戦略です。
 

2015年12月29日火曜日

差異化の時代を振り返る!

差異化というマーケティング手法が、とりわけ注目されるようになったのは1980年代からだと思います。その背景については、すでに「差異化戦略はなぜ登場したのか?」で述べています。

すでに1960年代から、フランスの社会学者J.ボードリヤールは「消費されるためには、モノは記号にならなければならない」(『物の体系――記号の消費:Le Système des objets』1968)と、私たちの“消費”観を根本的に覆すことを提案していましたが、この思想が日本にも浸透してきたのです。




ヒトは他の動物とは異なって、本能や身体が要求するものを求めるだけでなく、言葉が要求するものも求めます。のどが渇いた時、水道の水を求めるだけでなく、カラフルな軽飲料やCMで見たドリンクを求めます。寒さを感じた時、木綿の下着を増やすだけでなく、流行のデザインのオーバーコートを求めます。

本能や身体が要求するものを求める願望が「欲求」であり、言葉が要求するものも求める願望が「欲望」だとすれば、欲望とは、身体がまったく求めないものでも、あえて求める願望ということになります。

これに気づいた時から、マーケティングの基本的なスタンスが大きく変わりました。それまでの「欲求」に対する「差別化」から、新たに「欲望」に対する「差異化」が主流になってきました。

差別化とは、生活界の中心の平常界の中で、感覚の求めるものを言語化した「欲求」を対象にして、さまざまな“モノ”を投げかける手法です。これに対し、差異化は、言語界から生まれる、幾つかの願望、つまり感覚よりも言語を重視する「欲望」に向けて、さまざまな“コト”を投げかける手法です。

そこで、1980年代以降のマーケティングでは、多様な言語や記号を駆使して、コトづくりを推進してきました。斬新なネーミング奇抜なデザインはもとより、「曰く因縁、由緒来歴」というストーリーから「ロハス」「サステナブル」「ギルティフリー」などのライフスタイルまで、新たなコトを作り出して、既存商品との〝差異”を強調し、それによって新規の消費を喚起してきたのです。

その手法は極めて巧みであり、新聞や雑誌などの印刷メディア、テレビやラジオなどの電波メディアはもとより、インターネットや携帯電話を利用したSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)まで、あらゆるメディアを駆使して、消費者への接近を図っています。

こうした手法が蔓延した結果、私たちの生活では何が起こり、意識の中では一体何が変わったのでしょう。

2015年12月26日土曜日

差異化と差元化を比較する!

これまで生活学の視点から、マーケティングの7つの戦略について述べてきましたので、ここからは各戦略の優劣について考えていきます。

最初に「差別化」の上下に位置する「差異化」と「差元化」、つまり、私たちの生活願望の中の、「欲求」の上下に潜む「欲望」向けと「欲動」向けについて、その利害を比較してみましょう。

 
差異化とは何か、差元化とは何か、初めに両方の定義を改めて確認しておきます。
 
化戦略とは何か。
  1. 生活球の上部に位置する生活願望「欲望」に向けて、商品やサービスのうえに、言語やイメージなど、さまざまな「記号」を載せ、新規性や異質性を訴求する戦略。
  2. 「モノ」の上に「コト」、つまり「記号」を乗せることで、言葉によって掻き立てられた「欲望」をキャッチしようとする戦略。
  3. 基本的な手法は、カラー化、デザイン化、ネーミング化、ストーリー化など。
 

化戦略とは何か。

  1. 生活球の下部に位置する生活願望「欲動」に向けて、商品やサービスから言葉やイメージなどの「記号」をあえて外し、身体性や直感性、原始性や動物性などの「身分け」能力を回復させようとする戦略。
  2. 「モノ」の上に載った「コト」、つまり「記号」を外すことで、言葉によって掻き立てられる以前の「欲動」へ向かって、あえて接近しようとする戦略。
  3. 基本的な手法は、象徴・神話化、無意識・未言語化、感覚・体感化など。

2つの戦略を以上のように定義した上で、それぞれの利点・欠点を考えてみましょう。


2015年12月14日月曜日

差戯化の4つの戦略

虚構願望を的確にとらえ、ユニークな緩み方や遊び方を開拓し、斬新な虚構界を築いていくには、これまでの怠惰や遊戯対応を超えた、より的確なマーケティング戦略が必要です。

そこで、対象となる虚構願望の中身を大別してみると、次の4つの戦略が浮かんできます。


第1は浪費・蕩尽戦略目標や目的を意図的に放棄して、気の向くままに行動することを意味します。私的な生活次元での無為や惰性などの「怠惰」戦略を基盤にして、経済的な生活次元では無駄づかいや蕩尽などの「浪費」戦略が、社会的な生活次元では冗費や乱費やなどの「蕩尽」戦略が生まれてきます。

第2は虚脱・混乱戦略。陶酔、酩酊、トランポリンなど虚構空間の中で私的な錯乱状態を求める「めまい」戦略を基盤にして、温泉や気晴らし旅行など体感次元の発散を求める「虚脱」戦略や、遊園地やカーニバルなどの設備で集団的に虚脱空間を作りだす「混乱」戦略が生まれてきます。

第3は戯化・模擬戦略仮面遊びや着せ替え遊びなどの虚構ルールへ私的に戯れようとする「私戯」戦略を基盤として、娯楽やレジャーなど日常的な虚構を実行しようとする「戯化」戦略や、映画、演劇、音楽、美術など虚構空間を集団的に作りだそうとする「模擬」戦略が生まれてきます。

第4はゲーム・競争戦略。ギャンブルやくじなどの虚構ルールへ私的に挑戦しようという「賭け」戦略を基盤として、囲碁や麻雀などの虚構ルールへ日常的に戯れる「ゲーム」戦略や、競技や競演など虚構ルールへ集団的に戯れようとする「競争」戦略が生まれてきます。

差戯化戦略では、以上の4つの方向のそれぞれに応えて、まったく新たな商品やサービスを作りだしていく手法はもとより、日常願望や真実願望向けの商品やサービスを虚構願望に向けて転換してしまうといった、幾つかの手法が必要になるでしょう。

2015年12月7日月曜日

虚構願望はなぜ高まるか?


虚構願望の高まる背景には、やはり人口減少社会があります。

人口が減るのは、1億2800万人の人口を可能にしてきた「人口容量」の壁に突き当たったためですが、この壁を超えるには数十年かかりますから、それまでの間は閉塞感が高まってきます。

閉塞感が高まれば、緊張や不満も高まりますから、それらを緩和するため、一時は怠惰に逃げ込んだり、仕事や勉学を放棄して、娯楽や遊興に耽りたい、と思うようになります。

これらの生活願望が、人口が増加した成長・拡大期とは一味も二味も違う、成熟・濃縮期独特の休み方や遊び方を求める需要を高めていきます。

同じように人口減少期であった江戸中期にも、虚構願望がかなり高まっていました。

農村から離脱した無宿人博徒となって増加し、各地に賭博場を増やし、賭場主である親分同志の闘争まで引き起こしました。


都市でも多くの奉公人が無断で店を抜け出し、群れをなして伊勢神宮へ参詣する「お蔭参り」が数十年ごとに起こっています。東国や東北からの参詣者たちは、江戸、秋葉山、津島などに詣でてから伊勢神宮に参り、さらに吉野、高野山、奈良や金毘羅、大坂、京都、善光寺にまで、足を延ばしていました。
 他方、新たな遊も広がっています。

宝永から天保期にかけては、江戸歌舞伎の黄金時代となり、二代目市川団十郎の『助六由縁江戸桜』から、四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』まで、新たな大衆娯楽が確立しました。

 
 
戯作でも、談義本、洒落本、読本、黄表紙、滑稽本、人情本、合巻など、大衆向けの娯楽出版物が数多く出版されています。とりわけ読本では、山東京伝曲亭馬琴が悪、美、怪奇などを表現し、多くの読者を獲得しています。


また絵画では、多色刷りの浮世絵が、天明から寛政期に鳥居清長、喜多川歌麿東洲斎写楽、歌川豊国らの優れた絵師を輩出して黄金時代を迎えました。続く化政・天保期には、葛飾北斎や歌川広重の、芸術性と大衆性を統一した高度な版画や、渓斎英泉や歌川国貞の、退廃的でグロテスクな作品に移行しています。


このように江戸中期の遊びには、形態的には新しい集団性が育まれ、また内容的には夢幻、怪奇、爛熟、退廃的な趣向や、洗練、風刺、洒落、さらには停滞を打破しようとする批判精神まで絡みあっています。

同様の傾向は今後の日本でも次第に強まっていきます。人口が減少するにつれて、新たな楽しみや遊びへの需要が高まり、人生85~90歳という長寿化も重なって、これまで以上に遊びや怠惰への願望を高めていくことになるでしょう