虚構願望の高まる背景には、やはり人口減少社会があります。人口が減るのは、1億2800万人の人口を可能にしてきた「人口容量」の壁に突き当たったためですが、この壁を超えるには数十年かかりますから、それまでの間は閉塞感が高まってきます。
閉塞感が高まれば、緊張や不満も高まりますから、それらを緩和するため、一時は怠惰に逃げ込んだり、仕事や勉学を放棄して、娯楽や遊興に耽りたい、と思うようになります。
これらの生活願望が、人口が増加した成長・拡大期とは一味も二味も違う、成熟・濃縮期独特の休み方や遊び方を求める需要を高めていきます。
同じように人口減少期であった江戸中期にも、虚構願望がかなり高まっていました。
農村から離脱した無宿人が博徒となって増加し、各地に賭博場を増やし、賭場主である親分同志の闘争まで引き起こしました。
都市でも多くの奉公人が無断で店を抜け出し、群れをなして伊勢神宮へ参詣する「お蔭参り」が数十年ごとに起こっています。東国や東北からの参詣者たちは、江戸、秋葉山、津島などに詣でてから伊勢神宮に参り、さらに吉野、高野山、奈良や金毘羅、大坂、京都、善光寺にまで、足を延ばしていました。
他方、新たな遊びも広がっています。
宝永から天保期にかけては、江戸歌舞伎の黄金時代となり、二代目市川団十郎の『助六由縁江戸桜』から、四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』まで、新たな大衆娯楽が確立しました。
宝永から天保期にかけては、江戸歌舞伎の黄金時代となり、二代目市川団十郎の『助六由縁江戸桜』から、四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』まで、新たな大衆娯楽が確立しました。
戯作でも、談義本、洒落本、読本、黄表紙、滑稽本、人情本、合巻など、大衆向けの娯楽出版物が数多く出版されています。とりわけ読本では、山東京伝や曲亭馬琴が悪、美、怪奇などを表現し、多くの読者を獲得しています。
また絵画では、多色刷りの浮世絵が、天明から寛政期に鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、歌川豊国らの優れた絵師を輩出して黄金時代を迎えました。続く化政・天保期には、葛飾北斎や歌川広重の、芸術性と大衆性を統一した高度な版画や、渓斎英泉や歌川国貞の、退廃的でグロテスクな作品に移行しています。
このように江戸中期の遊びには、形態的には新しい集団性が育まれ、また内容的には夢幻、怪奇、爛熟、退廃的な趣向や、洗練、風刺、洒落、さらには停滞を打破しようとする批判精神まで絡みあっています。
同様の傾向は今後の日本でも次第に強まっていきます。人口が減少するにつれて、新たな楽しみや遊びへの需要が高まり、人生85~90歳という長寿化も重なって、これまで以上に遊びや怠惰への願望を高めていくことになるでしょう。
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