差異化というマーケティング手法が、とりわけ注目されるようになったのは1980年代からだと思います。その背景については、すでに「差異化戦略はなぜ登場したのか?」で述べています。
すでに1960年代から、フランスの社会学者J.ボードリヤールは「消費されるためには、モノは記号にならなければならない」(『物の体系――記号の消費:Le Système des objets』1968)と、私たちの“消費”観を根本的に覆すことを提案していましたが、この思想が日本にも浸透してきたのです。
ヒトは他の動物とは異なって、本能や身体が要求するものを求めるだけでなく、言葉が要求するものも求めます。のどが渇いた時、水道の水を求めるだけでなく、カラフルな軽飲料やCMで見たドリンクを求めます。寒さを感じた時、木綿の下着を増やすだけでなく、流行のデザインのオーバーコートを求めます。
本能や身体が要求するものを求める願望が「欲求」であり、言葉が要求するものも求める願望が「欲望」だとすれば、欲望とは、身体がまったく求めないものでも、あえて求める願望ということになります。
これに気づいた時から、マーケティングの基本的なスタンスが大きく変わりました。それまでの「欲求」に対する「差別化」から、新たに「欲望」に対する「差異化」が主流になってきました。
差別化とは、生活界の中心の平常界の中で、感覚の求めるものを言語化した「欲求」を対象にして、さまざまな“モノ”を投げかける手法です。これに対し、差異化は、言語界から生まれる、幾つかの願望、つまり感覚よりも言語を重視する「欲望」に向けて、さまざまな“コト”を投げかける手法です。
そこで、1980年代以降のマーケティングでは、多様な言語や記号を駆使して、コトづくりを推進してきました。斬新なネーミングや奇抜なデザインはもとより、「曰く因縁、由緒来歴」というストーリーから「ロハス」「サステナブル」「ギルティフリー」などのライフスタイルまで、新たなコトを作り出して、既存商品との〝差異”を強調し、それによって新規の消費を喚起してきたのです。
その手法は極めて巧みであり、新聞や雑誌などの印刷メディア、テレビやラジオなどの電波メディアはもとより、インターネットや携帯電話を利用したSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)まで、あらゆるメディアを駆使して、消費者への接近を図っています。
こうした手法が蔓延した結果、私たちの生活では何が起こり、意識の中では一体何が変わったのでしょう。
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