2020年12月25日金曜日

コンデンシング・ライフへ向かって!

日本列島の人口容量はすでに限界に達したため、人口は10年ほど前から減少しています。

容量が少なくなるにつれて、人口抑制装置が作動し、容量内に収めようとするからです。

人口は一度減少し始めると、容量に十分なゆとりが生まれ、抑制装置が緩和するまで、なお減少しつづけます。

底を打って増加に転ずるのは、早くても50年後の208090年代ではないか、と思います。

とすれば、人口容量を落とすことなく、このままの水準で維持できれば、一人当たりの個人容量は拡大を続けていけるはずです。

2008年を1とすると、2062年には1.5へ、2080年には1.82100年でも1.9に上昇します。

経済が成長・拡大を続けなくても、国家財政を維持できる程度に伸び続け、日本列島の環境容量をサスティナブルな状況に保ってゆくことができければ、個々の生活民の暮らしはそれなりに改善されていく、ということです。

しかし、マクロ経済が拡大し、その分配を受けた個人消費が急伸し、それがまた供給拡大を招いて、経済規模がさらに拡大するという成長・拡大時代の生活様式へ、再び戻るわけではありません

先人たちが数十年にわたって作り上げてきた現代日本の人口容量の水準を、なんとか落とさないまま継続し、再び広げられる時まで維持していくことが求められるのです。

となると、人口減少時代の生活民に、改めて求められる生活様式とは、拡大しない人口容量のもとで、それでも伸びてくる一人当たりのゆとりを、しなやかに活用していくというものでなければなりません。

おそらくそれは、上昇志向、物的拡大、自己顕示といった人口増加時代の様式を超えて、足元志向、心的充実、自己充足などをめざすものとなるでしょう。

一言でいえば、濃密な生活、つまりコンデンシング・ライフ(Condensing Lifeこそ、人口減少時代の生活民に求められる、新たな生活様式なのです。

コンデンシング・ライフとはいかなるものなのか、幾つかの視点から考えていきましょう。

2020年12月18日金曜日

人口容量・・・貨幣指標で計量できるのか?!

人口容量(Population Capacityが飽和したので、人口抑制装置が作動して、人口が減少し始めている、という言説を展開しています。

前回では、現代日本の人口容量は【日本列島の容量+国際化による容量】で、扶養量と許容量の両面から12,800万人だ、と述べてきました。

この数字は人口数という、概念的な指標で表わしていますので、「もっと具体的な数字で表すべきではないか」とのご意見をいただきました。

そこで、経済学的な〈貨幣〉指標による表現はできないものか、あれこれと思案した結果、一つの試論として、次のような手順を考えてみました。



貨幣量としての人口容量は、列島の総供給容量(国内容量+輸入容量)を、居住者の個人容量で除することで計測できる。

総供給容量は、国土を基盤とする政治・経済体制が、何人分の個人容量に応えられるか、を示す指標であり、主として国民総生産(X年の民間最終消費支出+政府最終消費支出)+生活財輸入額から、X年の貨幣量が推計できる。

個人容量は、一人の居住者が生きていくための指標であり、生涯にわたる総生活費用(衣食住などの生活費用+教育・就業・老後などの準備費用)各人を支える社会的費用(国家や地域などサポート費用)の分担分を合算したうえ、平均寿命によって除することで、X年の容量が算出される。総生活費用は主に家計調査により、また社会的費用は国民総生産(政府最終消費支出)の個人分担量として、それぞれ貨幣量が推計できる。

X年の総供給容量を年の個人容量で除した貨幣量が、X年における日本列島の人口容量である。

以上のような手順でもし推計ができれば、個人容量も供給容量もともに貨幣単位で表現され、人口容量もまた貨幣単位で表現されるでしょう。

もっとも、これはあくまでも一つの試案にすぎず、具体的な計算を行うにはなお幾つかの推計手法が必要だと思います。

しかし、この手順で貨幣ベースの人口容量が計算できたとしても、なおも次のような問題が残ります。

  1. 国家の経済規模(国民総生産)が伸びれば、それだけ人口容量も増えて、人口もまた伸びるはずです。だが、国民総生産に比例して個人容量も伸びれば、人口容量は増えず、人口も増えません。景気が上昇してGNPが伸びたとしても、人口はあい変らず減少していく、ということです。
  2. 国家の経済規模(国民総生産)が伸びなくても、個人容量が一定、あるいは低下しておれば、人口容量は拡大し、人口も増えるはずです。景気が悪くてGNPが落ちたとしても、人口は増える可能性がある、ということです。

以上のように、貨幣指標による人口容量推計では、経済動向と人口変動が必ずしも連動しているわけではありません。

ご質問への回答になっていないかもしれませんが、貨幣指標による人口動向分析には、それなりの限界があるのではないでしょうか。

2020年12月10日木曜日

人口容量の中身を考える!

人口抑制装置が作動するのは、生活民の総生涯期待値が「人口容量(Population Capacity」の上限を超える時だ、と述べてきましたが、「人口容量の中身はどうなっているのか? どのように計るのか」とのご質問をいただきましたので、とりあえず中身について考えてみます。

動物の「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity:生存容量)は、先に述べたように、一定空間内の扶養量(食糧・棲息素材などの供給量)と許容量(接触密度、排泄物濃度など限界量)が絡まっており、これに応じて個体当たり容量の内容も決まっています。



人間の「人口容量(Population Capacity」も、主として国土などの扶養量(食糧・衣料・住居など生活資源や、移動・通信・熱源など生活素材の供給量)と許容量(集中・過疎などの人口密度や、生活廃棄物・産業廃棄物・排出ガスなどの処理量)で定まってくるもので、これに応じて個人当たりの容量の内容も決まっています。

もっとも、人間の場合は〔人口容量=自然環境×文明〕という式で、文明の中身が変わるにつれて、人口容量の中身も少しずつ変化してきます。

粗放石器、集約石器、粗放農業、集約農業、近代科学という諸文明が創り出した人口容量ごとに、扶養量と許容量の細部にはそれぞれ変化が見られます。

私たちが生きている、工業現波の人口容量は、自然環境×近代科学文明で作られています。

現代日本に当てはめれば、日本列島という自然環境科学文明の応用によって作り出した扶養量と許容量で構成されているのです。

このうち、扶養量は先に述べたように国内自給量(7,600万人)+海外依存量(5,200万人)=12,800万人で、合計12,800万人となっています。

一方、許容量国内処理量+海外処理量で表現できますが、国内処理量は海岸や河川などの汚染状態をみれば、すでに限界にきているといえるでしょう。また国外処理量も大気汚染、海水汚染を始め、地球温暖化や気候激変などの劣化現象をみると、これまた限界に達していると思われます。

とすれば、12,800万人という人口容量は、扶養量と許容量の両面から、工業現波の上限を示しているといえるでしょう。

一方、この容量を分かち合う、私たち生活民の方もまた、工業文明が創り出した生活様式を前提に、それぞれの暮らしを営んでいます。

食料・衣料・家具などは消費市場で、住宅やマンションは不動産市場でそれぞれ購入し、電気・ガス・水の供給を受け、電車や自動車などで移動し、携帯やパソコンなどで通信し、下水道やゴミ処理サービスなどで廃棄物を始末しています。

今では当たり前となった、この生活様式から生まれてくる、一人当たりの個人容量を全ての国民で集計すると、総個人容量となります。

この総個人容量が、上記の人口容量以下であれば、人口はなお増加していきますが、人口容量に接近したり、超えておれば、自ら人口抑制装置が作動して、人口は減っていきます。

冒頭で述べた、「生活民の総生涯期待値が人口容量(Population Capacityの上限を超える時」という表現は、このように言い換えることができるでしょう。

人口減少の背景を考えるには、「少子・高齢化」を超えて、より広い視野に立つことが必要なのではないでしょうか。

2020年11月30日月曜日

戦後世代が総期待値を上げる!

前回指摘したように、人口減少の原因は「少子・高齢化」という次元を大きく超えて、全国民の心の中にある生涯生活への期待値、いいかえれば生活向上願望という心理状態に辿りつきます。

人口容量という視点から、日本人口の推移を振り返ってみると、下図のようになります。














戦後の1940年代後半7,200万人台の人口が有する総生涯期待値(略称:総期待値)は10,040万人であり、人口容量12,800万人に対して2,800万人ほどのゆとりがありました。

この時代には、総人口の8割以上が戦前生まれで、戦争が終わったといえども、人口容量7,500万人時代の生活様式をなお持続しており、生涯生活に対する過度な期待はもっていなかったと思われます。それゆえ、大きなゆとりが人口抑制装置を緩め出生率を高める一方、死亡率を漸減させました。

1950年代に入ると、いちはやく総人口の2割を超えた戦後世代が、人口容量12.800万人時代の生活様式をめざして、生涯生活に対する期待値を大きく高めました。

1950年代末期から1960年代初頭にかけて、総期待値が12,800万人ラインを超え始めると、人口抑制装置が直ちに作動し、出生率を急落させてゆきます。

1960年代には、3割を超えた戦後世代によって、総期待値は人口容量12,800万人を超えたまま、ゆるやかに上昇していきます。

これにつれて、出生率は幾分回復し、死亡率は漸減となりました。

1970年代後半、総期待値が14,700万人となり、12,800万人を2,000万人ほど超えると、再び出生率は急落し、その後は低下し続けます。

1980年代に入ると、戦後世代は6に近づき、総期待値も15,000万人台を超えたため、出生率の低下が加速され、死亡率の漸増が始まっています。

1990年代には、戦後世代が6割を超え、総期待値も15,500万人へと上昇したため、出生率は漸減し続け、死亡率は漸増します。

2000年代に入って、戦後世代が8を超えると、総期待値も15,000万人台を維持し続けたため、ついに2008年、死亡率が出生率を追い抜いて、人口減少が始まりました。

以上のように見てくると、戦前、戦後という出生区分によって、それぞれの世代の生涯期待値が大きく乖離しており、後者の増加に伴って総期待値が上昇した結果、抑制装置が作動して人口減少が始まったもの、と推測されます。

2020年11月24日火曜日

1960年に総期待値は人口容量を超えた!

前回述べたように、2015年の総期待値15,197万人で、人口容量12,800万人をすでに2,397万人ほどオーバーしています。

総期待値が人口容量を超えたのは一体、何時のことだったのでしょう。

詳細な年齢別人口が把握できる1920年(大正9年)以降の推移を試算してみると、下図のようになります。






人口が5,600万人ほどであった1920年に総期待値はすでに1億人に達し、戦前の人口容量(7,500万人)を2,500万人ほど超えています。

②総期待値は1935年に10,600万人と高位に達し、1941年からの太平洋戦争を勃発させる誘因の一つとなった可能性があります。

③戦後は人口増加と比例するように、総期待値も急増し、15年後の1960年前後に戦後の人口容量(12,800万人)を超えています

1960年前後に人口容量(12,800万人)を超えた時、何が起こったのでしょうか。

上図の下欄に示したように、総人口の動きには劇的な変化が起こっています。

1960年前後に、出生率が急落し、死亡率の低下傾向が緩和しました。

❷その後、出生率やや上昇傾向を取り戻しましたが、1975年を過ぎると、再び急落しています。

死亡率1980年半ばまで漸減しましたが、その後は漸増に転じています。

❹その結果、2008ころ、死亡率はついに出生率を追い抜き、総人口を減少させることになりました。

以上のように、全国民の意識を総計した総生涯期待値の動きは、出生率と死亡率に大きく影響し、総人口の減少を引き起こしています。

要するに、人口容量という視点から見ると、人口減少の原因は、単なる「少子・高齢化」などを超えて、全国民の心の中にある生涯生活への期待値、いいかえれば生活向上願望という心理状態だった、と推測されるのです。

2020年11月13日金曜日

ゆとりがあるのに、人口はなぜ減るのか?

 「過去20年間、人口容量にゆとりが生まれているのに、人口は減り続けている。一体、どういうことなのか?」と、ご質問をいただきましたので、お答えしましょう。

一言でいえば、生活民全体の期待する生活水準、筆者が「総生涯期待値」と名づけているものが、人口容量を大きく超えているからです(筆者の「人減ブログ」では「総期待肥大値」と名づけていますが、当ブログでは生活民の視点で言い換えました)。

「期待」というのは、一人の生活民が生まれた時の生活容量を前提に、それぞれの心に抱く一生涯の生活水準です。自分の一生は、おそらくこの程度の生活水準で生きられるだろう、と思う、無意識次元の願望といってもいいでしょう。

この「生涯期待値」を全人口で集計した数値が「総生涯期待値(総期待値と略す)」ですが、次のような手順で計算できます。

①個人の生涯期待値=人口容量÷出生年の総人口

日本列島の人口容量は、戦前(~1944年)約7,500万人、戦後(1945年~)12,800万人と推定されるため、第二次世界大戦の前後で世代別の生涯期待値のベースが大きく異なる

②X年の同年齢別生涯期待値=個人の生涯期待値×X年の年齢別人口

この数値は、ある年に同年齢の人口集団が抱いている生涯期待値であり、時間の変化とともに人口ピラミッドを上昇していく。

③X年の総生涯期待値(総期待値)=X年の各年齢別生涯期待値の合計

総期待値は、ある年における、全年齢集団の生涯期待値を集計したもので、人口数で表現され、総人口と比較される。

このような手順で、2015年の年齢別生涯期待値と総期待値を計算し、人口ピラミッドの上で比較してみると、下図のようになります。 



①総人口の12,710万人に対し、総期待値は15,197万人2,487万人ほど多く、人口容量を2,397万人ほどオーバーしている。

71歳以上の世代は戦前生まれのため、年齢別生涯期待値は年齢別人口とさほど差はない

70歳以下の世代では、年齢別生涯期待値が年齢別人口を超え始め、とりわけ7035歳の団塊・谷間・団塊二世・谷間二世の間で大きく超えている

30歳以下の世代では、年齢別生涯期待値が急速に低下し、年齢別人口に接近している。

以上のように見てくると、人口減少が始まって数年、2015年には人口容量に90万人ほどゆとりが出ているにもかかわらず、依然として人口減少が進んでいるのは、総期待値が人口容量をはるかに超えているからだ、といえるでしょう。

人口減少の背景には、総人口数という数値を超えて、人生設計という、生活民一人一人の生活意識が潜んでいるのです。

2020年11月7日土曜日

現代日本の人口容量とは・・・

人口容量が満杯だというが、日本の現状をどう理解すべきか、というご質問をいただきましたので、その構造を説明しておきます。

動物の場合、キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity:生存容量)の上限は、先に述べたように、一定空間内の食糧獲得量、接触密度、排泄物濃度などが絡まって定まっており、これに応じて個体当たり容量の内容も決まっています。

人間の場合も、「人口容量(Population Capacity」の上限は、一定空間内での衣食住の生活水準、経済水準、環境水準などの複合条件で決まっており、それらに応じて、個人容量(=生活水準)の中身も決まります。

もっとも、人間の場合は【人口容量=自然環境×文明】で、大きく容量を変えてきましたので、文明の変化によって、時代が変わるごとに容量の構造も異なってきます。

日本列島の人口容量は、次のように変化してきました。

①紀元前3万年からの「石器前波」・・・日本列島×旧石器文明3万人

②前1万年からの「石器後波」・・・日本列島×新石器文明26万人

③前500年からの「農業前波」・・・日本列島×粗放農業文明700万人

④西暦1300年からの「農業後波」・・・日本列島×集約農業文明3250万人

1800年からの「工業現波」・・・日本列島×近代工業文明=約12800万人

それゆえ、波動別に人口容量の構造も変わってきました。おおまかにいえば、次の通りです。

①石器前波・・・石器による食糧獲得量+環境許容量

②石器後波・・・石器+土器による食糧獲得量+環境許容量

③農業前波・・・粗放農林漁業などによる食糧獲得量+環境許容量

④農業後波・・・集約農林漁業などによる食糧獲得量+環境許容量

⑤工業現波・・・近代的工農林漁業などによる食糧・資源獲得量+環境許容量

これを前提にすると、工業現波に相当する現代日本列島の人口容量=12800万人は、次のような構造を持っている、と推定されます。



日本列島はユーラシア大陸の東方、北東アジアと呼ばれる地域に位置する弧状列島であり、東経1225557秒~東経1535912秒、北緯202531秒~453326秒に位置し、日本国の現在の面積は378,000平方㎞である。

❷この自然環境へ近代的な工農林漁業などを適用して得られる人口扶養量は、人口容量のおよそ6割程度と考えられる。例えば、食糧自給率(令和元年度)は、カロリーベースで38、生産額ベースで66であり、資源を代表するエネルギー(石油・石炭・天然ガスなど)の自給率(2017年)は9.6と、極端に低い。人口容量(12800万人)に換算すると、食糧で48607680万人、エネルギーで1230万人程度である。・・・参考:農林水産省・食糧封鎖時の自給可能量推計

❸列島内で自給できる扶養量を超える生活資源は、海外からの輸入に依存しているので、その対価となる資金を、主として輸出に依存している(加工貿易)。その意味でいえば、工業現波の人口容量とは、列島×文明で得られた国内向け諸物質輸出向け諸物質の、両方によって形成されている。

❹また、近代工業文明が生み出した生産・生活様式から発生する、さまざまな廃棄物を、工業文明によって列島内で処理できる許容量についても、一定の限界がある。

❺要するに、現代日本の人口容量(12800万人)とは、日本列島という自然環境を工業文明で応用して作り出した扶養量許容量で構成されている。

❻人口容量が小さくても生活民一人一人の生活水準が低ければ、人口容量は多くなり、逆に人口容量が大きくても生活水準が高ければ、人口容量は低くなる。

以上の状況を逆説的にいえば、人口減少が続いている過去20年間とは、なおも高い生活水準を望む生活民が、減少で生まれた人口容量のゆとりを密かに満喫している状態ともいえるでしょう。

2020年10月29日木曜日

個人容量=生活水準の上昇が人口を減少させる!

前回述べたように、ある時代、ある国で人間が生存できる人口容量は、さまざまな動物の事例を基礎としつつ、人類独自の生存条件によって、その構成が決まってきます。

動物の場合は、食糧獲得量、接触密度、排泄物濃度などが絡まって、「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity:生存容量の上限を造られており、これに応じて、個数当たり容量の内容も決まります。

人間の場合も、衣食住の生活水準、経済水準、環境水準などの複合条件が、「口容量(Population Capacity」の上限を形成していますので、それらに応じて、個人容量(=生活水準)の中身も決まります。

もし人口容量が一定であれば、一人当たりの個人容量が高まると、人口ピークは早くなり、逆に個人容量が下がると、人口ピークは遅くなります。

人口容量が変動する場合には、容量が上がっても、個人容量が高ければ、人口ピークは早く到来し、逆に容量が下がっても、個人容量が低ければ、人口ピークは遅延します。

現代日本の推移を振り返ってみましょう。

195060年代には、人口容量は未だ低かったのですが、さらに伸び続けており、1人当たりの個人容量もかなり低かったため、人口抑制装置を作動させることなく人口は急増していました。

しかし、19902000年代になると、人口容量の拡大がほぼ限界に近づいているのに、個人容量は継続的に高まっていたため、間もなく人口抑制装置が作動して、人口を減少させることになりました。

人口抑制装置には、増加を抑える行動減少を促す行動があり、容量が限界に使づくにつれて、平行して作動します。

下表は筆者の人減ブログ」から引用したものですが、この装置は次のような構造を持っています。もう一度整理しておきましょう。

抑制装置には、増加抑制減少促進の両面があり、それぞれが生物・生理的装置人為・文化的装置に大別される。

増加抑制装置には、生物・生理的な抑制装置人為・文化的な抑制装置があり、後者は直接的抑制(妊娠抑制、出産抑制など)、間接的抑制(生活圧迫、結婚抑制、家族縮小、都市化、社会的頽廃化など)、政策的抑制(強制的出産抑制、出産増加への不介入など)の3面で作動する。

減少促進装置にも、生物・生理的な促進装置人為・文化的な促進装置があり、後者は直接的促進(集団自殺、環境悪化や死亡増加への不介入など)、間接的促進(飽食・過食による病気の増加、生活習慣病の増加、都市環境悪化など)、政策的促進(老人遺棄、棄民、戦争など)の3面で作動する。

それゆえ、人口容量の上限が迫ってくると、生活民の生活意識にも、これらの影響が現れてきます。とりわけ影響が大きいのは、間接的な抑制・促進装置とそれに連動した直接的な抑制・促進装置の作動でしょう。

①間接的な抑制装置が、人口容量の逼迫による生活圧迫で、結婚を抑制して家族を縮小させ、都市化に伴う社会的頽廃化などで出産数を抑制する一方、間接的な促進装置は、人口拡大末期の飽食・過食による生活習慣病の増加都市環境の悪化などで死亡数を増加させる。

②直接的な促進装置でも、妊娠抑制や出産抑制などで出産数が抑制される一方、自殺の増加環境悪化による死者の漸増などで死亡数を増加させる。

こうした社会環境が、先に述べたような生活意識を生み出すことになります。

自己防衛意識の上昇・・・人口容量の伸びが止まった時、人口がなお増え続けていると、生活民1人あたりの個人容量は当然減ってくるから、生活民はまず自己防衛に走り出す。

対抗・攻撃性の上昇・・・人口容量の分配をめぐって、生活民は他人との関係に敏感になり、それは家族や子孫に対しても及んでいく。

とすれば、限界時代の生活意識を考えるには、まずはこの構造の理解から入らなければなりません。

2020年10月22日木曜日

人口容量と生活水準が人口ピークを決める!

21世紀の先進国とは、人口減少という新事態に的確に対応する「人減先進国」だ、と述べてきました。

人口が減るのは「少子・高齢化」などのせいではありません。表面的には「少子・高齢化」のように思えますが、その背後には「人口抑制装置」の発動という、より根源的な理由が潜んでいるのです。

先に述べたように、あらゆる生物は「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity」の上限に達すると、個体数抑制装置を作動させ、それぞれの個体数を減らしていきます。

人間も同様で、「人口容量(Population Capacity」の上限に近づくと、人口抑制装置(生物:生理的抑制装置+人為:文化的抑制装置)を作動させ、人口を減らしていきます。これこそ人口減少の真因です。

一国の人口動態において、人口抑制装置が作動する仕組みは、次のようなものです。

①ある国の人口容量とは【自然環境×文明】、つまり国域や風土など自然条件を、その国の国民が技術・経済・文化などの文明力で創り出した、一定時期における居住可能量です。

②国民は可能量の上限まで人口を増加させていけますが、一人当たりの生活水準低ければ、それだけ多くの人口が居住でき、逆に水準が高ければ、それに応じて人口は減ります。

③国別の人口ピークは、①と②の関係によって決まってきます。一時期・一国の人口容量はその国の自然条件と文明力によって決まってきますが、実際の人口ピークは、生活水準が高ければ早く到来し、生活水準が低ければそれだけ遅くなります。

以上の関係は、次のように描くことができるでしょう。


このような関係で、前回指摘した主要国の人口ピークを見直すと、次のような指摘が可能です。

19802000にピークに至った東欧諸国は、生活水準がさほど高くないにも関わらず、地理的、政治的な条件などで、人口容量の上限が早く現れたものと推測されます。

200120にピークとなった南欧諸国、ロシア、日本韓国などは、それぞれの文明力による人口容量上限の到来ともに、生活水準の急速な上昇によるものと思われます。

202140にピークを迎える西欧諸国、中国、ベトナムなども、各国の文明力による人口容量上限の到来生活水準の上昇によるものと推定されます。

204160にピークが予想される北欧、インド、インドネシア、中南米、アメリカ合衆国、南アフリカなどは、それぞれの文明力と生活水準が、世界人口のピークと連動するように平均化した動きをみせています。

20612100にピークが予想されるカナダ、ブラジル、オーストラリア及びアフリカ諸国は、それぞれの文明力による人口容量の開発が比較的遅いうえ、生活水準の上昇もゆっくりしているからだ、と推測されます。

以上のように見てくると、国別の人口ピークは、それぞれの自然条件と文明応用力のレベルを前提としつつ、生活水準の上昇速度によって決まってくるもの、と推測できます。

2020年10月7日水曜日

世界の各国で人口が減り始める!

日本の人口は10年以上前から減少を続けていますが、世界人口の方は、前回述べたように、30年後の2050年ころから減少に入る、と予想されています。

国連の人口予測2019(低位値)によると、世界各国の人口もまた、次のように減少へ向かっていくようです。

まずエリア別に見ると、下図のように推移していきます。


①最大のエリアであるアジア地域2039年をピークとして、2040年代から減っていきます。

ヨーロッパは2020大洋州は2033南アメリカは2041北アメリカは2048にそれぞれピークに達し、以後は減っていきます。

アフリカだけは伸び続けますが、2096にはピークを迎えます。


主要国別に見ると、次表のように推移していきます。


①エリア群では、ヨーロッパ、アジア、南アメリカ、北アメリカ、大洋州、アフリカの順にピークに迎えます。

ヨーロッパでは、すでに1980年代から東欧諸国で減少が始まっており、2010年代に入るとイタリアもピークに達しました。ドイツ、ロシア、スペインが2020に、オランダ、フランスが2020年代中後期に、イギリスが2030年代スウェーデンが2049ノルウェーが2059と、ほとんどの先進国でピークを迎えます。

アジアでは、日本が2009にすでにピークに達していますが、今後は韓国が2020中国が2024インドが2042インドネシアが2055にそれぞれピークとなります。

南アメリカでは、ペルーが2049ブラジルが2091とピークが予想されています。

北アメリカでは、メキシコが2044に、アメリカ合衆国が2047カナダが2075にピークになります。

大洋州では、ニュージランドが2044オーストラリアが2094にピークを迎えます。

アフリカでは、南アフリカが2050エジプトが2079コンゴが2097にピークとなりますが、ナイジェリア、タンザニア、スーダンなどは2100年以降になる模様です。

⑧ヨーロッパ諸国とアジア諸国のほとんど、およびアメリカ合衆国は2050年代までにピークを迎え、以後は減少していきます。

以上のように、30年後の世界人口ピークと連動して、欧米やアジアの先進国ではすでに人口減少が始まろうとしています。まさに人口減少こそ先進国の宿命なのです。

いいかえれば、21世紀の先進国とは、いつまでも人口増加を続ける国ではなく、人口減少という新事態に的確に対応していく「人減先進国」といえるでしょう。

2020年9月25日金曜日

人口容量が満杯になると、生活意識はどのように変わるのか?

21世紀には、日本はもとより世界もまた、それぞれ人口容量の上限に達し、人口減少が常態化していこうとしています。

こうした時代に、生活民の生活意識や生活願望は、どのように変わるのでしょうか。

過去4万年前からの人口動向を振り返ってみると、世界人口も日本人口4回ほど減少を経験しています。

その原因は両方とも、粗放石器、集約石器、粗放農業、集約農業という諸文明が創り出した「人口容量(Population Capacity」がそれぞれ満杯になったからです。

つまり、〔人口容量=自然容量×文明〕という式で、文明の中身が変わるにつれて、生きられる人類の上限が決まるということです。

このような上限へ容量が近づくにつれて、人間は抑制装置を作動させ、人口を抑え込んでいきます。

あらゆる動物が「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity」の上限に達した時、個体数抑制装置を作動させ、それぞれの個体数を減らしていくのと同じことです。

人間の場合もほぼ同じで、人口抑制装置を作動させ、人口を減少させているのです。これこそ人口減少の真因です。

こうした時代に、社会の変化生活民の意識はどのように変わっていくのでしょうか。



社会の変化として、とりわけ大きなものは、次の3つだと思います。

人口減少社会の進行・・・人口容量の満杯に対応して抑制装置が作動し、少産・多死化の進行により人口が減少していく。

不安拡大社会の進行・・・科学的環境容量の限界で、自然災害、食糧不安、技術崩壊などの不安要素が上昇する。

情報主導社会の進行・・・物的拡大の限界化で、文明の進展方向が非物質、情報的分野に移行していく。

これらの変化が進むにつれて、生活民の意識にも次のような傾向が現れます。

自己防衛意識の上昇・・・人口容量の伸びが止まった時、人口がなお増え続けていると、生活民1人あたりの容量は当然減っていくから、生活民はまず自己防衛に走り出す。

対抗・攻撃性の上昇・・・容量の分配をめぐって、生活民は他人との関係に敏感になり、それは家族や子孫に対しても及んでいく。

適応性の回復・・・人口抑制装置が適正に作動して、人口が減少に転じると、容量には次第にゆとりが生まれてくるから、生活民は新たな生活環境に適応していくようになる。

以上のように、人口容量が満杯となる時代には、社会環境が大きく変わるとともに、生活民の生活意識もまた敏感に変化していきます。

ところが、人口動向で見ると、日本人口はすでに10年以上前から減少を続けていますが、世界人口の方は30年後の2050ころから減少に入る、と予想されています。

とすれば、上記の変化は国内情勢国際情勢では、かなり異なってくるものと思われます。

どのような差異と変化が起きるのか、一つ一つ考えていきましょう。