2020年11月30日月曜日

戦後世代が総期待値を上げる!

前回指摘したように、人口減少の原因は「少子・高齢化」という次元を大きく超えて、全国民の心の中にある生涯生活への期待値、いいかえれば生活向上願望という心理状態に辿りつきます。

人口容量という視点から、日本人口の推移を振り返ってみると、下図のようになります。














戦後の1940年代後半7,200万人台の人口が有する総生涯期待値(略称:総期待値)は10,040万人であり、人口容量12,800万人に対して2,800万人ほどのゆとりがありました。

この時代には、総人口の8割以上が戦前生まれで、戦争が終わったといえども、人口容量7,500万人時代の生活様式をなお持続しており、生涯生活に対する過度な期待はもっていなかったと思われます。それゆえ、大きなゆとりが人口抑制装置を緩め出生率を高める一方、死亡率を漸減させました。

1950年代に入ると、いちはやく総人口の2割を超えた戦後世代が、人口容量12.800万人時代の生活様式をめざして、生涯生活に対する期待値を大きく高めました。

1950年代末期から1960年代初頭にかけて、総期待値が12,800万人ラインを超え始めると、人口抑制装置が直ちに作動し、出生率を急落させてゆきます。

1960年代には、3割を超えた戦後世代によって、総期待値は人口容量12,800万人を超えたまま、ゆるやかに上昇していきます。

これにつれて、出生率は幾分回復し、死亡率は漸減となりました。

1970年代後半、総期待値が14,700万人となり、12,800万人を2,000万人ほど超えると、再び出生率は急落し、その後は低下し続けます。

1980年代に入ると、戦後世代は6に近づき、総期待値も15,000万人台を超えたため、出生率の低下が加速され、死亡率の漸増が始まっています。

1990年代には、戦後世代が6割を超え、総期待値も15,500万人へと上昇したため、出生率は漸減し続け、死亡率は漸増します。

2000年代に入って、戦後世代が8を超えると、総期待値も15,000万人台を維持し続けたため、ついに2008年、死亡率が出生率を追い抜いて、人口減少が始まりました。

以上のように見てくると、戦前、戦後という出生区分によって、それぞれの世代の生涯期待値が大きく乖離しており、後者の増加に伴って総期待値が上昇した結果、抑制装置が作動して人口減少が始まったもの、と推測されます。

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