人口抑制装置が作動するのは、生活民の総生涯期待値が「人口容量(Population Capacity)」の上限を超える時だ、と述べてきましたが、「人口容量の中身はどうなっているのか? どのように計るのか」とのご質問をいただきましたので、とりあえず中身について考えてみます。
動物の「キャリング・キャパシティー(Carrying
Capacity:生存容量)」は、先に述べたように、一定空間内の扶養量(食糧・棲息素材などの供給量)と許容量(接触密度、排泄物濃度など限界量)が絡まっており、これに応じて個体当たり容量の内容も決まっています。
人間の「人口容量(Population
Capacity)」も、主として国土などの扶養量(食糧・衣料・住居など生活資源や、移動・通信・熱源など生活素材の供給量)と許容量(集中・過疎などの人口密度や、生活廃棄物・産業廃棄物・排出ガスなどの処理量)で定まってくるもので、これに応じて個人当たりの容量の内容も決まっています。
もっとも、人間の場合は〔人口容量=自然環境×文明〕という式で、文明の中身が変わるにつれて、人口容量の中身も少しずつ変化してきます。
粗放石器、集約石器、粗放農業、集約農業、近代科学という諸文明が創り出した人口容量ごとに、扶養量と許容量の細部にはそれぞれ変化が見られます。
私たちが生きている、工業現波の人口容量は、自然環境×近代科学文明で作られています。
現代日本に当てはめれば、日本列島という自然環境を科学文明の応用によって作り出した扶養量と許容量で構成されているのです。
このうち、扶養量は先に述べたように、国内自給量(7,600万人)+海外依存量(5,200万人)=1億2,800万人で、合計1億2,800万人となっています。
一方、許容量も国内処理量+海外処理量で表現できますが、国内処理量は海岸や河川などの汚染状態をみれば、すでに限界にきているといえるでしょう。また国外処理量も大気汚染、海水汚染を始め、地球温暖化や気候激変などの劣化現象をみると、これまた限界に達していると思われます。
とすれば、1億2,800万人という人口容量は、扶養量と許容量の両面から、工業現波の上限を示しているといえるでしょう。
一方、この容量を分かち合う、私たち生活民の方もまた、工業文明が創り出した生活様式を前提に、それぞれの暮らしを営んでいます。
食料・衣料・家具などは消費市場で、住宅やマンションは不動産市場でそれぞれ購入し、電気・ガス・水の供給を受け、電車や自動車などで移動し、携帯やパソコンなどで通信し、下水道やゴミ処理サービスなどで廃棄物を始末しています。
今では当たり前となった、この生活様式から生まれてくる、一人当たりの個人容量を全ての国民で集計すると、総個人容量となります。
この総個人容量が、上記の人口容量以下であれば、人口はなお増加していきますが、人口容量に接近したり、超えておれば、自ら人口抑制装置が作動して、人口は減っていきます。
冒頭で述べた、「生活民の総生涯期待値が人口容量(Population Capacity)の上限を超える時」という表現は、このように言い換えることができるでしょう。
人口減少の背景を考えるには、「少子・高齢化」を超えて、より広い視野に立つことが必要なのではないでしょうか。
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