前回述べたように、2015年の総期待値は1億5,197万人で、人口容量1億2,800万人をすでに2,397万人ほどオーバーしています。
総期待値が人口容量を超えたのは一体、何時のことだったのでしょう。
詳細な年齢別人口が把握できる1920年(大正9年)以降の推移を試算してみると、下図のようになります。
①人口が5,600万人ほどであった1920年に総期待値はすでに1億人に達し、戦前の人口容量(7,500万人)を2,500万人ほど超えています。 ②総期待値は1935年に10,600万人と高位に達し、1941年からの太平洋戦争を勃発させる誘因の一つとなった可能性があります。 ③戦後は人口増加と比例するように、総期待値も急増し、15年後の1960年前後に戦後の人口容量(1億2,800万人)を超えています。 |
1960年前後に人口容量(1億2,800万人)を超えた時、何が起こったのでしょうか。
上図の下欄に示したように、総人口の動きには劇的な変化が起こっています。
❶1960年前後に、出生率が急落し、死亡率の低下傾向が緩和しました。 ❷その後、出生率はやや上昇傾向を取り戻しましたが、1975年を過ぎると、再び急落しています。 ❸死亡率は1980年半ばまで漸減しましたが、その後は漸増に転じています。 ❹その結果、2008年ころ、死亡率はついに出生率を追い抜き、総人口を減少させることになりました。 |
以上のように、全国民の意識を総計した総生涯期待値の動きは、出生率と死亡率に大きく影響し、総人口の減少を引き起こしています。
要するに、人口容量という視点から見ると、人口減少の原因は、単なる「少子・高齢化」などを超えて、全国民の心の中にある生涯生活への期待値、いいかえれば生活向上願望という心理状態だった、と推測されるのです。
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