2020年7月11日土曜日

生活民の求める「ものがたり」とは・・・

4カ月にわたって「物語マーケティング批判」を述べてきました。 

最初に戻って、生活民自身は「ものがたり」をどれほど求めているのか、をもう一度考えてみましょう。

生活民」の特性を考える時、その前提となった「生活者」や「生活人」の生活態度をまず振り返っておくことが必要です。



 3者の比較は以下の通りです。

大熊信行の提起した「生活者」では、①営利主義の対象である「消費者」を抑制し、②「必要」という願望次元を守りながら、③自己生産を基本にする、という3点が強調されていますから、「ものがたり」には「必要」次元であるか否か、自己生産であるか否か、が問われることになります。 

そこで、生活者の立場からは、それぞれの暮らしに不必要な内容を含む「かたり」を排除したうえで、「かたり」を「自己生産」できるような要素を持った「ものがたり」が求められることになります。


今和次郎が提唱した「生活人」では、①没個人的な倫理のお題目に幻惑されず、②外回りの倫理でかっこうをつけず、③日常生活を通じて自己生活の倫理を高めていく人格、の3点が提示されていますから、「ものがたり」にも「外回りの倫理」であるか否か自己生活の倫理を高めていくか否か、が問われることになります。 

となると、生活人にとっては、外部から押し付けられるような内容を排除し、自分自身でそれぞれの暮らしを高めていけるような「かたり」が必要になるでしょう。

当ブログの提唱する「生活民」(当初は生活体と名づけていました)では、①市場成立以前から続く自立的人間を基本にしつつ、②遊びや虚栄とともに儀礼や伝統まで求め、さらには③風習や慣習から流行やトレンドもまた追い求める人間像と考えていますから、「ものがたり」には「必要不要」の次元はいうまでもなく、「遊び、虚栄、儀礼、伝統」や「風習、俗信、流行、トレンド」までも求められることになります。 

このため、生活民としては、自立を侵さない範囲において、日常生活に関わる、あらゆる「かたり」はもとより、真面目あるいは不真面目な「かたり」流行やトレンドに関する「かたり」なども、躊躇なく求めることになります。

3つの定義によって、「ものがたり」に求められる要素も幾分異なってきます。

しかし、「自己生産」「自己生活の倫理」「自立的人間」という視点では共通しており、このブログの視点でいえば「差延化」という行動を意味しています。

「ものがたり」をマーケティング手法として展開していくためには、それぞれの内容に細かく注意するとともに、自己生産や自立行動などを促進する素材や要素などを積極的に導入することが求められるでしょう。

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