2015年2月20日金曜日

今和次郎は「生活人」を提唱!

社会経済学者・大熊信行の唱える「生活者」に対し、建築学や民俗学の立場からは、今和次郎が「生活人」という言葉を提案しています。


今和次郎(1888-1973)は、東京美術学校工芸科の出身で早稲田大学理工学部建築学科教授として、建築学、住居学、意匠研究などを研究し、「考現学」や「生活学」の提唱者として知られています。





彼は1952年に「『生活人』の意識」というエッセイの中で、「『経済人』の代りに『生活人』という言葉を用いて、いっそうわれわれに近接した思索を語らしめる言葉」にしたい、と提案しています。

明確に定義されているわけではありませんので、文意から推しはかってみると、「生活人」とは「これまでのような没個人的な倫理のうつろなお題目に幻惑されることなく、外回りの倫理でかっこうだけをつけさせようとあせることなく、日常生活を通じての自己生活の倫理」を高めていく人格、と読みとれます。これは、かなり倫理的、道徳的なイメージです。

もっとも、その前年1951年に書いたエッセイ「生活学への空想」では、「生産学として威力を発揮している経済学のふところから離れ」た「生活学」を構想し、それは「人間の生活行動の各分野を内容的に吟味した、労働論、休養論、娯楽論、教養論、などを一貫したものとして総合思索した生活原論」を基礎にする、と述べています。ここから類推すると、日常生活の主体となる「生活人」とは、労働から娯楽や教養までを包括する、より全体的な人間像である、と思われます。

とすれば、今の「生活人」は、大熊のいう「生活者」が消費者という経済学的範疇を超えながらも、なお「必要」次元という、社会科学的次元に留まっていたのに対し、美学や哲学などの次元にまで幅を広げた、より総合的な人間像を意味していることになります。

もっとも、その一方で今は、農村に残る冠婚葬祭のような慣習は「封建的な真似ごと」であり、都市生活が取り入れる流行もまた「近代的な真似」だとして両方とも退け、「いきいきした生活というものは、社会的な力である慣習と流行へのたゆまざる戦いから生まれる」と述べています(「慣習と流行との闘い」)。

今がこれらの文章を書いたのは、戦後復興期の生活改善運動が隆盛する時代でしたから、封建的な慣習や軽薄な流行を排除する気持ちは、それなりに理解できます。しかし、全体的な人間像という意味では、新たな制約を作ってしまったのではないでしょうか。儀礼や風習から俗信や迷信まで、これらもまた人間生活の重要なセクターであるからです。ファッションやトレンドを追い求めるのもまた、人間という動物特有の特性と考えるべきでしょう。

このようにとらえると、今和次郎の「生活人」もまた、大熊信行の「生活者」とさほど離れてはいないのではないか、とも思えてきます。

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