2015年2月19日木曜日

大熊信行の提起した「生活者」とは・・・

「消費者」という言葉に代えて、「生活者」という言葉を初めて提案したのは、経済社会学者の大熊信行(1893-1977)です。東京高等商業学校を卒業後、小樽高商、高岡高商、富山大学、神奈川大学などの教授を歴任した経済学者で、歌人としても活躍しました。


大熊は、半世紀前の1963年、「“消費者”という一つの言葉は経済学に返納して、日常生活では私たちは生活者である、という新しい自覚に立ちたい」と宣言しました(「消費者から生活者へ」)。すでに1940年ころから、大熊はこの言葉を使っていましたが、日本経済が大量生産・大量消費時代に入った1960年代に、そうした社会風潮への批判として、改めて宣言したものでした。


彼のいう「生活者」とは、どのような人間をいうのでしょうか。生活の基本が「自己生産であることを自覚して」おり、「時間と金銭における必要と自由を設定し、つねに識別し、あくまで必要を守りながら」、大衆消費社会の「営利主義的戦略の対象としての、消費者であることをみずから最低限にとどめよう」とする人々のことだ、といっています(『生命再生産の理論』)。

逆にいえば、①営利主義の対象である「消費者」を抑制し、②「必要」という願望次元を守りながら、③自己生産を基本にする、という3点にまとめられます。この新しい定義は、供給過剰市場の拡大で、すでに実権を拡大しつつあった需要者側の立場を追認するものでもありました。

そのせいか、1970年代の後半から、経済学者はともあれ、マーケティングの分野では、「消費者」の使用をやめて、「生活者」にいい変えるケースが広がってきました。いわゆる「生活者マーケティング」というものですが、その延長線上で、先に見たように、両者が平行して使われるケースも増えています。

だが、それによって、かえって両者の区別が曖昧になってきました。「消費者・生活者一人一人」などと並べて使われて、ほとんど言い換えにすぎないケースも増えています。そればかりか、昨今では大熊の意図を大きく離れて、消費喚起の対象という立場を隠蔽するために、あえて「生活者」を多用するケースも増えています。こうなると、消費者と生活者を区別する効果は、ほとんど失われているといえるでしょう。

一方、大熊のいう「生活者」の定義についても、①営利主義の対象から脱却、③自己生産を基本にする、という要件については頷けますが、②の「必要」次元に限るというのは、やはり経済学の次元に留まっています。私たち一人一人の需要者は、「必要・不必要」という次元を超えて、例えば気晴らしや見せびらかしのためにも、モノやサービスを求めるものであり、それを否定しては、人間の生活行動をトータルに把握することはできないと思うからです。

こうした点で、大熊のいう「生活者」もまた、再検討すべきではないでしょうか。

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