SustainableとかSDGsという言葉が、マスメディアやサイバースペース上で、なんの躊躇いもなく正論のように広がっています。
企業経営やマーケティングの世界でも、当然のように目標とされています。
本当なのでしょうか? 本当にこれらは、私たちが目ざすべき、新たな目標なのでしょうか?
「物語マーケティング批判」にひとまず区切りが着きましたので、今回からは「サステイナブル」に対し、斜めの視点から切り込んでいきたいと思います。
Sustainableという言葉は「持続可能な」と直訳される英語で、社会的には「環境を破壊しないで維持、継続できる」という意味を持っています。
国連の「環境と開発に関する世界委員会:WCED:World Commission on Environment and Development」が1987年に公表した報告書『われら共有の未来:Our Common Future』の中で「持続可能な開発:Sustainable Development」という概念を提唱し、一般的な環境用語として定着しました。
このため、「サステイナブルエコノミー:Sustainable economy」(環境保全に配慮した持続可能な経済)、「サステイナブルシティ:Sustainable city」(環境への影響に配慮した都市づくり)など、「環境や資源に配慮する」形容詞として一般化しています。
こうしたトレンドに乗って、国連は2015年に新たな国際目標として「SDGs:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標」を提起しました。「貧困の解消」「飢餓の解消」「健康や福祉の実現」「教育機会の確保」「ジェンダーの平等」など17の目標および169のターゲット(具体的な目標達成基準)を掲げています。
人類の未来のために、地球環境の保全、生活構造の改善、社会体制の改革などに配慮した、包括的な環境開発目標という斬新な発想ゆえに、国家政策から企業経営にいたるまで、さまざまな分野に広がっています。
一つ一つの目標を眺めて見ると、なるほどと頷ける事項も確かに多いと思います。
だが、ちょっと待ってよ。「全てのベースとなっているのがサステイナブル」だ、といわれると、「ほんとうなのか」との懸念もわいてきます。
「Sustainability:持続可能性」という言葉の意味が、本当に理解されているのか、甚だ疑問に思うからです。
筆者が永年思考してきた人口波動説、時代識知論、文明論などの視点から見ると、「Sustainable:持続可能な」という状況は極めて困難な目標であり、敢えて言えば、現代人の“驕り”のようにも思えてきます。
ということで、当ブログではここ暫くの間、「サステイナブル批判」を展開していきます。
(本来ならば、筆者の別のブログ「JINGEN〈人減〉ブログ」で検討すべきテーマですが、現在は「コロナ禍のインパクト論」を展開中ですので、広い意味でマーケティングの関する課題と考えて、当ブログで考えることにします。)
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