言語には使われるケースに応じて、幾つかの次元、つまり階層があります。
いかなる階層を認めるべきなのか、古今東西の思想家の言説を、さまざまな角度から検証してきました。
一段落しましたので、言語3階層説の視点から、生年順序により整理しておきます。
「発声されて言葉となっているもの(発話)」も「字にされて書き綴られるもの(文字)」も、ともに「しきたり」に従って使用されているものだと述べ、日常・交信言語の次元についてのみ、詳しい論述を展開しています。 |
●A.アウグスティヌス(Aurelius Augustinus:354~ 430年)
外向き会話(自然言語の音声を伴った言葉を使う会話次元)、内向き会話(自然言語には属していない思考や情動の脳内次元)、思考向き会話(声に出さず外向き言葉の音声に似た言葉であれこれと考える思索次元)の3階層を明確に分けています。 外向き会話は日常・交信言語、思考向き会話は思考・観念言語、内向き会話は深層・象徴言語に相当します。 |
●R.デカルト(René Descartes:1596~1650年)
普遍言語の実現を望みつつも、その前提にはまず「普遍観念」の構築が必要だ、と考えていたようです。思考・観念言語への希求ともいえるでしょう。 |
●G.M.ライブニッツ(Gottfried Wilhelm
Leibniz:1646~1716年)
人間は自然言語を無意識的に想起できると考え、認識可能な世界は全て自然言語によって表現できるとし、認識された世界は、人間精神の「進歩」、つまりは「歴史」とともに広がっていく、と考えました。まさしく思考・観念言語論の典型といえるでしょう。 |
●J.J.ルソー(Jean-Jacques
Rousseau:1712~1778年)
言葉は欲求を表現するために発明されたのではなく、感情を表現すること、つまり「情念」こそがパロルール(音声言語)の生まれる動機だったとし、エクリチュール(文字言語)もまた、情念から自然に発声される詩や歌を文字で表そうとする試みがその根源である、と述べています。これは深層・象徴言語が言語の発生源だ、という主張です。 |
●I.カント(Immanuel Kant:1724~1804年)
人間の認識能力には、五感から入ってきた情報を時間と空間という形式によってまとめあげる「感性」、概念に従って整理する「知性」、知性に基づいて考える「理性」があるとし、それらによって統一像がもたらされる、と主張しています。 感性、知性、理性を区分することで、深層・象徴言語と思考・観念言語については細かく位置づけていますが、両者の間にある日常・交信言語については、ほとんど触れていません。 |
●J.G.H.ヘルダー(Johann Gottfried von Herder:1744~1803年)
言葉とは動物の叫び声の延長線上で人間に備わっているものではなく、あくまでも人間の学習によって得られるものだ、と主張しています。 感覚的知覚の捉えたさまざまな対象に、一つ一つ目印として言葉を当て,他の対象と明確に区別して、全体的に世界を捉えようとする行動、それこそが人間の言語の起源である、というのです。これは日常・交信言語の重視を意味しているのでしょう。 |
とりあえず、7人の思想家の言語に関する言説を紹介しましたが、言語の3階層を明快に述べているのはローマ帝国時代のA.アウグスティヌスだけであり、近代になると、3つの階層を別々に論じたり、その中の一つを重視するという傾向が強まっています。
このあたりに近代言語論の限界があるのではないでしょうか。・・・次回に続く。
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