2021年5月20日木曜日

デカルトは観念言語を提案した?

古代ギリシアの言語観は、日常言語という基礎的な次元に向けられていたと述べてきましたが、ルネサンス以降になると、近代西欧の言語観は新たに、一番上の「思考・言語」へと向かっていったようです。

フランス生まれの近代合理主義哲学の祖、ルネ・デカルト(René Descartes15961650は、1629年に神学者のM・メルセンヌ(Marin Mersenne)宛の手紙のなかで、日常言語を超える「普遍言語(langue universelle」を提起していました。

後に人工言語数字記号などともよばれるようになった、人造的な言葉の提案です・

人間の思考が複雑化している知的活動の中で、何が簡単な思考であるかを正しく説明し、その説明が万人に受け入れられるとするなら、私はあえて、非常に簡単に学び、話し、書くことのできる普遍言語を望むだろう。そのような言語の最大の利点は、間違った使用などほとんどなく、明確に問題を提起し、人間の判断を助けることだ。

Carta de Descartes a Mersenne, 20 Noviembre 1629を直訳)

しかし、その手紙の中で、普遍言語などは絵に描いた餅で、現実には不可能だ、とも述べています。その理由を諸資料や研究成果に基づいて、おおまかに整理しておきましょう。

➀人間のあらゆる思考を枚挙して秩序づけ、一切の事物を見誤ることのないよう明確に提示できる普遍言語が夢であるが、そのような構想はユートピアであり、現実には期待できない

②「普遍」とは、何らかの関連のある、幾つかの個別的事象を考えるため、同一の観念を用いることだけで形成されるものであり、それはもっぱら人間の「精神」に属している。

③一方、「言語」は、さまざまな国語として、個別性・恣意性・物質性を持っている。

④精神や哲学の側に属する「普遍」と、物質の側につながる「言語」が、別々の次元にある以上、普遍言語は観念の側では可能であっても、現実の言語においては断念せざるをえない。

⑤それでも、普遍言語を発明しようとするなら、まずはあらゆる思考の間にひとつの秩序を打ち建てるような「真の哲学」が作られなければならない。「数」の間に固有の秩序があるように、人間精神の中で起こるあらゆる思考の間にも、一定の秩序を打ち建てることができれば、言語の基本形態とその表意文字である普遍言語が初めて可能となる。

⑥そのためには、人間の想像力のなかにある「単純観念」が何であるかを明らかにし、そのような単純観念によって、人間の思考のすべてが構成されており、それがすべての人にも受け入れられることが必要である。こうしたことが可能であれば、極めて容易に覚え込み、発音し、書き込めることで、あらゆる事物を明確に表象し、判断を助けることができる「普遍言語」を望むことができる

以上のように、デカルトは普遍言語の実現を望みつつも、その前提にはまず「普遍観念」の構築が必要だ、と考えていたようです。


ところが、次の世代になると、このような思考的慎重さは次第に霧消され、数学者や物理学者などの間で、人工的な普遍言語の多様な体系が続々と生み出されていきます

とすれば、ルネサンス以降の西欧近代社会では、普遍言語や記号言語など、いわゆる「思考・観念言語」が急速に広がっていった、と見るべきでしょう。

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以上の推論は、次の文献を参考にしています。

Carta de Descartes a Mersenne, 20 Noviembre 1629http://www.ithinksearch.com)

◆マリナ ヤグェーロ『言語の夢想者―17世紀普遍言語から現代SFまで』(谷川多佳子・江口修訳、工作舎:1990

◆谷川多佳子「デカルトと言語 : 二元論, 普遍言語, ライプニッツ」哲学・思想論集・巻181993-03

◆浜口稔「ライプニッツの普遍言語」 明治大学教養論集: 1995-3

J.ノウルソン『英仏普遍言語計画』浜口稔訳,工作舎:1993

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