そこで、このブログでは、「物語」という言葉の視点から、改めてその内容を考えてみたいと思います。
現代日本語の「物語」という言葉には、【物語の2つの側面・・・神話と散文:2020年5月23日】で触れたように、純粋な意味では「神話」が、より広い意味では「散文」が、それぞれ意味されているからです。
こうした視点で改めて「物語」を整理してみると、次のように分類できます。
●言分け次元・・・表層・日常・深層言語次元で把握した諸現象を、個人や集団が何らかの意図をもって言語化した文章。
例えば、曰く因縁(隠れた事情や理由)、故事来歴(古くから伝わっている事柄について由来・伝来・歴史事情)、散文・随筆・小説など(事実や仮想の文章化)。
●身分け次元・・・深層言語次元(象徴・無意識・感覚)で把握した、前言語的なイメージを個人や集団が口承的に言語化した文章。
例えば、説話、お伽噺、昔話、神話、伝説、歌謡,叙事詩など。
例えば、曰く因縁(隠れた事情や理由)、故事来歴(古くから伝わっている事柄について由来・伝来・歴史事情)、散文・随筆・小説など(事実や仮想の文章化)。
●身分け次元・・・深層言語次元(象徴・無意識・感覚)で把握した、前言語的なイメージを個人や集団が口承的に言語化した文章。
例えば、説話、お伽噺、昔話、神話、伝説、歌謡,叙事詩など。
以上のように分類してみると、大和言葉の「ものがたり(もの+がたり)」とは、【言語化とはいかなる行為なのか? :2020年5月11日】で述べてきたように、表現対象の比重が「身分け」次元に置かれている文章化行為であり、「説話、お伽噺、昔話、神話、伝説、歌謡,叙事詩など」を意味することになります。
そうなると、「言分け」次元の文章化行為、つまり「曰く因縁、故事来歴、散文・随筆・小説など」は、本来の「ものがたり」ではなく、別のジャンルということになります。
どのようなジャンルかといえば、【物語の2つの側面・・・神話と散文:2020年5月23日】で述べたように、「こと」を言語化する「ことがたり(こと+がたり)」ではないでしょうか。
「ことがたり」という言葉は、現代では使われていませんが、古く『古事記』の時代には使われており、その発展形の「ことわり」として、今でも残っています。
「こと(事)」とは、もともと出来事や事件など、対象がある特定の事柄を指し示す言葉であり、それを語るのが「ことがたり」なのです。
以上のような視点に立つと、「物語=ものがたり」をマーケティングに応用しようとする場合には、次のような対応が求められるでしょう。
①「物語マーケティング」には「ことがたりマーケティング」と「ものがたりマーケティング」の2つがあることを自覚したうえで、それぞれを峻別する。
②「ことがたりマーケティング」では、「物語マーケティング」の亜流であることを自覚したうえで、差異化マーケティング批判に対応して、生活民の生活構造に対し、最大の敬意と尊重を志すことが必要である。
③「ものがたりマーケティング」では、純粋の「物語マーケティング」であることを自覚したうえで、生活民の“象徴”観念の深化・拡大をめざすことが求められる。
②「ことがたりマーケティング」では、「物語マーケティング」の亜流であることを自覚したうえで、差異化マーケティング批判に対応して、生活民の生活構造に対し、最大の敬意と尊重を志すことが必要である。
③「ものがたりマーケティング」では、純粋の「物語マーケティング」であることを自覚したうえで、生活民の“象徴”観念の深化・拡大をめざすことが求められる。
2つの方向について、さらに詳しく考察していきましょう。
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