2024年2月29日木曜日

生活主体を考える➔生活民!

生活学・新原論の最初は、生活を行っている主体、つまり「生活主体」をどうとらえるか、という課題です。

生活主体とは何かについては、消費者生活者生活人など、これまでさまざまな定義や議論が行われてきました。

当ブログでも、消費者とは誰のことか?】【大熊信行の提起した「生活者」とは・・・】【今和次郎は「生活人」を提唱!】などですでに紹介してきました。

また日本生活学会編『生活学事典』(TBSブリタニカ、1999の中で、筆者は「消費者とは市場社会の内にとどまる人であり、生活者とは市場社会を超えた人なのである」とも述べています。

そのうえで、【「生活民」とはどんな人?おいて、新たに「生活民」という主体を提言しています。

これらを整理すると、「生活民」という定義こそ、今回の生活学新原論にふさわしい生活主体ではないか、と思われます。


新たな生活学における生活主体、生活民とはどのような人間をいうのでしょうか。これまでの言説を整理してみると、次のような人間像が浮かび上がってきます。

①経済学等でいう「消費者」は「生産者の提供するモノやサービスを、市場を通じて購入し、消費する人」であり、主体的な生活を行う人とは言えませんから、抑制していきます。

②今和次郎の提案した「生活人」からは、「美学や哲学などの次元にまで幅を広げた、より総合的な人間像」を継承しています。

③大熊信行の提案した「生活者」からは、「営利主義の対象である“消費者”を抑制する」ことや「自己生産を基本にする」ことを継承しています。

④その一方で、「生活人」が否定した「伝統や慣習、あるいは流行を追い求める生活行動」や、「生活者」が排除した「気晴らしや見せびらかしなどを求める願望次元」なども積極的に肯定し、両方とも含めた人間像をめざします。

⑤以上を統合して、生活の主体を、市場社会のユーザーの立場を超えて、市場の成立以前から存在した、自立的な人間におきます。

⑥こうした視点から、庶民、市民、人民、公民、国民などに共通する「」の視点を再評価し、「生活民」と名付けます。

上記のように生活主体を定義すれば、「生活民」の意味するところは「自給自立人」ですから、英訳すれば「Self-helper」ということになるでしょう。

2024年2月21日水曜日

生活学の新たな展開に向かって

生活学という、新たな学問分野について、基本的な視点と方法を考える「新原論」を展開しようとしています。

これは初めてのことではなく、実は30数年も前、日本生活学会を退会する直前に、同学会論文集『生活学1990』の序文として、次のような文章を寄稿しています。



序――生活学の新たな展開に向かって

私たちの生活をとりまく環境は、最近、急速に変わってきた。

鳥瞰的にみれば、 1830年以降一貫して増加し、現在約13200万人に達したわが国の総人口が、2010年頃の13600万人をピークとして減少過程に入っていくものと予測されている(厚生省人口問題研究所)。このため、1990年から2010年までの20年間は、人口が漸増から急増へと転換した明治維新や、急増期のほぼ中央に当たる太平洋戦争などの時期に匹敵する、 一大転換期となる可能性が強い

つまり、この時期には、約160年間続いてきた、成長・拡大型の社会システムや生活様式が終わり、飽和・安定型のシステムや様式への移行が始まる。従来の世の中の仕組みや生活慣習などがいったん弛緩し、再構成に向かって動き出すことが予想される。

一方、虫瞰的にも、私たちの身の周りでは、さまざまな変化が起こり始めている。町を歩けば、円高や内需主導経済の進行に伴って、外国商品の彩しい流入、外国人労働者の急増などが始まっているし、家に帰れば、サービス化や高度情報化の進展に伴って、家事の外部化が進む一方、夥しいニューメディアが流入し、従来からの家庭機能を大きく変えつつある。

生活主体の側でも、高齢化、単身化、男女格差の縮小などが、急速に進み始めているし、家族そのものもまた、伝統的な三世代家族や核家族だけでなく、DINKS(子どものいない共働き夫婦)、ステップファミリー(子連れ再婚家族など)、別居家族、単身者同居家族などの多様化か始まっている。

これらの変化に影響されて、生活構造もまた、大きく見直しを迫られている。仕事一辺倒の生活から、できるだけ余裕のある生活へ、できるだけ休みをとる生活へという動きは、さらに進んで、仕事と生活の融合や、仕事と遊びの融合をめざす方向へと動き出している。

そこで、生活の24時間化や就業畔間のフレックスタイム化、あるいは職住近接のサテライトオフィス、職遊近接のリゾートオフィス、さらには在宅勤務のホームオフィスなど、従来の生活時間や生活空間の枠を超えた、新たな動きも始まっている。

以上のように、鳥瞰のみならず虫瞰的にも、生活環境、生活主体、生活区分、生活時聞、生活空間など、あらゆる生活の分野で、従来とは異なる動きが発生している。

とすると、生活に関する学問にも、このような変化に対応できる、新たな展開が必要となってきた。従来からの理論や方法に加えて、転換期の生活を読み取るための、新しい理論と方法が求められることになる。

折から、日本生活学会は、1988牟初夏から89年夏にかけての約1年間、「今和次郎生誕百年・日本生活学会設立15周年記念行事」として、さまざまなイベントを行ってきた。これらは、当学会創立者の業績をしのぶとともに、設立後15年間の知的成果を世に問うものであったが、予想以上に多くの観各や聴衆を集め、一応の評価を収めることができた。

これによって、創設期以来の一区切りがついた。とすれば、今や日本生活学会は、新たな目標を模索すべき時にきている。これまで15年間の蓄積を基礎にしつつ、これからの15年間に向けて、新たな一歩を踏み出さねばならないと思うのだ。

幸いにして、この『生活学一九九〇』には、新しい方向への契機となりうる論文を.いくつか納めることができた。これらを素材として、今後、より活発な議論の起こることを期待したい。

19891031日      古 田 隆 彦

現時点で読み返してみると、30数年という時間差をほとんど感じません。2000年以降について予想した事象は、概ね当たっていると思います。

この序文以降、筆者はこうした問題意識を抱きつつ、生活学の新たな視点と方法を求めて、さまざまな方向から検討を続け、その一部をこのブログでも述べてきました。

これから始めようとしている「生活学・新原論」は、それらの集約ということになるでしょう。

2024年2月7日水曜日

生活学・新原論・・・基本を問い直す!

言語6階層論がひとまず決着しましたので、今回からはこのブログのタイトルでもある「生活学」の見直しについて、拙論を展開していきます。

周知のとおり、「生活学」は、考現学の提唱者、今和次郎先生 1951年に提唱された、新たな学問分野であり、約20年後の1972年に日本生活学会が発足しています。

設立趣意書では【生活のなかで人間を発見し、人間を通して、生活を見つめ、そのことによって、人間にとっての「生きる」ことの意味を探求すること―-それが「生活学」の立場】と謳われています。

家政学や生活科学などの狭隘性を超えて、よりトータルに生活事象を究明する立場を新たに提唱したもの、ともいえるでしょう。

筆者もまた半世紀前に生活学へ関心を抱き、1974年に日本生活学会に入会197981年に理事8190年には常任理事・事務局長を担当してきました。

しかし、市場社会における生活民の状況という、個人的な関心を究明しているうち、衣食住などの現象面の分析に比重をおく、学会内部の研究傾向にやや違和感を抱くようになりました。研究発表や研究会におけるテーマにも考現学的次元が多く、次第に関心が薄れてきましたので、1990年に退会しました。   

その後は、市場社会への生活民サイドからのアプローチを「Self-helper Marketing」、略称「SH Marketing」と名付け、生活意識や生活行動などを究明してきました。

その内容はこのブログにおいて、さまざまな形で述べてきましたが、今回はそれらを改めて整理し、生活学の新たな構成を「新・原論」として取りまとめてみたいと思います。


基本的な構成は、概ね次のようなものです。

①生活主体・・・生活民の定義と位置

②生活心理・・・意識としての生活世界構造

③生活行動・・・意識が生み出す多様な行動

④生活時間・・・人生や日常生活の時間的構造、

⑤生活空間・・・衣食住に代表される空間的構造

⑥生活資源・・・生活費用や生活素材などの家計的構造

⑦その他

上記は現時点の想定であり、今後の進行過程でかなり変化していくかもしれません。

いずれにしろ、人口の減る時代に「生活学」とはどのような方向へ向かうべきなのか、個別的かつ統合的に改めて整理していきたいと思います。